「来ないで!」の裏側には
「〇〇くんこっち来ないで!どっかいけ!」
「どっかいけ!くるな!」
突然の大声に顔を上げると、複数人から強い言葉をぶつけられて驚いた様子の男の子。その目にはじわじわと涙が滲み、次の瞬間、彼の表情はぐしゃりと崩れた。
新米未熟者の私は、ただ彼らの行く末を見守り、最後に駆け寄ってくる泣き顔の彼を抱きとめ、背中をさすることしかできなかった。私自身が彼らの言葉の強さに【悪意】を感じて、それを正面から浴びたような気がして、20年以上も後から生まれてきた彼らを恐ろしく感じてしまった。
その後泣きじゃくっていた彼は、他に面白そうなおもちゃを見つけたようで、いつものようにニコニコと笑顔を見せてくれた。けれど私の脳裏から、ゆらゆらと瞳が揺れる彼の表情がずっと消えなかった。
あのとき、先輩だったらどういう声をかけたのだろう、と。
帰りがけに先輩保育士へ相談をもちかけた。こういうとき、どこまで大人が介入すべきなのか、それとも辛抱強く見守るべきなのか……叱る、のはちょっと違うような気もするが、他にどういう選択肢があるのだろう。
「その時々の状況にもよるけれど、何より生きてる時間が短い彼らはまだ圧倒的に言葉を知らないの。だから、彼らの言いたいことをかみ砕いて、うまく橋渡しする、っていうのもひとつの視点かな」
そういえば。確かあのとき、強い言葉で1人を責めていた(ように見えた)彼らは、何か言っていなかっただろうか?
座りながらおもちゃで遊んでいた彼らに立ったまま近づいた男の子。しきりに「座って!座らないと遊べないよ!」と言っていた子供たち。だけど男の子は座らなかった。すぐ側に立ったまま、座って遊ぶ彼らを見下ろしていた。
何度伝えても座ってくれない、座らないと遊べない、座らないならあっち行って!立ったままの君には貸さない!どっかいって!
彼らの言葉は悪意じゃない、と思った。
彼らなりのプライドと、正義を。粗削り、手持ちのまだ数少ない言葉でどうにか伝えようとした結果、言葉が棘をまとってしまっただけなのかもしれない。「座って!」という彼らにもこだわりがあったのだろうし、座らなかった彼にも同様に、思うところがあったのだろう。どちらかを諦めさせるでもなく、否定するでもなく、双方の想いをうまく橋渡しできていれば、もっと違った結果が得られたのではないだろうか。
「これもまた、子どもたちにとっても、保育士にとっても経験だね」
こうやって経験を積み重ねて、子どもたちも、保育士としての私自身も成長していくのかもしれない。
自らが抱く感情を、気持ちを押し殺すような生き方はしてほしくない。けれど、その感情をところかまわずぶつけて周囲を傷つける生き方もしてほしくはない。大人のエゴかもしれないけれど。
正義を悪意とみなされないように、伝えたい気持ちをひとつずつ相手に届けられるように。彼らがこの先少しでも生きやすくなるように。
ひとつずつ言葉を、愛情を、伝えていけたら、なんて思った。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。何かあなた様の心に残せるものであったなら、わたしは幸せです。