第三夜

こんな夢を見た。
 少女を負ぶっている。それはまるで眠っている様に身体を私に預ける。しかし寝息は聞こえず、その無機質な冷たさがゆっくりと腕に吸い込まれて行くのが分かった。その顔は余りにも美しくそして誰にも似ていなかった。
 周りは更田であった。代わり映えのしない景色の中、少しずつ夕闇は広がり烏の鳴き声だけがいやに鮮明に聞こえていた。
「ほら、田んぼに差し掛かったよ。」
後ろにそう告げるも、返事はなかった。
すると、烏の二、三羽が飛び立つ音がした。
 自分はどこに行くのだろうか。
ふと前を向くと遠くの方に大きな山が見えた。平野の中にポツンとあるその山を何故かとても気高く感じた。
「あそこに行こうと思う。」
やはり返事はなかった。
少女の身体はやけに軽く、その足は少し力を入れたら折れそうな程細かった。あの無機質な冷たさだけが私に少女を認識させていた。
そして落ちない様、もう一度しっかりと背負い直し山へと歩を進めたのだ。
山までの平坦な一本道を黙々と歩いて行く。麓にたどり着く頃、あたりは完全に夜の帳が下り、叫び出したいほどの闇と静寂が周囲を覆っていた。
真上に浮かぶ青い三日月は足元を怪しく照らし、進むべき道を提示している様に見えた。
また歩を進める。さっきとは打って変わって曲がりくねった道が続く。寸前まで雨が降っていたのかと疑うほど地面はぬかるみ、顎から汗が何度も落ちた。
いったいどれだけの時間進んだのだろうか。
一度立ち止まり息を整える。そこで、ふと道が二股に別れていることに気づいた。一つは今までと同じ様に曲がりくねり、ぬかるむ道。
もう一つはそこから外れるようにある道であった。道幅は狭く、木々が覆い、より深い暗闇を築いていたが土は乾いており真っ直ぐに続いていた。
獣道だろうかと近づくと、その入り口に膝下位の小さな石柱がポツネンと立っていた。
【コノサキオオカムヅミノキ】
 ここを進んだら間違いなく生きては帰れぬと直感的に感じた。急にこの獣道が口を開けて獲物が入るのを待つ大蛇の様に見えたのだ。全身から汗が吹き出す。正気を保てたのはあの無機質な冷たさのおかげであった。もしこの少女がいなければ、私は
 嬉々としてこの道を進んで行っただろう。
この道を進まなければならない、この道以外ない。そう思わせるほどの不思議な魅力があったのだ。
いつ着くかも分からぬ道を歩くよりもよっぽどマシだと思えた。
私はゴクリと唾を呑み込み獣道へと入って行くことにした。
一歩また一歩と進むごとにその暗闇は消えて行き、代わりに灰色の景色が広がる様になっていった。
途中、自分の肩口が濡れている事に気づいた。
 少女の涙であった。
 今までと変わらず寝息一つかかないが、閉じた二つの瞼から大粒の涙を流していた。
「ここまで何もせず負ぶってやったのになんだ。」
そう悪態をつくが少女は答えない。
だが、不思議と自分は少女の行動に怒りの感情は覚えなかった。
ふと、昔外国の小説で見た致死性退屈症という言葉を思い出した。どんなものであったかは思い出せない。興味も無かった。
しばらく歩くと開けた場所に出た。
大きな桃の木が一本立っているだけの野原であった。
「その桃の根の所まで行って。」と少女が言った。
「わかった。」と思わず答えてしまった。
「あなたが生まれてこれだけの事があったのね。」
自分はこの言葉を聞くや否や、父や母、友人、お世話になった先生達の姿が脳内に浮かび上がってくるのを感じた。
今まで生まれてからこれだけの人に関わり、愛されてきたのだという自覚が、忽然として頭の中に起こった。俺は幸せだったのだなと始めて気がついた途端に背中の少女が石地蔵のように重くなった。

私はゆっくり足を持ち上げ足元にある熟れた桃の一つを踏み潰した。その瞬間桃の木も少女も消え、目の前に洞穴が現れた。

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