【ショートショート】貧民街の彼女
貧民街の彼女の家は本当は低所得でもなかった。ただ、父が将来の住宅供給過多を予測し絶対に価格低下をするはずだからと、中流層が住む地区よりもかなりお手頃価格で住める地区に住んで得がしたかっただけだ。
結局の所、父は激安の洋服店に行くと着もしない枚数の服を全色や全シリーズ揃えないと気がすまず、余分な服を自慢気に同級生や親族らに配ろうとしがちだった。
母は彼女の幼児期は、貧民街の追い剥ぎめいた隣人達が訪ねてきては、服や食品や物品を貰うねーっと出ていく日々に心を病んでいたし、流産と同時に退職して専業主婦になったことを後悔している自覚が無いまま、2人の子育てに行き詰まっていた。それでも保育園に預けることが悪いことだと信じて疑わなかったので、重い鬱で長期入院をしていてずっと彼女と兄弟は親戚の家に預けられていた。
その後、半ば強引に退院するも、通院費や薬代が相当かかったし、日々の節約とは裏腹に催眠商法にひっかかっては、布団や粗品を次々と増やしていた。もしかしたら、世が世ならシャーマンとして活躍していたかもしれないよね、と気休めに考えたりしていた。
この両親の安物買いの銭失いな習慣をやめてくれたら、どんなに心安らかに暮らせるだろうと彼女は思っていたが、無理そうとわかると反面教師として深い学びを得るしかなさそうだなと諦観していた。
学校に上がると勉強はすぐに軌道に乗ったが、なんとなくあまり勉強ができない子達からマウントを取られる感覚があった。試験前に気合を入れて勉強をしようとすると緊迫した空気を感じ取った母が、急病や怪我や事故を起こして混乱状態に持ち込むのが常となったが、隙きを見て勉強し満点やそれに近い点数をおさめたし、授業態度や提出物や出席日数も完璧であったので通知表を楽しみにしていたが、いつも惨憺たる評定だった。
学年が進むと、もしかして、将来が無い子という位置付けなのかなと思うようになった。高校受験の模試では学区1番手も県内1番手も合格圏だったが、担任によると2ランク下の学校しか出願は難しいだろうという説明だった。
高校に入ってからは全体的にやる気を失ってしまい、評点を全部捨てて部活と模試の勉強を少ししかしなくなっていたので、辛うじて現役で4大に滑り込み合格をした。クラスの殆どの女子は女子短大か看護専門学校に推薦合格を貰っていたので、定期テストの成績がひどい私に勉強を見てあげようか?と心配して声を掛けてくれる子もいた程だった。
大学に合格してからファミレスやスーパー、塾、家庭教師、喫茶店などのアルバイトの掛け持ちやサークル、就職勉強会の活動、友人との遊び、教職課程、彼との交際、彼のバスケ部OB会活動の付き添い、ゼミの準備、ゼミ生との交流などはどれをとっても彼女には簡単に思えた。
彼女が着ていた服は、明らかに富裕層の友人が着るブランド服に見劣りしていたのに、ファストファッションが流行る前から存在していた3千円程度の洋服が逆に珍しくて誰とも被らなかったので、馬鹿にされることもなくすごせていたのがありがたかった。
そしてなぜか彼女は山の手の資産家の家の劣等生みたいな人達から気に入られやすかったので、ちょっと困っていたし、無駄に嫉妬されることも多くなっていた。
彼女の実家は予想に反して地価が高騰してから引っ越さざるを得なくなり、閑静な住宅地の中のひどく狭い物件に引っ越しをしていた。
ただやはり住居に関する格差は物凄いものがあり、さすがに温和な友人知人や彼も(こんなに狭いんだ!)と驚いた顔を隠せなかった。
「面倒だな。」と彼女は思った。
自分で努力して積み上げたものでもないのに、人は一々プライドを持って見下してくるのか。それは少し考えすぎだったかもしれないけれど、一緒に生活をしていきたくないなと考えて、もうその時にこの彼とは別れることを決めていた。