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日常こそすべて(宮脇綾子と和の歩法)

ちょうど2025年の節分と重なった2月2日。この日は、和の歩法レッスンを受けるために都内に出かける日だ。立春を目前にして、ようやく大寒が本領発揮となるような寒い日だった。

レッスンの前に、軽い気持ちで向かった東京ステーションギャラリー。知人から招待チケットをいただいていたので、レッスンのついでに行ってみるか…と、そんなノリだった。

東京ステーションギャラリー(宮脇綾子の芸術)


今期の展示テーマは「見た、切った、貼った」と題する、宮脇綾子さんの布物を主とするアート作品展だ。もともと手先が不器用なわたしは、裁縫は苦手である。ボタン付けくらいはできても、袋物を縫うだとか、ましてやパッチワークなど、まずもって自分が携わることなど考えもしない。そもそも手芸に興味があったわけでもないので、レッスン前にさくっと見て、その後カフェでゆっくり読書でもしようと思っていた。

ところが、である。
初っ端から、展示室1に掲げてあった綾子さんの言葉に胸を打たれた。

作る前によくものを見ること。よく見ることによって、私たちが漠然と見ていることに気づきます。思いがけないことを発見したり驚いたりします。それが知ることなのです。

宮脇綾子

綾子さんの作品のモチーフは、一貫して、主婦の生活にあるものだ。野菜だったり魚だったり、日用品だったり。毎日の料理に使う野菜は、主婦のみなさんにとっては何の変哲もない当たり前なものだ、例えば玉ねぎや南瓜など。それらの野菜を、綾子さんはじっと見る。観察に観察を重ねて、そのフォルムに魅せられ、生命力に圧倒されたのではないか。そしてついに、彼女は野菜の中に宇宙を見てしまったのではないか?と、わたしは思う。

宮脇綾子 鑑賞メモ①


綾子さんの作品の製作手法は、主に布を切って貼るスタイルだ。「布を集めるのが趣味だ」と、最初は軽い気持ちだったのかもしれない。かくして綾子さんはいろいろな布の端切れを集めていた。それを知った周りの人たちは、端切れがあれば綾子さんのところに持っていく。たくさんの端切れに囲まれた綾子さん。例えばその中から「玉ねぎ」を表現できるものをみつけ、フォルムを合わせ、切り、縫い付けたり張り付けたりして、作品を作っていくのだ。コレクションの布は、昔ながらの絞りもあれば、使い古された布製の珈琲フィルター、タオル、木綿など、実に様々。それらの布の山から、「これ」を選んでいく。まるでそれは、現代で言うならコラージュ。

綾子さんの作品を見ながら、「いや~もう、楽しくて仕方なかったんだろうな、こりゃ。」と、わたしは感じた。端切れを目の前に広げ、じーっと観察していくうちに、端切れからモティフが浮かびあがり、そうなったらもう、居ても立っても居られない。ハサミを取り出し、布を切っていき、そこにさらに別の布を当てて、、、と、寝ている場合じゃない!というくらいの高揚感が伝わってくるようだった。(勝手な感想です)

宮脇綾子 鑑賞メモ②


主婦として毎日の家事をこなしながら(今とは違って家事にも時間と手間がかかっただろう)夜寝る前やすきま時間に、きっと嬉々として布をさわって日記をしたためて製作に携わっていらっしゃったのだろう。

毎日毎日、コツコツ、コツコツ。変わらぬ毎日が、"毎日違う"ことを、「見る」ことから発見したのだろう。「神様がお作りになったものは一つとして同じものはありません」という言葉にあるように。

綾子さんは19年をかけて「はりえ日記」という美しい日記を残された。主婦の毎日を綴るものだった。作品やスケッチはもちろんだが、なんとも綾子さんの字が美しいのである。見惚れてしまう美文字でしたためてあるのだ。

さらに、16年をかけて22巻に渡る「縞魚型文様集」を、12年をかけて15巻に渡る「木綿縞乾柿型集」を製作した。もらった端切れそれぞれを魚の形に切り、張りつけていった文様集だ。一見すると、子どもにでもできそうだと思えるようなものだが、1匹1匹が違い、1匹1匹が生きている。そこには、ずっとずっと「見る」ことを続けてきた綾子さんだからこそ生み出せる線があったんだと思う。

宮脇綾子 鑑賞メモ③


日常生活の傍ら、コツコツと制作を進めた、綾子さんの生涯そのものが、これらの作品に表れているように思った。

日々の中にアートがある。
そこの「美」を見つけるかどうか、気づくかどうか、ただそれだけなのだろう。

見事に宮脇綾子の世界に圧倒されしまった。
カフェで読書~なんて悠長なことは言っておられず、あっという間にギャラリーでの時間が過ぎてしまった。

予想を超えて、深い感銘を受けました。共鳴しました。宮脇綾子さんの日々。


午後からは和の歩法レッスンだ。3か月をかけてマンツーマンで日本人本来の体を最大限に生かした歩き方を習っている。この日はレッスン最終日。無事に「卒業」というお言葉をいただけた。自分では卒業できるだけの歩き方ができているのか自信もないし実感もなかったので、意外・・・というのが本音だった。しかし、その後からじわじわと喜びがこみ上げてきた。

卒業という区切りをいただけたにせよ、これからがスタートでもあると思っている。綾子さんが主婦の日常を丹念に観察し、コツコツと制作を続け、あれだけのアートを作り上げたように、わたしの日常に当たり前にある「歩く」ことや「体を使う」ということに、コツコツと向き合っていこう。その先に何が待っているかはわからないし、落とし穴だってあるかもしれないが、今からが本番なんだと思った。ようやく、スタートラインに立っていいよという、その合図をいただけたように思う。

生活を、どう過ごすか。
毎日を、どう生きるか。

ちょうど立春。
幸先よいスタートである。


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