焦がれていたはずだった
死ぬ事は出来ないでいた。
生きるということは辛い事が多過ぎるように思う。悲しい事が多過ぎるように思う。俺はもうずっと前から自らの死に焦がれている。
毎晩のように不安から逃れる為に酒を飲んでいる。逃げ切れたことなどないのに。馬鹿らしい事この上ない。
俺は俺という人間が大嫌いで、いつだって何かに生きる事を許されていないような気がしている。名前も姿も知らない何かに。自罰的である事が美徳ではないことなんてとうに知っているけれどなんだか傷付いていないと生きていてはいけないような気がしている。変な話なのはわかっている。
不幸である事をアイデンティティに据える事のみっともなさは知っているけれどどうか吐き出させてほしい。
先日。私は命を絶とうとした。それは日頃の不摂生や休養不精がたたり風邪をこじらせ、自分を自分たらしめていた仕事がうまく出来ず、職場で気を失うという事がキッカケだったように思う。もともとプライベートは上手くいっていなかったし拠り所を仕事に求めていたのが良くなかったのかもしれない。
私は深夜コンビニの駐車場に車を停め、普段悪酔いするから買わない缶チューハイを買い、近くにある踏切に向かった。終電はとうにすぎていたけれど貨物列車が度々通るのは知っていた。
踏切の近くに腰を掛けて私は缶チューハイを煽るようにして飲み、これが最後の一服になるかもしれないな。と思いながらタバコを吸って踏切が鳴るのを待っていた。
何本目かのタバコに火を付けた頃、けたたましい音と共にユラユラと頼りない遮断機が降りた。私は何を考えて立ち上がったのか。何を思って遮断機を乗り越えたのか。あまり覚えていない。
重苦しい顔をしていたかもしれない。案外晴れやかな気持ちだったのかもしれない。それでも私はあと一歩を踏み出せず今まで見たこともない近い位置で貨物列車が走り去るのを見ているだけだった。
眼前を猛スピードで走り抜ける命を奪うには十分過ぎる質量を持った貨物列車を見送った時、私は堪らず嘔吐した。それは普段飲まない缶チューハイのせいだったかもしれない。踏切の機械に手をついて何度も吐いた。胃液しか出なかった。もう2日何も食べていなかった。
涙で滲む視界に見えたのは自分の吐いた血の混じる胃液と不味い缶チューハイの空き缶だった。
ボンヤリとしてきた頭で何度も死ねない理由を考えた。臆病だからか。まだ未練があるからか。未だに希望があると思っているからか。
答えは出なかった。
せっかく部屋を片付けてきたのにどうやら無駄になってしまった様だった。
あれだけ焦がれていた死に手を伸ばせなかった事が情けなくて堪らず涙が止まらなかった。
私は家に帰って綺麗になった部屋を散らかした。時間も気にせず力の限りに部屋を荒らした。本棚は倒れテレビは割れて、気に入っていたシャツはゴミ箱に捨てた。
部屋は今もそのままだ。
今の私にはそれくらいが丁度いい。
部屋が散らかってる内は死なないだろう。