#4 自己紹介 part.2
この3月で大学を卒業。
今後、当面の間は大学の思い出に浸りながら、普段の大学生活、バイト、部活、海外留学、そして卒論などについて執筆していこうと思う。
そのためには、まずお前誰よ、というか大学までの人生について軽く自己紹介しておこうかな、ということで再び自己紹介。
札幌生まれ札幌育ち。
藻岩山の麓にある公立の小学校と中学校をのんびりと卒業。小学校時代は我が家が無期限のゲーム禁止令が出ていたので、放課後は友達と外で野球したり、友達の家で憧れのゲームをしたり。家では専らテレビと漫画。周りがじわりじわりと塾に通い始めた高学年の頃も「なんで学校で習ってることをわざわざ遊ぶ時間削って別のとこでも勉強してんだ?教科書に書いてる事全部できれば何の問題もないのに」という理由で頑なに拒否。親は「やりたいことやりなさい」という感じ。
中学では弱小軟式野球部に入部し、ポジションはライト。学年が上がれば自然と出場機会も増えるチームなので3年生でレギュラーになると、「6番ライト」が定位置に。大して打率も高くなかったが、他に誰もいなかったので居座れた。
勉強は中学の中では中の中くらいだった。
地元の公立高校へ進学。北海道の受験には「ランク」という中学一年のころからの全ての成績が反映される恐ろしいシステムがあり、小学校のノリでテスト勉強などほとんどしていなかったツケが災いして苦しい受験だったが、案外余裕で合格。「受験ってこんなもんか」と感じていた。
硬式野球部という「宗教」に入信し、頭を丸めた。まだ世間ではあまり多くの人が気付いていないが、「高校野球」というのは高校名を看板とした各宗派を束ねる一大宗教である。高野連もそろそろ宗教法人に切り替えてもいいんじゃないか、と思っている。あ、「夏の甲子園」はこの宗教の最大の儀式で、各都道府県の優秀な宗派が「聖地」に赴いて、野球の試合をする。なんとこの宗教儀式はNHKで全国放映され、熱心な信者が全国にいる。
高校一年の秋からは足の遅さと肩の強さを買われ、外野から投手へコンバート。このルートは我が部(宗派)で俗に言う「墓場行き」である。最終的には墓場からの蘇生を奇跡的に成功させ、地元新聞に取材されるほどの最優秀投手に。追々、この「高校野球編」についてはくわしくnoteで記事にするかもしれないが、それはまた別の機会に。
勉強面では英語と現代文しかできない体になっていた。英語をかろうじてできた理由についても追々、ということで。
そして人生2度目の受験。当然英語と現代文しかできないので受験科目がちょうどこの二つしかない地元私立大学の文学部に進学。
以上、今回の自己紹介はここまで。
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