理由なんてなかった。
つい要らないものばかり大切にしてしまう。
お土産で貰ったクッキーの空き缶とか缶コーヒーのおまけのオモチャとかAmazonのダンボールとかつまらない理由とか周りの視線とか生きる意味とか。
私はいつも理由を探してしまう。それはやはり私が考え込みやすい性格をしているのが悪いのだけれどどうにも止める事ができない。
どうして自分は上手く出来ないのだろうなんて事をいつも考えてしまっている。もうなんとなく答えなんてわかっているのにわざわざ考えてしまう。
どうして自分は強くないのだろうなんて事をいつも考えてしまっている。もう答えなんて本当はわかっているのに。
私はこれからも苦しむし、ずっと死にたいと思うのだろう。
全部理由なんてないのだ。そんな事本当はずっと前から知っていた。理屈っぽい私は納得出来なくてウジウジと理由を付けていたのだろう。だから言ったのだ。素直にバカだった12歳の頃の方がよっぽど賢かったって。
俺は今3歳なんだけどさ2歳の頃には全部わかってたね。生きることに意味なんてないって。クレイジーワールド。
私はこれからも周りの人間の一身上の都合で振り回されるし、私の一身上の都合で周りの人間を振り回していく。
私は誰かが傷付くのを見て勝手に傷付くし、寂しくなってしまいやすいのは多分きっと治らない。
知り合いには幸せを強要する。自分は程々に損をしていく。理由なんてない。そうしたいから、そうなってしまうからだ。
不幸を望み選び取るように見える彼女もきっと理由なんてないのだろう。好きな物を先に食べるか後に食べるかの違いとそんなに変わらない。
事実は小説よりも奇なり。当たり前だ。私達は整合性を第一に生きてなんていないのだから。
結局私たちはやっぱり自分の事しかわからないし、自分の事もそんなにわからないままなんだろう。
なんのために生まれて何をして喜ぶのか。なんて知るかよ。私達は多分それを知るために生きてる。知らんけど。
幸か不幸か世界は私が思っているよりもいい加減に回っているみたいだ。
明日はラーメンを食べよう。
今住んでいる家の近くのラーメン屋の白味噌ラーメンは絶品だ。6年前から知ってる。でも理由は知らない。