俺たちの誇り新潟
こんにちは。
今日は新潟について、思うところを。
私は、新潟の人たちが、新潟にもっと誇りを持って、かつそれを発信してほしい、そんな街にしたい、と考えています。
そう思うようになったきっかけを、考えと想いを整理しながらつらつら書いていきます。
今回は、そう思うようになったきっかけ編、次回は、ではどうすれば良いと現段階で思っているのか編、です。
実際、自分が住んでいたのは高校生まで・・・もう15年近く前になるので、
帰るたびに、その変化に驚くばかりで、浦島太郎状態なのですが。笑
上京を決意したのは高校生の時でしたが、決意というより、当然東京の大学に行くんだ、と思っていたことを思い出します。
興味が出たのは、中学の時です。修学旅行が東京でした。実際にはその時から、もう将来は東京に行く、と無意識に考えていたのではないかと思います。
見るもの全てに、圧倒されました。同じ日本なのに、こんなに差があるのか・・・。
路線図、人の多さ、海外の方の多さ、原宿のワクワク感(to若者)
そして何より、学年全員・・・200名超で行っても、みんな行先が違うほどのコンテンツの充実
先生に怒られまくった修学旅行でしたが、きちんと学ぶべきものは学んでいたのでは、と感じています。
対して新潟は、高校生当時の自分からは、魅力がない場所に映っていたことを思い出します。
なんとなくの閉そく感、新潟の良いところがわからない、アイデンティティの無さ・・・等々
そんなこんなで大学から東京(正確には大学時代は横浜市でしたが)
に出てきたわけですが、外から見ると、新潟の良さが身に沁みたりします。
ごはんが段違いに美味い(特に鮮魚!)、有名なお酒が多い、仲間意識が強い、人と自然、バランスが取れた街、豊かな四季、銀食器から世界へ飛び出していった燕市の産業集積、離島が身近(でも佐渡以外行ったことない、、)
一方で、外から見て、課題感も見えてきました。
シャッター街、スキルアップできる環境の不足、過度に保守的すぎる慣習、
何より、自らの街に対する誇りの欠如・・・もしくは発信されていないだけ、かもしれません。
今は新潟に住んでいるわけではないですし、
住んでいた時も、働いていないので、的外れなところもあると思っています。
一方で、なんとなくの閉そく感は、少なくとも新潟市の同年代と話していると感じる部分ではあります。
良いものは良いと認識し、発信する、
スキルアップできる環境を創り、人/組織がレベルアップし続ける、
各世代間を繋ぎ合わせ、一枚岩となって街を良くし続ける、
そんな方向に向かっていけたら、と漠然と思っています。
次回は、具体的に何をしていけばよいのか、つらつらと書いてみます。
アイシテルニイガタ!
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