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雪降るチャーハンも悠々と

一昨日まで墨汁の滴る毛筆を立てて、気の向くままに書き初めていたものだが、もうすでにお正月が待ち遠しい。次のお正月はまだであろうか。

朝から身体が跳ねるように軽いのだ。
1年間で埃が被るように音もなく溜まっていった疲れやこわばりを、圧倒的な吸引力でごっそり吸いとられた感じ。
きっと休まれたのは身体よりも心のほうで、今なら開かずの瓶となっているディルピクルスと何時間でも格闘できそうな気がしている。

一から拵えたおせちは、料理をするたのしさを改めて実感させてくれた。
お水をたぷんたぷんに、醤油をじゃばじゃば、野菜をざっくざく。片手いっぱいにむんずと鰹節を掴んで、昆布だしで引き締まった鍋にこれでもかと投げこむ。
どこまでも豪快で華やかで、心まで寛大になったような気がする。
それでいて、指先までじんわり温まっていないとできないような、繊細でこまやかな作業も多い。人参のねじり梅やねじり蒟蒻、蒲鉾の飾り切り———。その緩急がまた身をぐっと引き締める。

はじめてのおせちづくりで驚いたのは、黒豆の手のかかること!
渇ききった黒豆を、芯まで潤いをもたらすために調味された水に浸しておくのが5時間以上。
水分でパンッと張った黒豆を、そこからさらに弱火で5〜6時間以上煮なければならなくて、その間もアクをとったり、黒豆が煮汁から顔を出したら追い水をしなければならなかったり。
おせち料理のなかでも、お世辞にも華やかであるとは言えず、人気ランキングがあったら下から数えたほうが早いであろう黒豆がこんなに手間かかるものだったなんて…。まめまめしく働くためには、ここでもまめまめしく働かなければならないのね。
ただその甲斐あってか、落とし蓋を退けると、目を見張るほどふっくらと艶やかな黒豆がすっかりこちらを覗いていて、日本の伝統はうつくしいものだ、としみじみ感じたのであった。
これまた、醤油の深みと砂糖の甘みのバランスがなんとも絶妙なのである。
しかしまア、愛着湧いてたくさん食べるかなと思いきや、食べても食べても無くなる気配がなく。なんてったってひと袋分だもの。みなさまどうか黒豆の消費方法をお教えくださいまし。

𓆭𓆭𓆭

昨朝、起き抜けの冷気を抱えた毛布にすらわくわくしていた。
濁りのない澄み切った空気が部屋のなかを浄化していて、どこまでも続いているのがわかる。痛みとして浸みとおる氷のような水道水に思わず息を止めてしまったけれど、心はあたたかいままだ。メイク道具を持つ手は蝋人形のように固まっていたけれど、両手を擦り合わせて、今日を生きることを実感していた。

昼から雪が降るらしい。

一通り準備を終えると、冷凍庫を開ける。
ごろごろと、ラップにくるまれ転がる白米をふたつ。
大晦日、ここぞという日に取っておいたステーキを食べるつもりで炊いた白米。年越し蕎麦を食べるために泣く泣く断念した。そして、有ろう事か丸一日保温のまま置き去りにしてしまい、もうこのままではいただけない。
野菜室の扉を引いて長ねぎを取り出す。側におせちの煮〆で余ったさやいんげんを見つけたので「あなたいいじゃないの」と、にやり。ワシッと数本いただいちゃいます。
冷凍しておいた鶏ひき肉、豚肉のこま切れを一瞬手に取るも、う〜ん、なんだかしっくりこないな。とりあえずたっまご、たっまご、お!いつぞやに買ったボロニアソーセージがあるでないの。うむ、決まりである。

さあて冴えた目で、布団のなかでもぞもぞと、静寂に身を預けていたらぽろりと時間は溢れてしまって、ちょいとばかりお寝坊でして。寝ていないけどお寝坊。急いで取り掛かります。

ぴんとまっすぐ背を伸ばす長ねぎを横倒して、スッスと包丁を入れていく。蛸のように脚を切り分けたら、包丁の角度を90度変えてトントン、と。あら不思議、これだからやめられないのよ。あっという間に微塵にされたおねぎたち。
お次はフライパンに胡麻油をたら〜っ。本日は「6」の字になりました。
熱しているうちに、大急ぎでさやいんげんの頭をもたげて筋をすぅーッと取ってゆき、シュババっとこちらもみじん切り。今頃ラップにくるまれていた白米たちは、電子レンジのなかで冬眠から目覚めている頃かしら?
ささ、ボロニアソーセージも大胆に半分、大雑把に細かく刻んで、胡麻油のい〜い香りがしてきた頃にすっかり全部まとめてパラパラと、フライパンに降り積もるまっ白い白米がまるで牡丹雪みたい。
積もった具材をバラしながら、具材といい距離感で身を寄せ合わせて、みなが馴染んできた頃にちょいとそこ空けてくださいな。溶き卵をじゅうっと流し入れて、ここからはもう後悔しても後の祭り。あっという間に姿を変える卵に容赦はいりません。なんも考えず、夢うつつな白米たちと一緒くたに、じゃっじゃと振り切りこまやかに。
ソーセージのうまみで充分に仕上がっているので、調味はほんのちょびっとかけまわして。

ん〜、上手にできた!
在りものチャーハンの完成です。
程よくそぼちパラパラと、艶めく血色のいい淑女の肌色みたい。炊飯器のなかで心寂しに待たせてしまった白米も、成るもの変われば立派に輝くもの。適材適所、人生無駄なものなどなあにもないのである。
ぐっぐと握って、これは本日のお昼ごはん。残りはすっかり眠りこけている同居人の朝ごはんに。帰ったら雪合戦をしましょうね。

𓆭𓆭𓆭

世はすっかり年明けていて、七草を台所に並べている。
たんたん、と7回叩いたら、もううかうか正月気分はしていられないのである。
日付感覚を失ったわたくしは、昨日が7日だと思い込んで七草入りのきりたんぽ鍋をたらふくいただいてしまったけども。

また愛おしい日常がはじまる。
どこを切り取っても忘れられない風景がそこここに。

如何なる風雪に揺られても、気長にどっかり構えていたいものである。
今年の目標に、「悠々閑々」と筆をふるったのだった。

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