テキスト第30章「決断のためのルール」についての考察
イエスは私たちに何を教えてくれているのか?
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)のイエスは私たちに何を教えてくれているのか?
というなら、
「あなたは間違っていますよ。あなたは嘘(狂った思考体系)を信じているだけですよ。そのことを自覚/認識しなさい。ただ夢を見ているだけということに気づきなさい!」
ということを私たちに教えてくれているということです。
そして、そのことを私たちがはっきりと自覚/認識するとき、それをコースでは「奇跡」と呼んでいるわけです。
もし、私たちがコースが教えていることを真に理解しているとしたなら、こう応えるはずです。
「はい、その通りです。私は間違っています。だから、私はもう自分一人で価値判断するのをやめます」と。
もし、私たちがコースの教えを本当に理解しているなら、テキスト第30章の「決断のためのルール」で述べられている実践のその意味が理解できるはずです。
でも実際のところ、コースを実践しようとして自覚させられるのは、自分はコースが教えるようにはなかなか実践できないどころか、自分はまるでそれとは真逆のことをしているということです。
「コースで云っていることはそうかもしれないけど、、、でも、やっぱり私は自分のほうが正しいと思っています。私は狂ってなんかいません。私はまともです。私は自分でどうにかできます」
と、そんなふうに私たちはコースが教えていることに対して抵抗している自分を自覚/認識することができます。
そのとき、私たちは何をしているかというなら、
「私は、イエス、聖霊と共に見たくなんかありません。私は、自分なりに見たいのです」
と、イエスに対して反抗しているということです。
つまり、コースの教えを日々の実践として適用しないということは、まさにそういうことをしているのだということです。
自分について正直になって観察していくならば、毎瞬毎瞬、それをしていることを自覚するようになります。
自分は、毎瞬毎瞬、自我を教師としている、と。
ちなみに、それがいけないことだとか、ダメだと云っているわけではありません。
その自分を自覚/認識していくことがとても重要なのだということです。
なぜなら、そのことを自覚/認識するようになっていくなら、その誤りを訂正して、教師を選び直すことができるようになっていくからです。
イエス/聖霊は、私たちが教師を選び直すのを、忍耐強く待ってくれています。
コースが教えていることを真に理解しているとしたなら、あなたは自分がまとも(正気)じゃないことを自覚/認識しているはずです。
それだけではなく、毎瞬毎瞬、イエス/聖霊を拒み続けていることも自覚/認識しているはずです。
いわゆる、自分たちは神と一体(ワンネス)であるという真理を思い出すことを拒絶し続けているのを自覚/認識しているはずです。
なぜ神の記憶を思い出すことを拒絶し続けるのか。
なぜ神の記憶を覚えている聖霊(正しい心)を拒絶し続けるのか。
それがどれだけ愚かなことか!
そのことを認識していくならば、あなたはそういうことをしている自分について、もはやそれをOKとはしなくなっていくでしょう。
自我を教師として選択し続けている、、、それが、この世界にいる私たちがしていることです。
ただ単にその選択を間違っているだけなのです。
そういうことを認識していくとき、あなたのコース学習の歩みは、ますます妥協のないものとなっていくことでしょう。