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「命日以前?命日後?」の自傷確認
2023年の11月から半年間、
友人のネコを預かってた。
元々我が家は猫派家族で、
ママの実家では、常に複数匹のニャンコがウロウロしている状況だったし、
アニマルセラピーにもなって、とってもいいはず、と、
喜んでくれるに違いない!の気持ちで
「半年間だけ、友達の猫を預かろうと思うよ」と話した時、
「えぇぇぇ、ママやだわ。面倒くさい。」
と想像外の言葉で一喝された。
なんかすげー悲しい気持ちになって、
「あ、そ。じゃやめるわ。」
と言いながら、
離れの小さな家で勝手に黙って預かっていた。
むかーし、父親の両親が住んでいた、
小さな2階建ての離れがあって、
私は、両親と常に一緒にいることに息が詰まっていたので、
ある時から、そっちの離れで寝泊まりするようになっていたのです。
そこなら、母の酸素のチューブが届かないので絶対に来ることはなく、
家の中で飼っている分には、全く気付かれない。
現に半年間、気付かれることはなかった。
私は日頃の介護のストレスを預かりニャンコに癒してもらい、
SNSで可愛い姿を発信して、
猫好きさんたちとやり取りしたりして、
世間との繋がりを辛うじて保っている状態。
私にとっては本当に必要な存在だったのだけど、
2024年5月、半年間の共同生活も終わりが近づいてきた頃、
私はニャンコとのお別れのことしか頭になかった。
精神的に本当に支えてくれた相棒とのお別れ、
お別れの日をカウントダウンしながら、
とにかく猫との時間を優先して過ごしてた。
しばらく放置状態だった、自分のSNSを見返してみると、
母の命日直前まで、
どんなにそのニャンコに会いたいか、
いなくなってしまって寂しくて仕方ない気持ちを、
毎日毎日書き綴っている。
振り返って思う…
仕方ないけど、
その時の自分に教えてやりたい。
「猫は私と別れても、本当の飼い主さんと幸せに暮らすよ。
会いたければいつでも会いに行かれるよ。
それよりも、ママとの時間はあと少ししかないんだよ!
もう二度と、会えなくなるよ。話も出来なくなるんだよ!」
「ママの命日以前 or 命日後?」
日付があるものに触れる度に、絶対に考えてしまうこと。
どっちだったとしても、
内容が何だったとしても、
その時の自分のことが許せないと思ってしまう。
涙が溢れてしまう。
「ごめんね」を言わずにはいられなくなってしまう。
どうしたら乗り越えられますか?