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ピアノを久しぶりに弾くことになって見えてきたもの

「アヴェ・マリアの伴奏をしてみませんか?」

そんなお話をいただいたのが、8月のことだった。
オオシマケンスケさんのシークレットライブで、ケンスケさんの歌うカッチーニのアヴェ・マリアの伴奏だった。

「わたしでよければ・・・」

気がついたら即答でOKしていた。(しかし、その後、「え、えらいことになった・・・」と、滝汗が出たのは言うまでもない。)

今から4年ほど前、小学校に勤務し始めた初年度に、卒業式の合唱の伴奏をお願いできないかと言われて、「いやいやいや・・・」とすごく渋った時からすると、ずいぶんわたしも変化したものだ。あまりに渋ったので、翌年は伴奏してくれとは言われなかった、笑。


流れに乗って楽譜が届く

伴奏が決まってからすぐに大学時代の友人(みなさん音楽家だったり音楽の先生だったり研究者だったり、音楽方面でご活躍です)に約25年ぶりくらいに連絡を取り、楽譜を手配。ちょうど実家帰省中に楽譜が手に入ったのでピアノで練習ができた。

人目が気になる

8月下旬、シークレットライブを企画立案した仲間たちと会場の下見に行き、ピアノを弾いてみた。「見られている」「聞かれている」という妄想が暴走し、「間違えたら恥ずかしい」「みっともない」という思考にとらわれながらの試し弾きだった。ちなみに、会場のピアノは、なんというか、じゃじゃ馬さんで伴奏に向かないかも・・・というのが率直な感想。逆に、ショパンのワルツとかラヴェルあたりが似合いそうな華やかな音を出すコだった。

ともかく、この頃は「間違えたら恥ずかしい」という、自分がどうみられるかということに思考がもっていかれ、とにかく練習した。わたしは一応中3から高3の、青春真っただ中をピアノと共に過ごし、とにかくピアノをゴリゴリにやっていたが、大学に入ると同時にプツンと糸が切れてしまい、そこから真面目に練習はしていない。卒業してからはピアノのない生活を送って20年以上が経つ。

幸い、娘のわがままな注文により、7月に我が家に電子ピアノが鎮座していた。そのいきさつはコチラで語った。

娘のためにやってきた電子ピアノが、わたしのためにも大活躍だ。このクラビノーバさんを愛でながら、とにかく練習。ブランクが長くて苦戦。

ストリートピアノチャレンジ①

緊張感に慣れることと、本物のピアノに触りたいという思いで、9月に入ったころ、ストリートピアノで”練習”することにした。地方都市のピアノで、しかもバイトに行く前の平日の微妙な午後の時間とあり、人もまばらだ。エレベーターホールの前に置かれているそのピアノは、弾いていると、エレベーター待ちをする人の姿がよく見える。こちらを見ているな、、、という視線を感じると、音楽から抜け出して我に返ってしまい、ミスタッチしそうになる。「音を奏でる」というより、「恥ずかしくないように弾く」ということに集中してしまうのだった。しかしこの日、弾き終わると、私の死角になる場所に座っていたご婦人が拍手をしてくださった。こちらを見ている人は誰もいないと思っていたので、こそばゆい気持ちだった。恥ずかしくて目も合わせられず、軽く会釈してその場を立ち去った。

ストリートピアノチャレンジ②

翌週もバイトに行く前の同じ時間帯にピアノを弾きに行った。前回の教訓を活かし、人の姿を見ないように意識したので、「ピアノで歌う」ことに集中できた。気持ちよくなってバッハのインベンション(唯一暗譜していていつでも弾ける曲、笑)も弾いた。先週と同じご婦人がいらっしゃって、拍手をしてくださった後に「すてきな演奏をありがとうございます。」と声をかけてくださった。
その人の顔を、この時はわたしもちゃんと見ることができた。そしてそのご婦人の笑顔を見た瞬間、わたしは気づいてしまう。あぁ、ストリートピアノで度胸試しだとか、緊張緩和の練習だとか、わたしは自分のことしか考えていなかったのだ!ということに。
そして、聞いてくださる方がいようがいまいが、ピアノを弾くことで音を捧げたいなと、自分の中で大きな変換が起こった。

この日を境に、わたしのピアノへの向き合い方が変わる。


ストリートピアノチャレンジ③

週末、家族でイベントに来ており、暇を持て余した娘と、時間調整の必要がでたわたしの都合が合致し、ストリートピアノを弾きに行こうと誘った。娘は「わたしは絶対に絶対に弾かないからね!」と言っていたので「ママが弾くのを見ててくれたらいいから」と、二人でピアノのあるホールへ向かう。週末とあって、すでに弾いている人がいらっしゃり、その人の後にわたしが弾いた。普段の平日よりはこちらを見てくださる方もいらしたので、音をお届けする気持ちで弾いた。娘がそばにいてくれているというのも、なんだか心強い安心感につながった。弾き終わると拍手をしてくださる方がたくさんいて、今の曲はなんという曲ですかとたずねてくださる方もおり、終わった後の交流も楽しめた。わぁ、なんだか楽しいぞ。

