どう捉えて、どう関わるかは自分で決められるんだね。
民生委員(主任児童委員)の県の研修会に本日参加した。
地域福祉や児童福祉が専門の大学教授の講演を聴くスタイルが多い中、今日は珍しく、グループワークを行えるようにテーブルが組まれ、6人ずつ座れるテーブルが12組ほど、会場を埋めていた。
開始早々、私の隣に座った60代くらいの男性が、あまり講師の方の話も聞かず、ずっとスマホを触りながら、机にときどきガン!とぶつかり、大きな咳払いをし、明らかに講師の方の話を聞く気がない様子だった。また、それをあえて態度で示しているように私には見えた。
始まる前に、「私はこの役を30年もやっているんです」と言っていたので、やだー偉そうになってしまっているのでは…なぁんか嫌な人と隣になってしまったなぁと私はウンザリし始めていた。
1時間ほどの講演が終わり、トイレ休憩になったときに、同じグループの人は誰も席を立たなかった。私はふと、隣の男性が30年という長い長い期間でどのような活動をしてきたのか知りたくなり、質問してみた。
トイレ休憩の時間が終わって、第二部が始まってしばらくしても、男性は自身の活動について、少し声のトーンを落として私に話し続けた。笑
ちょっとウザい人熱意のある人なんだなぁ、よほどの使命感や意義を見い出してないと、30年もできることではないよな、と見る目が少し変わった。
偉そうというイメージは正直そのままなものの、それで避けようとしていた自分を戒めた。私こそ、若輩者なのに、謙虚さが足りなかったかも知れないと思った。
自分にはない経験をしている人に教えてもらうという貴重な体験をしそこねるところだった。
教師を定年退職した女性も同じテーブルにいたので、この数十年の子どもたちの変化、先生たちの変化をどう見ているのかも聞かせてもらったりした。
その後、その元教師の女性と先の男性とに共通の知り合いがいることがわかり、その2人でまた話が盛り上がっていた。
たまたま、同じ日に同じ場所で集まって、出会えた人。
嫌だなと避けるか、彼らから貪欲に学ぶか。
自分で瞬時に決めて選べることに気づき、妙な爽快感を覚えた。
帰りには、嫌なおっさんとは一切思わず、さようなら〜!と名残惜しくお別れしたのだった。
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