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自己を肯定しないという自己防衛

私はノートや鉛筆を使い切った事がなく、中学高校と6年間学んできた英語はろくに読めず、読める漢字は多くとも書ける漢字となるとガクンと少なくなる。

自堕落でズボラで料理は出来ないし、消化器が弱い癖に酒ばかり飲んでいる。あと痔だ。

4年前までは自分でもビックリするくらい仕事が出来ず、3ヶ月くらい同じ班の人にシカトされていたほどだった。

考えれば考えるほど自分という人間の愚かしさが湧いて出てくる。

そんな自分にとって自己肯定というのはとても難しい。きっと自分だけではないのだろう。

そんな自分にとって、恥ずかしく情けない話だが「恵まれていない」という事だけが拠り所だった。それは容姿であったり、環境であったり。

唯一恵まれた物は友人くらいのものだろうか(本当はそれで十分過ぎるのだろうけれど)。

思春期に自己の確立に失敗したばかりに大人になってからこうも言いようのない息苦しさに苛まれるとは思ってもいなかった。

「だって俺は恵まれていないのだからしょうがないだろ!」なんて言える筈がないし。まあ言ったところでどうにもならないけれど。

"全ての不利益は当人の能力不足で説明がつく"なんて事を書いてある漫画があったけれど実際にそうだったらどんなに楽に生きる事が出来ていたのだろうか。能力があれば不利益を被る事がないなんて事が約束されるのなら。それはそれで大変なのかもしれないが。

自分の能力に見合わない自尊心と自意識ばかりが不気味な程大きくなってしまい、それを制御できないままフラフラと見苦しく生きている。(いつか虎になってしまうかもしれない。がおー。)

最近はもう自分に期待をしない様にして嫌な事があっても「まぁ俺だし人生こんなもんだろ」なんて自己防衛にもなっていないノーガード戦法で心身を擦り減らして騙し騙しやってきているけど殴られていないのはもう既に満身創痍だから相手が気を遣っているからなのだろう。

私は明日も「誰か救ってくれ」なんて情けなく具体性も主体性もない、叶うはずもない希望を抱きながら形の無い幸福を探すことも無く、過去のわかりやすい不幸を抱き締めて生きていくのだろう。自らの愚かさに胡座をかきながら。

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