エッセイもどき 『走らない』 #シロクマ文芸部
「走らないように」ピアノを習っていた子供の頃、テンポがだんだん早くなってしまうと、先生は自分の膝を叩いてテンポをとりながらそう言っていた。
子供なので、スラスラ弾けると調子に乗る、調子に乗って早くなる。気持ちが焦っていても早くなる。もちろん先生は悪くないその通りだ。だけどそんな事も、心がウキウキと走り出す事を抑える訓練になってしまっていたのではと考えてしまう。
そんな事を考えていたら、自分の中の走るにも、大事にしたいものとそうでないものがあると思った。
心が走るのは、大事にしたいと思う。
子どもは走り出す。心がウキウキと走り出したら体も走り出す。飛び出したりするのは危ないけど、心が走り出す事を止めないように育つ事はできないんだろうか。
大人の私だって、体は無理でも心は走り出してもいいんじゃないか。
私の心は走り出せるんだろうか、長年走らない様にして来てよくわからなくなってしまった。
心が走り出したくなる様なもの、ウキウキする事、ワクワクする事、ときめく事。こんまりさんは手に取ってときめく物を残すという片付けをしていた。私のときめきセンサーは、ずいぶん鈍っている気がする。自分用のお菓子をコンビニで選ぶ、小さな雑貨を自分に買う。そんな事から鍛えていったら、ときめきセンサーは復活してくれるだろうか。
焦る走り出すは、止めたいと思う。
頭がクルクルと先走り、気持ちが焦り、早く早くとせき立てられる。焦っているとあまりうまくいかない気がする。落ち着け、大丈夫だから落ち着いてやれと、自分に思う。
頭が暴走してしまっているんだと思う。頭が暴走していると、よくない事ばかり考える。そして不安と焦りばかりになる。そんな時は“どうどう”と馬の様に落ち着かせたらいいんだろうか。
多分そんな時は頭がどこかに行ってしまい、今を見る事をやめてしまっている。今に帰って来たら、落ち着くだろうか。焦りは落ち着いてくれるだろうか。
「走らない」 から思った事