#60|広くて近くて今にも落ちてきそうな空①
1935年のある日 6時15分
頭痛がする。瞼は重い。何をしていたのか思い出せない。いや、そうじゃない、自分の意思でここに来たわけではない。ここがどこなのか全くわからない。まったく、頭が痛い。体はだるいのに熱はないみたいだ。どうにも変な気分だ。薬でも飲まされたのか。この小さな部屋は一体何なんだ。とにかく喉も乾いたし水を飲みたい。部屋は真っ暗で電気はついていないけど隙間から外の光が漏れている。とりあえず怪我はしていないようだ。良かった。こういう時は悪いことだけじゃなくて良いことにも気付かないといけないな。腹は空いていない。そこまで時間は経っていないようだ。最後に食べたのは何だったかも思い出せない。俺は目がいいから差し込んでくるこのわずかな光があれば十分視界には困らない。どうやらこの部屋には俺しかいないようだ。食べ物はこの部屋にはない。金属の冷たい匂いだけだ。そしてこいつだ。本能的に避けていた。否が応でもこの目に張り付いてくるこの壁の小さな緑の光は気に入らない。近くに字が書いてあるわけでもない。頭痛は収まってきたけどまだ眠気がする。落ち着こう。”A”から始まる単語を考えるんだ。”Arbeit”、”Arm”、”Auge”、”anmalen”、”Achtung”・・・。
なんだこれは。緑の光に気を取られていて気が付かなかったけど、同じ壁際にフラスコが置いてあるぞ。蓋が閉まっている。匂いは全くしない。触らない方がいいと俺の勘が言っている。俺の勘は当てになるんだ。特に危険はいつも避けきってきた。逃げるのは我が家に代々受け継がれている最後の切り札だ。もちろん、いつもそうするわけではないが。まずは落ち着くんだ。落ち着く方法も教えられて育った。「安心」を自分で作り出すのが大切だ。それができないときは逃げる。よし。落ち着いてきた。まずはこの状況を把握しよう。思い出せる情報を集めて何とかしなくてはいけない。
②へ続く