コロナ元年にADHD息子が小学1年生になった親子の世界③
こんにちはあちゃもです。
シリーズ③は夏休み明けの登校から個別支援級への正式転籍までの話です。
「一度対面でお話がしたい」
夏休み明け、前期同様に個別級と普通級を行き来しながら学校生活を過ごしていました。安定しているように見えたものの、学校からは早々に「一度現在の状況について対面でお話がしたい」との連絡。私は「早いな、まともに学校に通って3か月も経たずに結論出されるのか」と覚悟はしていたものの驚きました。
学校への不信感
学校では現在の様子について以前電話でよく聞いていた内容と同様なものの、さらに事象を細かく説明されました。そして普通級で過ごすことの難しさと個別級へ転籍する事のメリットも。
入学前の2月ごろに「就学前相談」で学校へ両親で赴き息子の特性を学校の支援員へ伝えていました。担任に「就学相談時に伝えていたので前提条件のもと指導があっていると思うが具体的には何をされたのか」の問いに担任は「え?そうなんですか?」と就学相談の事実が引継ぎされていませんでした。
驚きましたが瞬時に悟りました。「あーあれは形式だったのか。相談したら支援が入るのではなく、相談を学校は聞いたという事実が必要だったのか」
その事実を紐解いても息子の現状は変わらないので、「息子がどうやったら学校で困りごとを抱えずに過ごせるのか」にフォーカスして考えるように努めました。
支援級への転籍を受諾
相談日以降は個別級でほとんどの時間を過ごし、書類関係の手続きを完了させ年末前には正式転籍となりました。
転籍の際に個別級では個々の特性に合わせた学習が可能とのメリットがあったため、息子の学習意欲を満たしてもらえるだろうと期待していましたが結局は学習指導要領を超えた学習は出来ないとの回答。
息子は漫然と1年生の簡単な足し算引き算のプリントを何十枚もやるのでした。
支援級には1年生から6年生が在籍しており担任は1名。担任は1年生向けの授業をするので息子が進級しても毎年1年生の授業をされるのかと来年以降の不安がよぎりました。
あきらめと割り切り
疑問や疑念も本当に多くありましたが「学校には期待しない」「学校は息子が社会性を学ぶ場所」「楽しく過ごせればそれで良い」と割り切って考えるようにしました。
先生も学校・市・国の大きな組織の一員なので、仕組みの問題を個の先生を責めるのは違うと思います。
私ができるのは、学校以外で息子が思い切り没頭できる世界を一緒に見つけていくことです。そのために私は仕事のブレーキを躊躇なく踏むことができました。
仕事を辞めた
学校教育について当事者として真剣に考えたり、自分の人生で大切なものはなにかを考えさせてくれました。
コロナで環境や価値観、固定観念が大きく変わった年。常に仕事を優先し隙間に子供に関わっていたような気分でしたが、自分の人生の舵取りを仕事、他人から取り戻し再び人生の主人公になった気分です。
「こどものため」「家族のため」ではありません。自分のためにです。
だって人生の主人公は自分なのだから。
最後までお読みいただきありがとうございました。