1960年代の”東映友の会”を解明②|第3回中部支部大会~唄と踊りの東映スターまつり~
この記事では、1960年代に存在した東映映画の友の会(今でいうファンクラブ)について語ります。
※一映画ファンの調査です。これを読んでご自身で調べられるのは自由ですが、当記事を根拠とした不確かな情報拡散はご遠慮ください。
以前まとめた1960年代の東映友の会の話の続き。
記事に書いていなかったが、実は大伯父さんが”東映友の会”に入会したきっかけについても伺っていた。
当時の大伯父さんは「東映城のお姫さま」丘さとみさんのファンで、丘さとみさんに会おうと”東映友の会”に入って、そのチャンスが二回あったが結局会えなかったという。
一つ目が、東映京都撮影所見学のこと。”東映友の会”の撮影所見学に参加したら、もしかしたら丘さとみさんに会えるかもしれないと思ったからだそう。しかし会うことはできず、記念写真で一緒に写ったのが時代劇役者の伏見扇太郎さんだった。
二つ目が、名古屋東映に丘さとみが来ると聞いて観に行ったこと。ここでも丘さとみさんは急遽来名せず、会えずじまい。代わりにきたのが若手時代の里見浩太郎さんだった。その時の事を思い出して里見浩太郎さんがあまり好きではないという話を聞いた。(とんだとばっちりだが、「まさか黄門様になるとは思わなかった」とも)
この時、名古屋東映の話はいつごろの出来事だったのかを詳しく聞いていなかった。もしかしたら、これも『東映の友』に載っているかもしれないと手持ちの史料から探したが見つからなかった。
しかし、名古屋の金山体育館で東映友の会中部支部大会というイベントが行われていたことが載っていた。
今回は第3回東映友の会中部支部大会のプログラムを入手したので紹介していきたい。
◇「第3回東映友の会中部支部大会 唄と踊りの東映スターまつり」プログラム
社歌「東映行進曲」の楽譜が記載されている。「東映行進曲」は、東映公式noteのタイトルにもなっており、youtubeに動画があるので今でも視聴できるが、楽譜はなかなか見ないので貴重なのかもしれない。
プログラムに「フィナーレ東映行進曲全員合唱」とあるので東映スターと観客で歌ったのだろうか?
◇『東映の友』1961年11月号
『東映の友』1961年11月号では、このイベントの様子が掲載されている。
実際に来名した東映スターは、プログラムと比べると少し違う。プログラムに「撮影の都合により大変なメンバーの変更がございますことをお詫びいたします。」と書いてあったように、本業の映画撮影で予定の合わなかったスターは来られなかったのだろう。
大伯父さんの話していた丘さとみさんに会えなかった話の謎も少し分かった気がする。しかし、東映スターたちが一挙に集まるイベントが名古屋でもあったとは、今からしてみるととても羨ましい。
また大伯父さんの行った名古屋東映のイベントについて調べてみたい。