人生一時停止ボタンを押してみた話

キャパオーバー気味な毎日を送っていると、時々「あー人生一時停止したいなあ」と思うことがある。
別に死にたいわけじゃない、完全に人生を止めてしまいたいわけではない。
ただ、目の前に降りかかってくる捌かなければならないことが多すぎて、止まらずに生きなければならないことがしんどくなってしまうことってあると思う。少しの間だけ全部投げ出して、思考も行動も停止することを許される時間が欲しい。そういう意味での人生一時停止。

そんなこと思うのは忙しくし過ぎだからなのでは?自分でやりたいことをやるって決めておいてぐだぐだ言うとかどういうつもり?とかという意見が吹っ飛んできそうだが、それには何も言い返せない、その通りですごめんなさい。
ただ、好きで選んだ生き方とは言えしんどくなることだってあるじゃん、そのくらいは大目に見てほしい。


そんな感じで、「人生一時停止ボタン欲しいなあ」ってぼやきながらもそんなボタンなんて四次元ポケットでもない限りもらえないよな…なんて諦めながらマグロのように毎日過ごしていたころ。

急に私は人生一時停止ボタンを手にしてしまった。

…SF始まったか?と思って画面を閉じようとした人は少し待ってください実話です。

人生一時停止ボタンなんて大げさな言い方をしてしまったが、闇取引をしたとか気がふれたとかではない。

そう、新型コロナウイルスだ。

陽性になったわけではないのだが、周囲でめちゃめちゃ流行っている中若干の体調不良になったので、念の為PCR検査を受けた。8割方陰性だろうなと思いながら、検査を受け結果が出るまでの数日間休むことにした。

体調が悪いことをバイト先の上司に伝えるとき、頭の中を多くのことがよぎった。元々その数日間は予定が詰まっていて、休む暇がほとんど無さそうだった。もしPCR検査を受けることになれば、それらがものの見事に全部消える。遊びの予定もあったから寂しかったし申し訳なさも感じた。隠せるレベルの体調不良だし強行突破するか…?との考えも浮かんだ。それでも、どんなにモチベーションがなくても行かなければならない予定に行かないで済む解放感が強かった。

こうして、「これって人生一時停止するチャンスでは??」と思った私は体調不良を伝えるLINEの送信ボタン(=人生一時停止ボタン)を押したのだった。


合法的に休む権利を手にした私は(この言い回しで既に生活のブラックさが見える)、休んだ予定先に関連する連絡も最低限しか見ないことにした。絶対にその数日間の間でやらなければならなかった作業だけはやったけれど、それ以外の連絡はほぼシャットアウトしていた。少しでも一時停止の効果を高めるために。

家にいる間はとにかくやりたいことをした。もちろん体調が良くなかったのもあるものの、「全力で休む」が一時停止中のモットーだったから、部屋の片づけみたいな有意義なことは何もしなかった。むしろ生産的なことをしない、ということを頑張った。ただただYouTubeで声優さんがゲームをしている動画を垂れ流しに見たり、TVで録画していた長時間番組を見たりしていた。


数日間全力で休んだ中で見えてきたことがあった。
「あえて生産的なことはしないでだらだらする」と「生産的なことをする体力が残っていないからだらだらする」は全然違うのだ。

前者のだらだらは、身体を休められてリフレッシュにもなるけれど、生産的なことをするかどうかの選択をする時点で多少のHPが必要だ。一方日々に疲れ切ってHPが0の時は、選択する余地もなくだらだらせざるを得なくて、その後者のだらだらでは大した回復は見込めない。なんなら「せっかくの休みの日なのに何も出来なかった…」とテンションを下げかねない。

私がこの数ヶ月、たまに、本当にたまー--にあった休みでしてきただらだらはずっと後者の、大して私の体力を回復させてもくれなければ、精神的リフレッシュも与えてくれないだらだらだった。「あえてだらだらするんだ」と考えるHPすら残っていなかったんだから、部屋を片付けることも、何か新しい勉強をすることも、当然無理だった。何も出来なかった当時の私を責める必要なんてどこにもなかった。


さて、人生一時停止状態から復活するわけだが、この先はわざわざ人生を一時停止しなくても自力でだらだらして回復することを選べるように、最低限のHPは残して生きようと思う。

一度人生一時停止ボタンの使い方を知ってしまうと、気を付けないと濫用しかねない。流石に仮病で使うには周りへの迷惑が大きい。だから、また限界を迎えて思わず使うということがないように、限界を迎える前にリフレッシュになるだらだらでしっかりと休めるようにしよう。

なんでこんなことでnoteを書いているんだろうとも思うが、これは一種の私の宣言でもある。私の周囲にいてくれる人がもしこれを読んでいたのなら、私はこんなことを言っていたぞと覚えていてほしい。
そしてもし私がこの決意を忘れてまた無茶なマグロ生活に戻りそうなら、この記事を私に読ませてほしい。

いざとなったら一時停止出来る、それが分かってほっとした部分もあるけれど、いつかはこのボタンの存在ごと忘れられるくらいゆとりある生活ができたらいいな。(できるか???)

拙文お読み頂きありがとうございました。

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