ストリートピアノチャレンジ④

前回のわたしの様子を見ていた娘が「わたしも弾く!」と言い始め、次の週末、ピアノのホールへ向かった。この時にはすでに、その場にいらっしゃる方にお届けするということを超えて、一緒に作っていくという気持ちで弾くようになっていた。娘はわたしの後で弾いたが、とても気持ちよさそうだった。

そうして迎えた本番

わたしには最初から決めていたことがあった。とにかくケンスケさんの声が主役。その声を届ける伴奏にしようと。だから、会場のじゃじゃ馬っこピアノはソフトペダルでおしとやかにしてもらうことにしたし、伴奏譜はケンスケさんの旋律を邪魔しない簡素なものにしていた。ピアノの前奏から始まるので、テンポは確認する必要があったが、その後はケンスケさんの呼吸を感じてそこにわたしの呼吸を合わせ、ケンスケさんに添っていった。ピアノ・ソロになる前奏・間奏はケンスケさんに、そして会場の仲間たちに捧げるつもりで弾いた。

間奏の後、1オクターブ上げたところで、ケンスケさんはピアノに触れながら歌い始めた。それはまるで、静かな湖面を一艘の舟が、水面にスーッと線を描きながら進んでいくようだった。舟が奏でられる旋律であるなら、ピアノはそれを受け止め受け入れる湖面のようだと感じた。舟が到着し、最後の短調が長調に切り替わるピアノの旋律で、自分の中でカタルシスが起こった。

言いようのない感動だった。会場に駆けつけてくれていたのが、共に探求を志す仲間たちだったからこそのクリエイションだと思った。

音楽って、素晴らしいね!!

おまけ(反省部屋行きの恥ずかしい大学時代のこと)

ちなみに、この素晴らしいライブの後で思い出したのは、我が大学時代のこと。わたしは音楽を専門に学ぶ学部にピアノ専攻として在籍していた。楽器専攻の学生は、入学と同時にとにかく伴奏者を必死で見つける。(定期試験は必ず伴奏者が必要だから、、、)わたし自身も、トロンボーン、オーボエ、フルート、声楽の友人たちの伴奏者となり、そのうちの仲良し3人組でトリオを作って保育園や幼稚園、高齢者施設などに音楽を届ける音のプレゼント活動もしていた。が、が、が、である。わたしは伴奏を、ストレートな言い方をすると、バカにしていた。ピアノが前面に出れない伴奏は、はっきり言ってダサいと思っていたし、何でわたしが伴奏?なんてことも思っていたのである。サイテーだ。(ごめんなさい。懺悔。)

そもそもは、親から「プロ意識を持て!」「人をはねのけて自分が目立つ演奏しろ!」「自分が一番だと思え!」とソリスト洗脳をされ、ピアノに対する偏った認識も植えこまれていた。ピアノという楽器は、孤高の存在。他の楽器と違い、オーケストラの一員になるような楽器ではない。いやいや、オーケストラとピアノが一緒にやってる曲、あるじゃん!と思われると思うが、それは「ピアノ協奏曲」と言って、あくまで「協奏」しているのであり、ピアノはオーケストラと対等で、ピアノ自体がオーケストラなのだ。つまり、ピアノは偉いんだぞ!なんて思っていたのだ。もう一度言ってしまうが、サイテーだ。

なんという愚かな思想。あの頃の自分のところへ行き、脳天チョップを食らわせたい。何も考えずに、ただただ音楽に没頭することができたあの黄金時代。いろんな楽器の人たちといろんなクリエイションを楽しめたのに、なんてもったいないことをしたんだろう。「わたしが(我)」っていうやつにやられていた時代だった。

ということで、ピアノに関しては親に対して恨みを持っていたが、今回のケンスケさんの伴奏をさせていただくという機会を得たことで、今までのことが全部帳消しになっておつりがくるくらいの素晴らしい学びを得たのだから、わたしをピアノという世界に引きずり込んでくれた親に感謝だなぁと、しみじみ合掌。(合掌しておりますが両親とも健在です、笑。感謝を伝えます。)

ここではピアノの部分だけについて語ってみましたが、ケンスケさんのライブの記録としては、アメブロに綴りました。ご興味のある方はご訪問くださると嬉しいです。

【2024.10.26追記】

わたしに伴奏の話を打診してきてくれた、今回のライブの立役者、ともっちさんのnoteも是非ご訪問ください!


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