『ふり』をやめて、楽に生きていく
『ふり』をやめようと思う
私は色んな『ふり』をして生きてきました。
知っているふり
知らないふり
できるふり
できないふり
怖いふり
怖くないふり
嬉しいふり
楽しいふり
興味があるふり
興味がないふり
いい人のふり
いつも笑顔
きっとまだまだたくさんの『ふり』をしてきた。それは周りの顔色を見て生きてきたから。自分の気持ちなんて無視して、どう振る舞うのが都合がいいかで生きてきたから。
私は自分軸で生きていなかった。
友達が「タメ」という言葉を使っていた時、初めて聞いた言葉で、???となりました。だけど知らないのは恥ずかしいと思って、黙って話を聞き、後からどういう意味なのか一生懸命推測しました。今ならすぐ検索できますけどね
嫌いな食べ物も、我慢して飲み込んだし、作ってくれた人が喜ぶからと「おいしー!」と言ったこともあります。多少は潤滑油かもしれないけど無理をすることはなかったと思います。
私は、周りがいいというものを、いいと思えなかったり、周りの人がしたいことを、したいと思えなかったことも多くありました。(ただのひねくれ者かもしれないけど)
それを周りに合わせて生きてきました。違うのって生きにくいからね。
自分の気持ちを素直に出すのが怖かった。笑われたりバカにされたら傷つくから。
そうしてきたのもわかるよ、その方が生きやすかったと思う。そうした自分も必死だった。
だけど『ふり』って大変です。面倒になってきました。
自動的にふりをしてしまうのはなくなってきたけど、まだ本当の気持ちを出す方が勇気がいってちょっと大変。今までの、周りに合わせちゃうって癖があるから。
だけど慣れてくれば、『ふり』をしない方がずっと楽なはず。無理も我慢もしなくていいし、演じなくていいんだから。
いつの間にか力が入っちゃうから、意識して力を抜いて楽に生きていこうと思う。
『ふり』をやめるを検索したら、こんな記事が出てきました。
(noteでシェアボタンがあってちょっとビックリ)
内間さん、独特のリズムがあっていいな、沖縄ならではなのかなって思ってたけど、たくさん『ふり』をしていたんですね。
欠点を受け入れてさらけ出して生きるようにしたら、人生が良い方へ流れ出したそう。
私もそんな、穏やかで楽な生き方をしようと思う。