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断捨離は、しなくていい

2024.12.16

「断捨離」という言葉を知ったのは、今から7年ほど前のことだった。マイホームを手放し、今の家に引っ越すことになる時期と重なる。

今日は「断捨離」とわたしについて書いてみる。

「断捨離」という言葉に取りつかれてから今まで、長かった。
今年、「断捨離はしなくていい」という結論に達したわけだが、これも一つの通過点にすぎないのだけれど、とりあえず、ここまでの変遷を振り返ってみようと思う。



1.断捨離を学ぶことになったきっかけ

念願のマイホームを建て、住み始めたのが16年前。約10年の年月を経て、その土地に根付くがごとく、我が家にもいろいろなモノが増えていった。自宅で教室を開いていたこともあり、主に教材教具・玩具、工作用品などが増え、いつでもどこでも何のレッスンでも対応できるようなハイスペックな品揃えとなっていた。

引っ越し先の借家(今の我が家)の床面積は、元マイホームの約70%だった。ここまで膨れ上がったモノ(特に教室用品)が新しい家に入るわけがない。

これを機に、断捨離で著名な人のセミナーを受け、さまざまな片付けの書籍を読み始めた。

「モノを捨てたら、新しいモノ(もの)が入ってくる。」
「モノが多いということは、モノのために家賃を払っているのと同じ。
ばかばかしくないですか?」
「金持ちの家はモノが少ない。貧乏人の家はモノであふれかえっている。」
「ミニマルライフ」
「シンプルライフ」
「少ないものでスッキリ暮らす」
「ときめくものだけで暮らす」

さらには「断捨離」では生ぬるい、「全捨離だ」という言葉まで耳にし、スーツケースだけで生活している人の話も聞くようになった。

がんばって教材教具は減らしていった。わたしのように自宅で教室を開きたいと思っている後輩たちに譲ったり、生徒の保護者さんに差し上げたり、同じ先生仲間が買い取ってくれたりした。

そもそも当時わたしは、自分が大事に育てて大きくしてきた教室を強制終了しなければならない決断をせざるをえなくなった原因を作ったのは夫だと思っていた。自分が使命感を持って打ち込んでいた仕事を夫から否定されたような気になっていたので、もう二度と教育の仕事には戻らないって、意地になっていたところもある。なので、教室で使っていたものたち、教室のために買いそろえていたものたち、わたしが信念を持ち、目的をもって大事にそろえてきたものたちであったが、ほぼすべて手放した。(のちに、手放して後悔した教材も多々、笑)

2.断捨離したはずなのに、、、引っ越し先で目の当たりにした大量のモノたち

引っ越すときに自分の教材類はほぼゼロにしたはずなのに、引っ越した先の家は段ボール箱でいっぱいになった。ほとんどが夫の所有物だった。新しい住まいにワクワクするどころか、げんなりだった。山積みになったこの量の段ボール箱を開いたとして、いったいどこへモノを置けばいいのだろう。案の定、新居の1部屋は、夫のモノでいっぱいになった。断捨離セミナーで習った、「人間ではなくモノのために家賃を支払う」ことが、まさかの現実になったのだった。

そしてわたしは更に「断捨離」に執着するようになる。

わたしの教材をゼロにしたのに、なんでこんなにモノが多いの?
狭い家なのに、どうして夫はモノを増やすの?
いろいろなものをもらってくるの?
ネットショップでどんどん注文しちゃうの?

モノたちは悠々と部屋を牛耳り、人間はせせこましく暮らしている。
なぜ?なぜ?

きっと、わたしの断捨離が甘いのだ。
本を読んだりセミナーを受けるのでは十分ではないのだろう。
そう思った。

3.断捨離の専門家に入ってもらう決断

そこでわたしは、お金のことは度外視し、断捨離の専門家に、実際に家に入って徹底的に改善してもらうという手段に出た。

専門家さんを家に呼び、一緒にクローゼットをあけ、タンスの引き出しをすべて出し、あらゆる衣類を「ときめくかどうか」で見ていった。衣類→書類→キッチン→サニタリーと、わたしが管轄するエリアを徹底的に断捨離した。

その専門家さん曰く、断捨離の鉄則として、「人の物には手を出さない。口も出さない。」というものがあるらしい。我が家で一番モノをためこんでいるのは夫なのだが、わたしはここにいつも不満を抱えていた。専門家さんは「あなたがモノを徹底的に減らしたら、家族がそれに倣うようになる」と言った。わたしは徹底的に自分のものを減らしていった。

