辞書的なものの魅力
子供の頃から辞書が好きだったし、家にも一般的なものは揃えてはいたけれど。小学生頃に書店でポケット版の国語辞書を見かけてからは価格もお手頃で迷わず購入。
あまり贅沢はできなくて本も課題図書程度を購入して基本は図書館から借りて辞書位は買って良い家庭だった。
携帯もスマホもウォークマンも普及していなかった時代に、その持ち運び易さから、給食配膳待ちの時間帯にパラパラと気になる言葉を見つけては、まるで食事の前のお祈りかのように読んでいくのが大好きだった。
コンパクトながら数万語程度は掲載されていたかもしれないと思うと、結構すごいなと思うし、作成者側のご苦労もあったのだろうなと感心する。
その後も人物だったり故事成語、英和和英、漢字、古文、第2外国語、スペイン語、現代用語の基礎知識みたいなものを買って利用したり、英英は買わなかったけれどマニアックな地名など調べたいときには図書館の超分厚い辞書も使ったり。斡旋図書から家庭の医学や山野草の本、父と百科事典も置いちゃおうということになって、イラストや写真や説明を読んでいたものでした。
当時、売場で任天堂と言えば花札やトランプだったように、コンピューターの発展までは時間を要しており、ネット検索が出来る前は紙の重い辞書を鞄に詰めて行くしかなくて、雨の日は大変だった。だから電子辞書の出現は衝撃的だったし、アプリも充実してきたなぁと思う。
最近また、子どもの学校で類義語やコロケーション辞典も必要と聞いて、久しぶりに購入。ランダムハウスも良いらしいというので、アプリを入れて語源を読むのが最近の楽しみになっている。