かなえたい夢|10年越しの想いが、今 やっと 〜自分軸で生きる人を増やしたい〜
こんにちは、あちゃです。
私は今32歳で
3歳の娘の母をしていますが
そんな私にもかつて
“かなえたい夢”がありました。
今日は、その夢の話をしようと思います。
私の夢
―――2014年 4月。
私は、初めての“社会人”に
胸を躍らせていた。
就活を経て着こなせるようになった
リクルートスーツを着て入社式へ向かう。
私は、広告会社に就職した。
入社1ヶ月は社内で研修があり
研修最終日に、配属部署発表があったのだが
私は不本意ながら
「新規事業部」に配属されることになった。
新入社員が13人いるうち
みんな、行きたい部署に決まっていく。
私がきっと行くだろうと思っていた部署には
呼ばれることはなかった。
「新規事業部」
真新しい響きで、
人によっては光栄なことだと思うだろう。
でも、その当時の私には、負担だった。
先輩社員も初めてのことだらけだし
誰かから学ぶ、というよりも
自分でどんどん開拓していく部署だということは
すぐに悟った。
不安だった。
不安で、みんなの前で、泣いた。
それでも、現実は変わらない。
そうして、私は新規事業部として
ある町の地域誌を作ることになった。
覚悟を決めた私は
それからの毎日が充実していた。
日々、飛び込み訪問中心の営業で
正直体も心もズタボロだったが
それでも仕事が楽しかった。
地域誌ということもあり
地元の小規模事業者たちと仲良くなる機会も多く
仲良くなるにつれて受注も増え
信頼していただけているなと思った。
そんな中、
私は何人もの女性起業家さんたちと
出会うことが多かった。
その方達は、とても希望にあふれていて
自分のやりたいことを仕事にして
自分で作り上げるお店を持って
私にはとても輝いて見えた。
しかし、そんな女性たちも
日々の仕事に悩み
自身の身体の不調に悩み
子育てや親の介護に追われ
心も体も蝕まれているのが私からもわかった。
支えたかった。
でも、どうしたら支えられるのかが
全く私には見当がつかなかった。
そんなこんなとしているうちに
廃業をお知らせするメールが来て
私は無力だな、と思った。
いつしか私は
こんな気持ちを抱くようになっていた。
―――もし、私が吐き出し口になっていれば
少しでもあの人たちは救われただろうか?
彼女たちを救う術はあったのだろうか?
そんなことを考えるようになってから
私はある夢を頭の中に描くようになった。
女性を支える仕事がしたい。
あらゆる場面でライフステージが変わる女性は
どれだけ企業が努力をしようと
どれだけ本人が努力をしようと
いつか必ず壁がやってくる。
そんな壁にぶち当たった時に
私に何かできたなら。
そして、私自身も同じ女性として
自分のために備えを持ちたいし
経験をお互いにシェアできる場があったなら。
動いて、考えて、動いて
私は、一度思いつくと止まらない性格である。
当時の私は、
相談カフェみたいなのができたらいいのかなと
ただぼんやりと考えていたが
ぼんやりと考えるだけでは済まず
具体的に色々調査してみることになった。
どうやら、カフェ経営は厳しいらしい。
カフェと言っても
私がやりたいカフェは特殊だ。
どう収益化していくかもわからない。
ならば、もっと違う形で
何かないだろうか。
そんな時、私にある声がかかった。
「エステで独立、してみない?」
私は、フェイシャルエステのお店に通っていた。
そこは全国規模のエステ店だったが
私自身はエステをする側の経験がない。
は?何言ってるの?
と思ったが
これはチャンスかもしれない、とも思った。
そこでは、会社の定める研修があり
研修にクリアすれば
業務委託として
エステティシャンデビューができる。
そして、ゆくゆくは
自分のお店が持てるというのだ。
エステで安定的に稼げれば
自分はワークライフバランスを整えながら
そこに来る女性を元気にできる。
これ以上の幸せはないんじゃないか?
