秋夜の店先
日が暮れたころ、いそいそと湯を沸かしお茶を淹れ、本を抱えて外のベンチに腰かける。
ふくらんだ半月はいっとう明るい。
いつも忙しない休日も、隣町で花火大会があるからか夜になってお客さんがめっきり途絶えた。
最後のお客さんをお見送りしたときに吸った外の空気を忘れられずに、飛び出すように外に出た。
3軒ほどとなりにある中華屋さんから聞こえる鍋を振るう音。四方の草野から鳴く虫の聲。お店からほんのり漏れるBGM。偶に聞こえる、列車が線路を通る音。今日は加えて花火が上がる。秋風は音がよく通る。
秋風に揺られて火薬の香りがここまで漂っている気がする。のびのびとした草の香りとほんの少しの湿った土の香りに混じって。
力んでカチコチなっていた心もからだも、湯に入れた入浴剤がみるみるうちに溶けるように解けて消えてゆく。
こんなに気の張らない夜を過ごすのは、ほんとうに久しぶりだ。
自営業で生活を切り盛りするようになってから1年と少し。
仕事と生活がほとんど地続きな毎日だから、意図して心を休めるタイミングを作らないといけないと分かっていても、油断するとなんだかずっと遠くのきらきらとしたほうを見てしまう。
めいっぱい外の風を吸って身体をほぐそうとしても、いつも頭の片隅には仕事のことがある。
店前にあるグレーチングから、たくましく天に向かって咲く玉簾の束が時折すっごく羨ましくうつる。
でもなんだかいま、もっと素朴でずっとむかしから親しいところに居た日常のしあわせをようやくちゃんと味わえた気がした。
東京で明るいうちからちょっぴり贅沢なコース料理とワインをいただくときのような大胆なしあわせでなく、皺ひとつないふかふかのホテルのベッドにダイブしたときのような清潔なしあわせでもなく、水族館で陽のひかりを引き伸ばした水槽のなかで泳ぐイルカを見上げたときのような幻想的なしあわせでもない。
自然はいつだって新鮮できよらかだ。
ちりん、と鈴の音が聞こえてきたのでそちらを向くと、こんこんとねむっていたうちの看板猫が毛繕いをはじめていた。
花火の音がクライマックスに向かって盛り上がっている。
もう大丈夫だ。
閉店時間まであと1時間。 まだ見ぬお客さんを想って湯を沸かす。
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