「妊婦」に対する社会的認識
この記事に「違和感」を覚える。
フランスでは妊婦さんは“弱者”ということになると法律で定められているのです。
とあるのだが、妊婦は弱者=可哀そうな人で、救済すべき対象という認識で良いのだろうか。
私は、違うと考える。そうではなく「尊敬し、感謝すべき存在」として、認識すべきなのではなかろうか。
私は現在、3歳と0歳の子を持つ父である。
妻に妊娠、出産、育児の負担が偏っている。それがどれほど大変か、間近で見てきた。尊敬と感謝の念を強く持った。私でも出来ることはする、出来ることを増やす、という努力をしているつもりだ。だが、圧倒的に足りないことを強く認識する。「奥さんはスゲー。超人だ」と思う。そして、「母は偉大だ」、と。子を持った瞬間、子供が小さい期間、そういう想いを抱いた男性は少なくないだろう(そう信じたい)。
しかし時間が経つにつれ、その想いが薄れてしまうのか。それとも子供を持った経験のない人が少ないのか。はたまた「自分の妻」以外には想いが及ばないのか。いつしか妊婦・母・女性への意識がネガティブなものになってしまうようだ。かくいう私も、独身時代、妊婦に敬意を持っていたかと言えば、そんなことはない(過去に戻って、そんな自分をぶん殴りたいくらいだ)。
そうした若き日の私のために、社会として妊婦・母・女性への尊敬と感謝を明確にすべきだ。
そこで、法律を作るのであれば「母の日」を祝日に指定することを提案する。「敬老の日」があり、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」日であることが法律で定められている。ならば「敬母の日」を創設し、「命をかけて我々を産んでくれた母に感謝し、労う」日であることを法律で定めてはどうか。
社会全体で、妊婦の方々の苦労を学び、お母さんたちの日々の育児がどれほど大変か、子を持ちながら働くことがどれほど大変かを知り、その改善・解決のためにどうすべきか考える日だ。
妊娠を「おめでた」と言う。
それは、その人にとってのみ「おめでたい」のではなく、社会全体にとって共有すべき「めでたさ」であるべきだ。「少子化が問題だ」とするなら、「妊娠・出産をしてくれることは、問題の解決に貢献してくれる、ありがたいこと」なのだから。