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『レジェンド 狂気の美学』イーストエンドと家族の”呪い”
60年代ロンドン―スウィンギン・ロンドン―。
双子のマフィア。
主演:トム・ハーディ。
そんなラインナップでお送りする『レジェンド 狂気の美学』。
もうね、萌えの暴力でしょ、って思った。
こんなロンドン、60年代、双子、マフィア、トム・ハーディ。萌える属性ばっかり詰め込まれているじゃないですか。
それでわたし、ウキウキ気分で見に行った。これは萌えるぞーハートきゅんきゅんだぞ~!!って。
結果、萌えるどころか色々トラウマ刺激されて大泣き。
もう、号泣。
観劇後二時間はつらくて辛くて悲しくって、もう死にたくなるほどのバッドトリップ。
一体何を見てしまったのか?
それを語るためには、イーストエンドについて語らなければならない。
『レジェンド 狂気の美学』
1960年代初頭のロンドン。貧しい家庭で生まれ育ったレジーとロニーのクレイ兄弟は、手段を選ばないやり方で裏社会をのしあがり、アメリカのマフィアとの結託や有力者たちとの交流を深めることでイギリス社会に絶大な影響力を及ぼしていく。
そんな中、部下の妹フランシスと結婚したレジーは彼女のために足を洗うことを決意し、ナイトクラブの経営に力を注ぐようになるが……。
60年代のロンドンは、全部が華やかなんだと思っていた。
スウィンギン・ロンドンと呼ばれ、ビートルズにツィギー、マリークワントなど音楽やファッションに影響を与え続ける彼らの出現、ソーホーにあるカーナビー・ストリートではモッズ文化が花開き、若者はみな浮き出しだっていた。
でも、いつの時代でも全員が裕福さを享受できるわけではなかった。
その裏側、イーストエンドでは貧困にあえぐ人々が暮らしていたのだ。
イーストエンド。
切り裂きジャックが現れたのもこの地域である。娼婦など、労働階級の中でもお金のないものが住むのがこの地域だ。
レジェンドの主人公、レジーとロニーが闊歩するのも基本的にこの地域だが、いやぁなんといっても華がない。地味。地味な土地に住んでいるのは、一癖も二癖もある住人達。彼らは刑事には口をつむぐが、ギャングには協力的だ。
きっと、貧困の中彼らに有利に働くのは、国家権力よりも裏社会なのだろう。
イーストエンドで貧困から抜け出すのには、ボクサーになるかギャングになるかしかない。
レジーとロニー兄弟はギャングを選び、そしてのし上がっていった。物語は、彼らがすでに東ロンドンを掌握し、名を馳せたところからはじまる。
このとき、すでに兄弟は光と闇に分かれていた。
兄のレジー。ガラが悪そうな方。その頭脳を使ってナイトクラブを経営し、さらに美しい女性、フランシスと交流を深め、結婚のためギャングから足を洗うことを決意。クラブ経営のみに意識を集中しようとする。
弟のロニー。メガネの方。傷害罪で禁固され、兄と引き離されたことをキッカケに精神を病み言動に落ち着きがなくなる。同性愛者であることを堂々と口外し(当時のロンドンでは同性愛は禁止されていた)男の恋人を連れ歩き、凶暴なギャングでいることに固執する。
この2名をトム・ハーディひとりが演じているのだが、もうすごい。
完全に別人。同じ顔なのに、別人に見える。精悍な佇まいのレジーと、落ち着きのないロニーを見事に演じ切っている。
しかも兄弟ゲンカのシーンとかあるんだけど、臨場感凄いしとてもホントはひとりしかいない、と思えない。
どうやって撮影してるんだ? これ。
そしてもうね、完全にアレだよ。
確かに物語が開始するまでには、2人の間には確かな絆があったんだと思う。でも、今や完全に方向性違う。
バンドなら音楽性の違いで解散するレベル。しかし彼らは解散できない。
血で結ばれた、双子だからだ。
双子、ああ、双子。
わかりますか、この呪いにも似た境遇が。
双子といえばよく創作のネタにされ、『二つで一つ、一つで二つ』などそんな感じの話が多いけれど、現実で起こったらそれは悲劇にしかならない。
双子といえどちがう人格を持ったひとりの人間。しかし、同じ顔をもち、同じ境遇で育ったヤツがもうひとりいる。
そいつはわたしと全く同じ状況のはずなのに、わたしと別の人生を歩んでいる。なぜ、そいつには友達がいるのにわたしにはいない。なぜ、そいつは技能を持っているのにわたしは無いんだ?
なにをわかったことを言うのかといえば、わたしもまた、双子だからだ!
正直、期待外れだった。スウィンギン・ロンドンの華やかさやギャング・スターの鮮やかさを期待していたんだが、画面は地味なイーストエンド、スウィンギン・ロンドンを謳歌する若者はフランシスひとりしかいない。
フランシスの可愛らしいファッションだけが画面の華だ。
ギャング・スターの鮮やかさも序盤だけで後半はすれ違うも離れられない哀れな双子が描かれる。
双子のギャングが小粋にアクション! を期待していた身としてはガッカリなのだか、同じ双子として、このすれ違いが身に染みる身に染みる……
ついに問題は大きくなり、ロニーが実家に隠れたとき、レジーは母に言われる。
『おまえたちはただの兄弟じゃないんだ。双子なんだよ。なにがあっても、片割れは片割れを守る。レジー、ロニーを守っておやり』
良い言葉だなぁって思いますか?
ふふ
なぁにがただの兄弟じゃない、だバカヤロー!!!
なにが絆だよこのヤローーー!!!
そんなの、ただの呪いだよっ!!そう悪態をつきたいぐらい、レジーはロニーのために色んなものを失った。二人が一緒のモノでいるためには、何かが削れていくのだ。
この母がまた、兄弟が2人一緒にいるのならばなんでも許してしまう。貧困家庭にありがちな放置親。いけないことはイケナイと、教えてくれればこんなことには。こんなことには!
イーストエンドという場所で、すでに孤独ではない状態で生まれた双子。
数多の貧困と苦難を乗り越えてきた兄弟。もう、離れられないに決まっている。成長し、違う道を志しても……
そして、絆だとか、家族だとか、双子だとか。
そんな言葉で覆い隠された、レジーの気持ちが最後の最後、セリフとなって現れる。
レジーがロニーにささやいた言葉は、どこまでもどこまでも、どうしようもない変えようのない感情をまさに射抜いた言葉だった。
その言葉を聞いたとたん、わたしの覆い隠された気持ちも暴かれ、どうしようもなく号泣してしまったのだった。
親兄弟のことを愛している。でも、なんだか違和感があるな。
そんな人はぜひ一度ご覧あれ。もしも、退屈に思ったり、トムハの演技などに関心するならきっと貴方はまだ大丈夫。
号泣してしまった人は、涙と一緒にじぶんの気持ちが落ちるだろう。そして、こんな風に描かれてもいいんだ、わかってくれる人がいるんだ、と癒されると思うので。
ちなみに、このクレイ兄弟のことは殺人博物館に載っている。
それだけで兄弟の行く末、しでかしたことがモロバレなのだが興味ある人は見てみてね。
『レジェンド・狂気の美学』とコラボしている『シリアルキラー展』観覧記事はこちら。