人並みの幸せという言葉。
大嫌いだ。ボンヤリとしていてどんなものなのかわからない。同じ理由でタピオカも嫌い。カロリーに対してのリターンが食感しかないのも意味がわからない。嫌い。
人並みの幸せって言葉解釈が広すぎて何を指しているのかわからないんですよね。よくインターネットで挙げられるクレヨンしんちゃんのヒロシは実はハイスペックみたいな話。みんな聞き飽きてるヤツ。悪口の「豚」に対しての「ブタはキレイ好きかつ体脂肪率めっちゃ低いから悪口には当たらない」みたいなコスられ倒したネタと同じくらい見かけるヤツ。お前の事今日から豚って呼ぶからな後悔も嫌な顔もすんなよ。
ヒロシは身長高くて郊外に庭付き戸建の家と車を持ってて、子供に恵まれて昇進もしている。コレ人並み以上だろ。みたいな話。
人並みの幸せって、なんだ?
定職に就いて恋愛して結婚して仕事も順調に回って子供が出来て幸せ一杯な家族と共に暮らすみたいな話か?なんか泣きそうになってきた。誰か結婚してくれ。
それ以外はカアイソウなのか?という話。人並みの幸せとやらを享受している彼等の苦労や不幸をないものとしているんじゃないかという話だ。そんなはずはないのに。
私は育ちは悪いし頭も悪ければ要領も見てくれも悪い。きったねえ顔面してる。さらに言えば運も性格も悪いし最近肝臓も悪い気がする。確実に人並み以下だ。ちょっとだけ泣いてもいいですかね。
でも人並みの幸せを手に入れたい!!なんて思った事がない。これは私の精神的向上心の欠如が理由ではなくただ単に隣の芝生は青く見える事を知っているからだ。実際に青いのかもしれないけれど。
幸せそうな他人を羨んだ所でどうにもならないのだ我々は。それは恨んでも変わらない。事実なのだ。私が特に前向きというわけではない。
私達はずっと不幸せだったのだろうか。ボンヤリとした輪郭だけを残している幸福をなかった事にしているだけではないのだろうか。
私は特にいい事はないけれど、ちょっとした嫌な事ばかりだけれどそれでも朝出勤時に元気よく挨拶をしてくれる集団登校中の小学生に元気を貰っている。そんな物でいいんじゃないかな。と。
今日は晴れてるしクソムカつくななんて感じる人はあまりいないんじゃないか。好きな音楽を聴いているけどなんかムシャクシャするな。なんて人はあまりいないんじゃないかと思う。
毎日今日も今日とて不幸せ一色だった。なんて思うよりも今日はなんだか上手くいかないな程度にしておくのが良いんじゃないだろうか。勿論強制はしないが。
なんとなく上手くいく。どうしても上手くいかない。そんな日々を繰り返して私達は生きていく他ないのだ。きっと。
いつかやってくる幸福に期待してもいいし、いずれ訪れる死に焦がれてもいい。
人並みの幸せなんてボヤッとした物に焦がれているよりもずっと健全だろう。