そこで何が起こったかというと、夫はそれに呼応するように、いろいろなものをネットショップで注文するようになり、知らない段ボールがどんどん家に届くようになった。また、知人からもらったと言っては、いろいろなものを家の中に持ち込むようになった。

「捨てる」「捨てない」の夫婦の攻防が、かれこれ引っ越して以来、7年続いている。

娘も自分たちの部屋を欲しがる時期になったため、昨年、例の、夫のモノで占められている部屋を片付けてもらい、その一部を娘のスペースにした。しかし、すぐに夫のものであふれてしまう。娘のデスクの上に、夫のジャケットがバサッと置かれていたり、もらってきたものが床の上にどんどん積まれていったり。娘も「自分の部屋」という感覚を持てず、部屋に行くときは、洋服や教科書を取りに行く時くらいだ。基本はリビングにいるスタイルのまま、今に至る。

4.大事なものすら断捨離するという決断

この物置と化した部屋には、基本的には夫のモノと娘のスペースがあるのだが、季節のものも多少置いていた。主にはハロウィーンとクリスマス。これが原因なのか?わたしのものがまだ残っているせいで、夫がモノを捨てられないのか?わたしは苦渋の決断として数年前にクリスマスツリーも捨てたし、子ども達がトリックオアトリートに興味を無くした年にはハロウィーングッズも捨てた。「クリスマスツリーがなくて寂しい」という気持ちはあるが、夫に捨てさせるために家族の大事なものを捨てたのだ。それなのに、夫はまさにクリスマスツリーの分を埋めるがごとく、新しくアウトドアグッズを注文して、また部屋に置いた。

捨てても捨てても、夫がモノを増やしてくる。

わたしはもはや、断捨離の限界を感じていた。
断捨離する度に夫のものが増えていくのだ。

今年も大掃除の時期がやってきて、憂鬱な気分になった。夫のモノの量のことを考えると、げんなりするのだ。なるべく見ないように過ごしてきたが、掃除となると見ざるを得ない。

5.断捨離に完全敗北。からの、意識の転換

そんな時、ふとネットサーフィンしながら目にした記事に「モノがあっても幸せ」という一節を見つけた。

そこで突然、光のようなものがわたしにさしてきたのだ。

そうだ。モノがあったっていいじゃないの。

いとも簡単に、あっという間にわたしの価値観は変わった。

モノを捨てるのが正義なのではなく、モノの位置を正確に把握することが正義だと。

「○○がない」といつも探していて無駄な時間を過ごす夫に、「モノが多いからだよ。」って悪態をついてきたが、それはモノが多いからではなく、モノを元あった場所に戻さないことや、モノのありかを把握していないからであって、モノが多いせいではない。もう一度言うけれど、「モノが多いせいではない」のだ!モノが多いことに罪はない。(使ったものをすぐに元の場所に片づけない、あるいは、モノのありかを把握していないせいなだけ)

こう考えると、とってもすっきりした。
そして思い出した幼い頃のエピソードが以下である。

わたしの父親は頭がいい人なのだが、机周りはいつもごちゃごちゃだった。どうしてこの人はこんなデスクなのに、考え方は理路整然としていて、議論をしても迷いがないのだろうと思っていた。しかしある日、母が父に「お父さん、○○はどこ?」と尋ねると、あのごっちゃごちゃのモノの山の中から、雪崩になりそうなところを雪崩にせず、「ほい、これ。」って、すぐに差し出したのだ。見た目はごちゃごちゃでも、あのカオスとかした場所の中にありながら、モノたちはしっかりと自分の居場所があったし、父の中では完ぺきに整頓されていた空間だったのだ。

うん。これ、断捨離、しなくても大丈夫だ。

この考え方に行きついた今年は、わたしの掃除のペースは速く、掃除するときの足取りも軽い。とにかく、「○○さん、ここにいるよね~」というモノたちの確認作業と、その整理へと変わったからだ。

「まずは捨てなくては!」と思っていた。ずっと。

でも、違う。少なし、今のわたしには、「モノを捨てまくる」っていうのは、違う。

モノたちを確認しながら、居心地が悪そうだと収納を工夫して見えやすく、かつ、取り出しやすくしてあげる。ずいぶんとお役目を果たしてくれた子、あるいは、うちにいても出番がないねという子たちは、感謝してサヨナラする。