そう思った途端に
私の心は決まっていた。
「私、エステティシャンになる!」
結局それから
かなり多くの人からの反対もあり
すぐに会社を辞めることはできず
それでも諦められなかった私は
結局 反対を押し切って
社会人5年目に差し掛かろうという春に
退職してエステティシャンになった。
しかし、そんな夢も
儚く散ってしまうのである。
私には、抜群に接客センスと
エステの集客センスがなかった。
叶えたい夢、揺れる気持ち
でも、諦めなかった。
常に“私のやりたいこと”を
周りに言うようにしていたし
そうやって自分をあえて追い込んで
叶えなくてはいけない状況にした。
そして幸いにも
このエステ店の方針で
最初のうちは友人誘客から
と決まっていたので
私のお客様となってくれる
友人が何人か集まってくれた。
正直、友人誘客は、苦しい。
それをきっかけに
たくさんの人が私から離れた。
それでも、私の叶えたい夢は
女性を支えていくこと
だったから、諦めなかった。
今は価値がわからなくても
きっといつか気付いてくれる人が
現れると思っていたから。
そんなこんなで週6〜7日の
朝9:00から働き
日によっては22:00や23:00まで
とにかく技術力アップと集客に
力を注いで頑張った。
オーナーとたくさん話し合って
自分の内側にもたくさん向き合った。
時には大泣きしたし
自分の見たくない部分をたくさん見た。
それでも私は頑張れた。
叶えたい夢のためには
“私の努力が足りないからだ”と
自覚していたからだ。
誰になんと言われようと
何があっても
信念だけは曲げたくなかった。
対価
エステティシャン2年目の秋
私は、結婚した。
私が構えていた“ライフステージの変化”が
ここで目の前にやってきたのだ。
結婚を機に、23:00まで働くのは辞めた。
それでも、週6〜7日勤務は辞めず
夫に収入を明かしてはいなかったが
私の働きぶりを見て
彼はどうやら勘違いしていたらしい。
彼から見れば、私は
「きっと月収30万くらいは余裕でもらってるだろう」
と思っていたらしい。
しかし、現実は違った。
こんなに頑張っていても
結局は成果報酬の業務委託契約。
お客様が来なければ
売り上げが上がらなければ
当然、収入も上がらない。
私は、努力していた割には
結果が全然出ていなかった。
オーナーとたくさん話し合ったし
誰よりも行動量はあったけど
なによりもセンスがなかった。
集客が全くだったのである。
2年目になれば
もっとお客様対応が増えるかと思えば
結局は自分だけの力で集客。
老舗とも言われるそのエステ店の名前は
40代以上の女性が
マイナスイメージを持っているということが
集客活動をしていてわかった。
だからといって
20〜30代が“手軽に”出せる金額でもない。
私は、自分が通っていたから
もっと集客できるもんだと思っていたけど
現実はそう甘くなかった。
結局、オーナーも
人脈に頼って集客する
という方針は変えず
心も体もズタボロになりながら
なんとか頑張っていた。
それだけ頑張っても
月収は10万円ほど。
きっと普通の感覚だと
もう辞めようと思うのだろうが
私は違っていた。
今は、踏ん張りどきなんだ。
きっと、頑張れば、叶うはず。
そう自分を鼓舞することで
なんとか耐えていた。
洗脳
毎日、一歩一歩と
1日1日を噛み締めるように過ごしていると
夫は私の行動に疑問を持つようになった。
「あちゃ、オーナーに洗脳されてるんちゃう?」
エステティシャン3年目だった。
私の収入を知り、彼は驚愕していた。
完全なサラリーマン体質な彼は
どうも私の行動に対する収入に
疑問を持っていたらしい。
私はなんとなくそんな気もしつつ
でもやはり出勤すれば
真剣に私に向き合ってくれるオーナーに
「洗脳」だなんて思いたくなかった。
そう、思いたくなかったのだ。
だから私は努力した。
自作したチラシを1日500〜1,000枚各戸配布して
月に1万枚は撒くために
出ていく経費は月15,000円ほど。
それからお客様にリアルな声を届けるため
高級化粧品も自分で買って試してお伝え。
月3万円は使っていた。
私がいいと思うことをし続けた。
結果が必ず出ると信じたかった。
そんな時、妊娠した。
一度見た夢を諦める
私にとって、妊娠は大きな転機だった。
妊婦になったことで
自分一人の体じゃないことを自覚し
勤務時間も日数も制限した。
それでも頑張りすぎる癖のある私は
出産2ヶ月半前に
切迫早産になりかけてドクターストップ。
その頃はそう思えなかったけど
今なら思う。
娘が、私を救ってくれた。
そこから産休・育休と称して
8ヶ月ほど休業した。
職場に戻った私に待っていたのは
何だったと思いますか?
