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“心配症”を飼い慣らす旅の道中〜マレーシア🇲🇾Kuala Perlisにて〜
作家の平野啓一郎さんが、その作品や論述の中で、「個人」に対応する言葉として「分人」という言葉を提唱している。
僕は、多くの部分で、この考えに共感できる。
自分自身の中に、統一されているとは言いがたい「複数の自分」がいる、ということは、時折感じることがある。
「分人」については、ここで多く語れるほど深め究めていないので、話題にするのは改めての機会にさせていただくが、旅をしている最中に感じた?気づいた?自分自身のいくつかの「分人」について話してみたい。
α 好奇心の赴くままにやりたいこと全部やりたい「分人α」
β 心配症で怖がりで危険や不快を全力で避けたい「分人β」
γ ゆっくりゆったりダラダラのんびりしたい「分人γ」
Δ 物事や気分を切り替えるアイデアを考え試し実行するのに喜びを見いだす「分人Δ」
Υ美しさや心地良さなどの感覚を五感で味わうことへの欲求の強い「分人Υ」
ζ 他者の喜びや嬉しそうなレスポンスに大きな喜びを感じる「分人ζ」
自分自身で意識できるものだけでも「6分人」が存在する。
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僕にとっての旅は、計画スタート段階では、分人αと分人Δが前面に出ている感じだと思う。
どの分人も旅においては必要不可欠で、特に分人βは、危険回避において大切な存在だ。
ただ、”心配症”な分人βは、旅の際にあまりに優位になり過ぎることで、行動の足枷になってしまうことが、これまでも度々ある。
心身が疲れている時に分人βは前面に出てくることが多いが、ネガティブ情報ばかり調べてパワーを減退させてしまうこともある。
天気予報なんかもそのひとつ。
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「気にせず出掛ける」(傘持って!)という、分人Δが前に出ることで、街歩きを楽しもう。
時に心配症な分人βを飼い慣らしつつ、旅を続けていく。
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クアラプルリスにて