娘と息子はわたしの介入を喜んでくれたので、一緒に片づけた。息子の衣類からは、「あぁ、懐かしい!」とか「ここにいたのね!新品のままで~!(一度も着なかったな、このやろ~!笑)」という子たちも出てきたが、それはそれで感謝して袋に詰め、お掃除で使えそうな素材のものはウェスとして再利用させてもらうことにした。子ども達のモノたちの居場所を子ども達と一緒にわたしはしっかりと把握することができたし、なんだかとっても気持ちよくなった。

夫は介入を拒否したので、お手伝いはしなかったが、それは夫のテリトリーの話。モノがなくなって貴重な「命」という時間を無駄にしているのも、もう一度同じようなものを買って出費を負うのも、夫の都合。以前は、それにモヤモヤしていた。わたしの命が削られたわけでもないし、わたしのお金が使われたわけでもないのだけれど、なぜか夫を見ながら「どうしてそうなるの!」と、イライラしていたのだ。これはすべてわたしの勝手なコントロール欲に過ぎないと気づいた。気づいたら夫のモノをどうにかしたいという気持ちも、夫をどうにかさせたいという気が失せた。

断捨離に躍起になっていた時は、わたしはとにかく夫にモノを捨てさせたかった。
夫のモノを捨てるためにわたしが断捨離しなくてはと思っていたのだった。

今ならわかる。
そんなんだから、夫がモノを捨てるはずはない。

6.断捨離を断捨離した、今年の年末掃除が快適な理由

我が家の大掃除は、毎年、わたしが計画を立てる。夫はココ、息子はココ、娘はココ、なんて役割と場所を決めて、わたしが進捗確認していく。「まだやってないのか!」と、指示出しすることもあった。

今年はみんなでやることをやめた。わたしが掃除したいときに、ちょこちょこと、気になったところをやっていくスタイルだ。意図したわけではなく、自然とそうなった。

今年はおかげさまで冬に入っても晴天が続き、カーテンの洗濯も気持ちよくできたし、窓掃除やベランダの掃除も、暖冬のおかげで快適にこなせた。それに、掃除をしながら身体を動かしていると内側からポカポカしてきて気持ちい。毎年「こんなに汚い!」とか「わたしばっかり掃除して、誰もやってくれない!」「まだできてないよ!」って文句ばっかり言ってたな~なんて思い出して、苦笑しちゃう。

今年は緩い。掃除をやりたくてやっているし、やりたいなって思ったところしかやっていない。

けれども、ガスコンロ周りとか換気扇、洗面台下、シンク下、シンク上、サニタリー、浴室、玄関まわり、冷蔵庫など、いろいろなところがきれいになっていっている。モノのありかを確認しながら、把握しながらなので、こちらも気持ちがよい。何がどこにあるのか、どこがどういう状況なのか、そういうのを自分が把握してあげられていることが実に快適なのだ。


7.断捨離を断捨離できなかった今までが苦しかった理由と、断捨離して後悔ばかりしていた理由

わたしはなぜ断捨離をしていたかというと、結局のところ、「きれいなところで暮らしたい」という理由ではなく、人(夫)をコントロールするためだった。そして、そのことで自分が変われるかもしれないという曖昧な期待のためだった。そのために、今までいろいろなものを捨ててきた。断捨離そのものを否定はしないけれど、なぜ断捨離するのかっていう、出発点が全然ダメだった。

だからなのか、わたしは、断捨離してしまったものをしっかり覚えている。あの小物がこの服に合うなって思っても、あぁ、捨てたわって、後悔することがよくある。当時、ほんとうはとっておきたかったけれど、「断捨離は正義」っていう信念を信じて捨てたんだね、きっと。

クリスマスツリーさんは、捨てて後悔している最たるもの。毎年子ども達と1つオーナメントを作り、それが1年に1つずつ増えて、家族の成長の記録のようになっていたが、それも捨てた。ほんと残念なことをしてしまった。この季節の子ども達との楽しみだったし、家族の喜びだったのに。「夫をコントロールできない」ことに苛立って、腹いせのようにわたしは捨ててしまったのだ。当時はそんなことは意識していなかった。「断捨離」という正義のために捨てたと思っていたけれど、今ならあの時の本当のベクトルがよくわかる。悲しいかな、全てわたしのエゴに踊らされてやってしまったことだったのだ。ちなみに、イルミネーションだけは残していたので、今年はピアノの周辺をイルミネーションでライトアップし、クリスマスピアノにしている。

ということで「断捨離」から卒業した2024年の冬でありました。

8.最後に

この断捨離からの卒業をもって、矛盾するようですが、今後、我が家のモノは自然に少なくなっていくような予感がします。

力をぬいて、ゆるく暮らそう、それが一番。


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