信じていたオーナーに
お客様を取られてしまい
また一からの集客活動だったのです。
オーナーは
「あちゃさんの感覚が戻るまで
お客様は預かるね」
そう言った。
その時は納得していたし
自分の技術が落ちることは
数ヶ月でも離れたからこそ理解できた。
しかし、約束の時になっても
なかなか返してはもらえない。
そして、私に良いように言いながら
オーナーからコキ使われているのが
だんだんとわかってきた。
わかりたくなかった。
でも、その時の私に一番大切なのは
娘との時間だった。
そんな“限られた時間”を
こんな人に奪われるのかと思うと
腹が立って仕方なかった。
そして、あるきっかけがあって
私はブチ切れ、退職した。
こんなきっかけがなかったら
私は諦められなかったのかという気持ちと
ずっと追いかけてきた夢に対して
自分を否定する気持ちで
私の心はズタボロだった。
だから、そんな気持ちを肯定したくて
次は業務委託のセラピストに転職した。
新たな人生の始まり
セラピストの仕事は楽しかった。
でも、私の体に合わなかったようで
3ヶ月に1度、39度の高熱とひどい頭痛がした。
私の体に合ってないのかな。
そう思った私は
わずかに心に残していた
「自分のお店を作って女性を癒したい」
という夢を追いかけるのを辞めた。
心に決めたら、やはり私は早かった。
最後の転職にしたいと誓った私は
キャリアコーチングを受けることにし
プロのサポートを受けながら
自分に向き合うことをもう一度始めた。
エステのオーナーとやっていた自己分析とは
全く違っているものだった。
そして、私はここでようやく
今まで他責で生きていたことや
他人軸で生きていたことを思い知った。
やれる!と心で思いたくても
体や心がそれを拒否していたこと。
私が思い描いていた夢が
ずっと“人のため”だったが故に
自分を置き去りにしすぎていたこと。
そうしてわかった私の適職は
「マーケティング職」だった。
あんなに集客に苦労していた私が
マーケティング職?とも思ったが
私の思考がマーケ思考で
今までの行動は不発だと思っていたけど
できたことに目を向けられていなかっただけ
だということがわかった。
思えば“ないこと”に目を向けすぎていたけど
試行錯誤してチラシを毎回作り直していたら
いつの間にか精度は上がってて
気付けば会社指定のチラシと比べると
集客力は10倍になっていたことにも気付けた。
そっか、私、ちゃんと考えて形にできるんやん。
そして、新しい夢ができた。
「自分の表現力を使って
もっと人を支える仕事がしたい!」
そうして転職活動を経て
未経験ながらなんとか
パートでマーケティングの仕事に就けた。
2ヶ月間の転職活動で
求人申し込み件数は、84件!
我ながら必死に頑張った。
2024年7月。
そうしてたどり着いた今の職場には
とてもとても、感謝している。
noteとの出会い、創りたい未来
転職してすぐは
まだ“独立”なんてこれっぽっちも頭になかった。
なんなら、個人事業主という肩書きに
過去の経験から
嫌気すら感じていたくらいだ。
それでも、私は何かしたかった。
マーケティング部のあちゃさん
ではなく
「あちゃ」として何かを遺したかった。
誰かのために、自分を犠牲にするんじゃなく
自分のために、誰かのためになることをしたかった。
だから、私の大好きな“書くこと”で
人に勇気を与えられたらと
noteで記事を書き始めた。
私は今まで、失敗ばかりしている。
その経験を伝えることで
頑張っている誰かの力になれたら。
最初の頃は、それこそ全然読まれなかったが
少しずつフォロワーやビューが増えて
人と交流するようにもなり
note活動も楽しくなってきた。
そして、noteをやっていく中で
“ことばの価値”を感じていくようになり
有料記事も出すようになっていった。
ライティングに自信があるわけではないけれど
私のことばが誰かに届いて
それが気付きや発見のきっかけになり
その人がもっとがんばれる原動力になれたなら。
そう思うと、筆が進んだ。
どんどん記事を書いていると
私はあることを思い出した。
そういえば私、
女性を救いたいって、思ってたなあ。
エステティシャンになろうと決意した当時の気持ち、
お店をつくりたいともがいていた当時の気持ち、
そして、今立場が変わって、目指している気持ち。
視座を高くして眺めていると
全部繋がっていることに気付いた。
あれ、私、まだ諦めてないやん!
そうと気付いたら、私は早い。
実は今、新しいサービスを考えているのだ。
それは
「自分取扱説明書」。
私は、ずっと自分に向き合ってきたし
辛いことを見たくない時も
がんばって見ようとした時もあった。
他者の力を借りて
向き合う方法や自分への見方を変えた時もあった。
そうやって少しずつ創り上げてきた自分という軸が
今までやりたいと思ってやってきたことと
全て繋がっていたことに気付いた。
私だけじゃなく
悩める人みんなそうだと思う。
自分軸がわからなくて
自分らしさがわからなくて
立ち止まる人は多いと思う。
でも、本当はそんなもの
探さなくても自分の中にある。
それに、みんな、気づいてほしい。
そして、そんな人を、救いたい。
正直、どんな形で
どんな風に進めていくか
まだ決めなければいけないことは山ほどある。
でも、きっとできる。
かつて私が
こう思ったように
ライフスタイルで悩み
キャリアで悩み
子育てや親の介護で悩む女性は
私を含めて大勢いるだろう。
そんな人を救うために
10年越しの私の夢と気持ちを
今年こそ、形にします。
2月中旬〜3月くらいに
モニター募集をしたいと思っています。
まだまだ何もわからないけれど
何もわからないからこそ
モニターさんと一緒に作っていきたいし
そこからまた、ほかの形で
派生して手助けできることがあるかもしれない。
だから、まずは「自分取扱説明書」という
自分軸を知るツールを
“悩める人”といっしょに創って
それぞれの人生の目標に向かって
いっしょに楽しく頑張っていきたい。
そんな夢を
10年越しにチャレンジしたい。
チャレンジさせていただける
この環境に感謝します。
ぜったいできる!
最後までお読みいただき
ありがとうございました!