簡単に「立ち止まろう」なんて言えないけど、それを伝える責任がコーチにはある。
「立ち止まろう」
人生に悩んだりした時に、「いったん立ち止まってみたら?」なんて言われた人は多いのではないだろうか。立ち止まってみると、今まで見えなかったものが見えたり、感じられなかったものが感じられるようになる。高速道路を走っていたら周囲の景色は見にくいけど、サービスエリアにはいったら、連なる山々や空気を堪能することができる。
ただ、簡単に立ち止まるなんて言えない機会に、最近多く遭遇する。立ち止まったら、いろんなことが変わってしまう。頑張れなくなる。今まで大事にしたものを失うかもしれない。それこそ、生存の危機。相手が立ち止まることの怖さと難しさに共感せずして、「立ち止まろう」なんて言えない。でも、コクライアントが立ち止まれるように促さずには、コーチとしていられない。だから、コーチには責任がある。クライアントの人生に多大なインパクトを与えていることを自覚しないといけない。
そんな想いを、このnoteに記してみたいと思う。
立ち止まるとは
ピーター・ゼンゲの著書『出現する未来』では、今までの視点を「保留」すること、といった記述がなされている。
「〜しなきゃいけない」
「〜したほうがいい」
といった思い込み、前提を横に置いてみて、フラットな視点で自分とその周りの出来事をみている。「働かなきゃいけない」と思っているのであれば、「働かなきゃいけない、という前提がない世界」を想像して、そんな世界があるとしたら何ができるのか考えてみることなのかもしれない。
立ち止まると見えてくるモノ
立ち止まって視点を保留してみると、いろんなことが見えたり、感じられるようになる。心理学の世界では、「モンスター」「シャドー」なんて行ったりもする。自分の心の中にいる「モンスター」が暴走して、自分にとって不本意な現実が起きたり、心から望んだ生き方ができなくなったりする。
自分の内面を見つめてみると、「みたくない自分」がたくさん見つかる。自分のことをダメと言っていたり、「できないと自分は一人ぼっちになるから、頑張らないと」と思って頑張ってきた自分を見つけてしまう。
そんな自分のドロドロしたところに触れると、「変わりたい」という願いが少しずつ生まれるけど、願いが出てくるたびに怖くなる。
なんで怖いのか?
今まで原動力にしていたものがなくなるかもしれない。
周りから人が離れていくかもしれない。
働けなくなるかもしれない。
大事な人を傷つけるかもしれない。
大切だと思っていたものを失うかもしれない。
事業を背負っている人は、もっと怖さと責任がある。
自分がエネルギーを出せなくなることで、事業がストップするかもしれない。なくなるかもしれない。雇用が守れないかもしれない。組織が崩壊するかもしれない。家族を養えないかもしれない。命がなくなるかもしれない。
責任を負っている人ほど、「立ち止まる」ことへの怖れとその行動への責任は大きすぎる。だって、立ち止まることで自分だけではなく、他の人の大切なものまで失わせるかもしれないから。
だから、コーチとして簡単に「立ち止まれ」なんて言えない。何も考えずに口にできない。したくない。
クライアントの人生に多大なインパクトを与えている
でも、クライアントが立ち止まれるように促さずには、コーチとしていられない。本当に心からのぞむ自分であるために、立ち止まって自分のドロドロしたところに足を突っ込むことが不可欠。今までのエネルギーがなくなるかもしれない、そして働けなくなるかもしれない恐怖を感じながら、ブレーキをかける必要が必ずある。
だから、コーチには責任がある。クライアントの人生に多大なインパクトを与えていることを自覚しないといけない。立ち止まることによる怖さを感じているのを、クライアント一人にしてはいけない。働けなくなることが悪いことではないけど、そのリスクを和らげてあげる安心感づくりを、全力でサポートする必要がある。
「大丈夫です。一緒に立ち止まりましょう」
クライアントの恐れを分かち合った上で、心からこの言葉を届けられるコーチに、僕はなりたい。
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個人としてもコーチとして活動しています。
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