甘い時間で残酷な呪いを

大嫌いなブラックコーヒーが酷く甘く感じて、思わず鼻で笑った。

腫れぼったい目は何を塗りたくっても誤魔化せず、朝から先輩方にたいそう心配をかけてしまった。こんな若輩者にわざわざ気を遣わせてしまい、大変申し訳ない。こちらを恐る恐る伺ってくるその視線に居たたまれなくなり、少し早めのお昼休憩に飛び出した。

喫茶店に到着したものの、食欲はない。が、何も注文せずに席を陣取るのもいただけない。疲れた体に糖分を、とも考えたが、きっと今の私の体では、それは涙腺をぶっ壊す爆弾になりかねんと踏みとどまる。それならいっそ、とびっきりの苦さで心も黒く塗りつぶしてしまえ、と、メニューの一番上に書かれた甘くも優しくもない一杯を注文した。

席に着き、特にすることもないので、さっそく目の前の黒を一口。・・・・・・苦くない。むしろほんのり甘い。嘘だろ。店員さん注文間違えた?いや、色だけ見れば、全てをきっちり塗りつぶしてくれそうな、黒だ。こいつで塗りつぶせないぐらいの苦々しい感情のせいで、コーヒーすら甘くなるのだろうか。なんだそれ。





「好きになったお前じゃなくなった、んだよね」

3か月ぶりのデートの帰り。彼は、私の目を見ることなくそう言い放った。完全に油断した。動揺で声が震えてしまうのが悔しくて、情けなかった。

彼に告白され、恋人になってから1年と半年が経とうとしていた。社会人参加のボランティア団体で出会った4つ年上の彼から「頑張り屋な君を好きになった」と想いを告げられ、内心彼に惹かれていた私は、こんな奇跡があるのか!と心から神に感謝した。同時に、私なんかを好きになってくれる人など今後二度と現れないだろうと、ぐっと気を引き締めた。

付き合ってすぐの頃、「私のどこを好きになってくれたの?」という質問を彼に投げかけたことがある。苦笑いで「しっかり者で頑張り屋なところ」と答えてくれた彼は、それ以降その質問をたいそう嫌がった。「そういう質問されるの、好きじゃないんだよね。」それ以降、二度と彼にその質問をすることはなかった。

ともに過ごす時間が増えていくにつれ、お互いの知らなかった一面が見えてくるようになった。マイペースな彼は自分の予定が順調に進まないとすぐに機嫌が悪くなるし、私のうっかり屋なところ、乙女思考は彼を苛立たせる要素になるんだな、ということが分かってきた。

3か月ぶりのデートになったのは、ちょうど3か月前から彼の態度が冷たくなり始めたからだ。LINEメッセージの間隔は2日、3日と開いていった。「会いたい」という言葉も片道20分の距離に阻まれる。「会いに行っていい?」と聞けば「なぜ前日までに言わないのか」と小言を言われる。「声が聴きたい」と言えば、「電話が嫌いだから」と断られる。付き合う前は、そちらから電話したいと言ってきた癖に。

我儘ひとつも言わせてもらえないのは、私が大事にされていないからなのか。というか、もしかしたら私が間違っているだけで、「声が聴きたい」「会いたい」と恋人に思うことはおかしいことなのだろうか。本当は「会いに来て」と言いたいけれど、彼がイラつきため息をつくのは、もうお見通しだ。それも飲み込んで「今から行ってもいい?」と聞いているのだが。それも誤っていることなのだろうか。誰か、お願いだから正解を教えてほしい。「恋人に甘える」ことは、私には許されない行為なんだろうか。過ちなんだろうか。


もう限界なのかもしれない。それならいっそ終わらせてくれたらいいのに。生殺し状態が3か月も続き、枕が乾いている日の方が少なくなった。

今この瞬間だって大好きなんだけどなぁ。それでも一度ちゃんと話さなくては。電気もつけず、真っ暗な自室で一人、一文字一文字メッセージを打ち込んでいく。

「ちゃんと2人で話したいから、時間を取ってくれる?」

「それなら買い物付き合って。デートしよう?」


想定外の、3か月ぶりのデートが決まった。



デート当日。彼は、とても優しかった。この3か月は全部幻だったんじゃないかと思うほどに。初めて買い物のあと、喫茶店に誘われた。いつもは面倒だからとすぐ家に帰るのに。初めて私のウィンドウショッピングに付き合ってくれた。いつもは非効率的な無駄な行為だと、顔をしかめるのに。

夢みたいだった。私、大事にされてるのかな。

あのお店が見たいと言えば付いてきてくれ、海が見たいと言えば連れ出してくれ。こんなに願いを叶えてもらえるなんて、これは奇跡が起きてるのだろうか、と本気で思うほどに、彼は優しかった。


