手を伸ばす理由
どれだけ頭を抱えた所で他人の気持ちなんてものはわからないし、どれだけ慮って接した所で彼らは私の思うようには動かないのだ。当たり前だけれど。
それでも誰かに優しくするのはただの自己満足で、私は彼らに対価を求めた事はないし、求める事もないだろう。
そもそもの話、私は誰かを、他人の事を考えている余裕があるほど強くはないのだ。貧困に喘ぐ遠い国の子供達はもちろん、今私よりもずっと大変な思いをしている人。私よりもずっと苦しい過去を送ってきた人。そんな彼らがいる事はわかっているけれど、私は厚顔無恥と言われようが苦しい時は苦しいと叫ばずにはいられない。
だってそうじゃないか。例えば腹が痛い時に「きっと今自分より腹が痛い人がいるから青い顔をしない様にしよう」なんて事は考えない。私達は真っ青な顔で脂汗を垂らして神に懺悔し許しを請う。
だから苦しい時は周りなんて見ずに苦しいと言って良いのだ。貴方の痛みは貴方にしかわからないのだから。
そんな苦しんでいる彼らに私が出来る事は少なからずあれどそれは私である必要は無くて、それでも手を伸ばしてしまうのは私が私である為の精一杯の足掻きではあるけれど、本当はずっと前から私が必要でない事はわかっている。彼らを救うのは私ではない事はわかっている。
ただ私は彼らの幸福を願う事をやめられない。
どうやら私は情に厚い人間らしい。自分で言うのは恥ずかしいけれど。とかく自分と関わった人間が幸福であってほしいと願ってしまう。自分がとりたてて幸福であるわけでもないのに。幸福な王子かよ。とたまに思う。
私はお節介と言われようと多分この生き方を変えられない。私は自分の事が大嫌いだけど唯一そんなお節介な自分がさして嫌いではないのだ。だからやめられない。余計なお世話だったらごめんな。許してほしい。
嫌だったら嫌だと言ってくれたらやめるよ。多分だけど。善処はするつもりだ。
それでは。