帰り道。久しぶりに、私の家の前まで送ってくれた。いつもは彼の最寄り駅でお別れするのに。

「今日本当はね、・・・・・・別れ話を切り出されるんじゃないかってちょっと思っちゃってたの。でも今日1日本当に楽しくて!デートに誘ってくれたの、嬉しかったなぁ」


「それなんだけどさ、」






「友達に戻らない?」




「嫌いになったとか、別にそんなんじゃないんだけどさ、」
「一緒にいるときはまぁ楽しいんだけど、」
「そうじゃないときに連絡取るの苦痛で」
「遊びに行くのは楽しいんだけど、」
「お前とだから楽しいのか外出が楽しいのかわかんないし」
「最初はしっかりしてていいなって思ったけど、」
「3か月前ぐらいにさ、すごい泣いてたじゃん?」


「あーなんか、思ってたのと違って本当は」

「依存体質なのかなって」


「好きになったお前がいなくなっちゃって」


「だから友達の方がいいんじゃないかなって」
「いや俺も悩んだんだよね」
「最近冷たくしてたから、こっちが嫌われるかなって」
「フッてくるかなって思ったけど」
「最後の方はもう、なんていうか」


「義務感で付き合ってたし」



言葉の槍がとめどなく降ってきては、ありとあらゆる角度から私を貫いていった。息が止まりそうだった。止まってたかもしれない。いやいっそ止めてくれればよかったのに。

一緒にいるときが楽しいのは、あなたの機嫌が悪くならないよう最大限注意を払っていたからだよ。付き合って一度も、あなたといっしょにいるときに私が機嫌悪くしたこと、ないでしょう?どれだけあなたが機嫌を悪くしても、笑顔で全部飲み込んだよ。頑張り屋が好きだって言ってたから。あなたが電話嫌いだっていうから、本当は毎日だって声が聴きたかったけど、我慢して我慢して2週間、3週間に1回だけ、5分だけって、お願いしてみたの。勿論機嫌が悪くなった時は無理にとは言わなかった。LINEも好きじゃないっていうから、できるだけ控えたよ。「会いに来て」って言わなかったよ。うっかりミスをするたびにあなたがため息をつくから、日常生活も常に気を張って失敗しないように頑張ったよ。

3ヵ月前、そうだね。仕事で手一杯になって、不幸ごとが重なって、精神的に余裕がなくなって、あなたの前で泣いちゃったんだよね。いろいろ、もう限界で、頑張れない、でも、頑張り屋が好きなあなたに、嫌われたくない、って、泣いたね。もうどうしていいかわかんなんくて、助けてほしかったんだけど、あれが、駄目だったんだね。どんなに辛くても苦しくても泣きたくても、あなたに迷惑をかけてはいけなかったんだね。「頑張り屋」じゃない「しっかり者」でもない私は、愛される資格がないんだね。


【頑張れない私は愛されない】


よくもまぁきっちりと、刻み付けてくれたね。

最初から別れ話だったら覚悟できたのに。「嫌いかどうかよく分からなかったからデートに誘った」って。なんだそれ。おかげで覚悟、鈍っちゃったんですけど。もう心がジェットコースター。振り回されて千切れそう。


本当に、本当にずるい人だね。



しかもここまで傷を負わせておいて、
息の根止めてはくれないんだね。



「別れてくれ」って、

まだあなたを愛する私に

言わせるんだね。


それなら最後は、あなたが「好きだった」しっかり者の私で。精一杯頑張って、虚勢をはってやる。あなたに貰った合鍵も、おそろいのキーホルダーも、全部全部突き返す。



「さよなら」



もう二度と、振り返ってやるもんか。



つい昨日のことだ。ただしどれだけ悲劇のどん底にいようが、今日は昨日になるし、明日は今日になる。世界は何にも変わってない。私だけが昨日と、これまでと全く違う感情に取りつかれている、それだけ。

最後の恋になるかも、なんて思っていた。それくらい、心を許せる人だと思っていた。結局はいらん呪いをかけられて苦しむハメになるなんて。もうなんか、酒でも飲まないとやってらんないなぁ、帰りどっかで飲んで帰ろうかなぁ。

気を緩めると、弱っちい自分が顔を出す。

おっといけない、気を引き締めなければ。うっかり者の私じゃダメなんだ、甘い考えを持っていてもダメなんだ、しっかり者でいなければ。

残っていた甘いブラックコーヒーを一気に流し込み、まずは今自分ができることに集中っ!と軽く頬を叩く。きゅっと口を結んで、勢いよく席を立ち、先輩方に心配いらないぞ、とアピールをせねば。





頑張り屋でいなければ、誰からも愛されないのだから。


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こちらに参加中。58日目。



ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。何かあなた様の心に残せるものであったなら、わたしは幸せです。