月めくり #シロクマ文芸部
「月めくり」表紙にそう書かれたノートが古い鞄の中から出てきた。「日記か何かだろうか?」最初のページをめくってみると、そこには詩のようなものが書かれていた。
「これもよろしいですか?」浩二は急に声をかけられ、慌ててノートを自分のリュックにしまい、お願いしますと返事をした。数年前に亡くなった大叔父、祖父の弟には家族もなく、住んでいたマンションは父親が管理していた。どうやら変な死に方をしたようで、気味悪がってほったらかしになっていた。さすがにそろそろ処分しようと片付けを頼まれたのだった。
大叔父の部屋は興味深かった。古いカバンや古い道具類は、骨董品とまではいかないが、高く売れそうなものもあった。それを仕分けするのは鑑定家気取りで楽しかった。そんな遊びにも飽き、今日は道具屋に買取に来てもらっていたのだが、浩二の心はさっき見つけた「月めくり」に奪われていた。
「このくらいの金額になりますが、どうされますか?」道具屋の示す金額をろくに確認もせず「それでお願いします」と返事をし、荷物を運び出してもらった。後は便利屋にでも捨ててもらえばいい、それよりもノートを早く読みたい。散らかった部屋をそのままにカーテンを閉め、部屋を出て近くのカフェへ向かった。
*
浩二はフリーのライターだったが、最近はあまり仕事ももらえなくなっていた。大叔父の部屋に何かいいネタはないかと思っていたのだがこの「月めくり」を見つけ久しぶりに血が巡り頭が回転し始めた様な気がしていた。
店に入ると店員に「コーヒーを」と声をかけ、早速ノートを取り出した。次のページからは日記の様なものが書かれていた。かなり雑な字で書かれていて読み進めるのには相当時間が必要そうだった。
ここで一旦日記は途切れていた。「この人は一体何をしたんだ?」変人だったとは聞いていたが、ドラッグでもやっていたのだろうか。次のページをめくった瞬間、浩二は眉間に皺を寄せた。最初の一行こそなんとか読めたが、後は字とも言えないものだった。
「ふたつめの月をめくった、めくったぞ、あの人に」一行目には震える字でそう書いてあった。後の字は大きさもバラバラで重なり合い、なんとか単語を読み取れるくらいだった。「いつ、あいたい、きみ」後はよくわからなかった。次のページをめくるとそこには「3」と数字がひとつ、大きく書かれそれで終わっていた。
「やっぱりドラッグかなー」思わず声に出てしまい、あーと伸びをして誤魔化し席を立った。大したネタにもならないかと一旦は諦めたがどうも気になって仕方がない。家に帰ってもベッドに寝転がりパラパラと読めない字を眺めていた。すると、最後の方のページに何かが書いてあるのを見つけた。
『廻月神社』
そんな神社があっただろうかと、調べると祖父の出身地である佐賀にその神社があることがわかった。
「どうせ暇だし、いっちょ行ってくるか」浩二は飛び起きると、鼻歌を歌いながら荷物をカバンに詰めた。
*
今年が暑いのか、九州が暑いのか、9月になっても空気はべたっと重苦しかった。明るいうちに神社につければ、そう思っていたがなんとか日のあるうちに神社は見つかった。近くにレンタカーをとめ歩いていくと、下へと続く石段があった。「下へ行くのか?」少し不審に思いながらも、入り口に鳥居があったことを思い出し奥へと進んだ。
木々が茂る中降りていくと、そこには小さな池があった。奥には神主もいない小さな神社があるだけだったが、しめ縄も紙垂も綺麗だった。池に注ぐ湧き水は竹の口から流れ出ているものもあり誰かが来ていることは感じられた。軽くお参りをし、車の中で誰かが来るのを待つことにした。
そのまま寝てしまったのだろう、気づくとあたりは明るくなっていた。すると鳥居の前でお辞儀をし、足早に石段を降りていく人影が見えた。浩二は急いで車を降り、後を追いかけた。途中まで降りたところで戻ってくる人が見えた。その人は浩二を見ると一瞬驚いて立ち止まり軽く会釈をした。
彼はこの神社の神主で、大叔父のことを話すと驚き「そうですか、亡くなられましたか」と残念そうな顔をし、自分の家へ招いてくれた。
「何かご存じだったら教えてください、これを見つけたのですがなんのことだかわからなくて」そう言って「月めくり」と書かれたノートを差し出した。彼はノートをめくると急に厳しい顔つきになり、すぐにノートを閉じ浩二に返してきた。「このことはお忘れください」
嫌な空気を感じながらも、浩二のライターとしての血が知りたいと騒ぎ出した。
「私はライターをしておりまして、このことを記事にしようと思っています。しかしこのままではただの変人の死ということになってしまうでしょう。月めくりについてはネットで広く情報を募るつもりでいます」少し盛ったが嘘ではない。前のめりになってそう言った。
「それはおやめください!」そういうと彼は目を伏せた。
「何か知っているのですね」強く尋ねると、彼は浩二の目を見ていった。
「本当のことを書いてください、面白おかしくしないと約束してくれますか?」
浩二がもちろんと頷ずくと、少しお待ちくださいと奥へ入っていった。
**
これが本当の月めくりです。差し出された資料には『月廻り』と書かれていた。
「月めぐりですか?」浩二が尋ねると彼は大きく頷いた。
「はい、本来は月めぐりなのです。それがいつしか月めくりになってしまいました。」
中には、大叔父のノートと同じ「詩」の様なものが書かれていた。
「これの意味は?」
「本来は、毎朝神社にお参りしましょうと言うものなのです。ひとつき、毎朝早起きし、神社への道を歩けば体力もつき気持ちも前向きになります。若い頃のような自分になれますよと言うことなのです。昔は毎日お参りしている人は何人もいました。ふたつきお参りすれば、好きな人もできましょう。みつきお参りすれば、どこへでも行けるような健脚が手に入る、それだけのことなんです」
資料の中を見ると、確かにそんなことが書かれている様だった。
「それが‥‥」
「それが?」
「はい、あの歌だけが人々に語り継がれていたものですから、言葉のまま、月をめくったら昔に戻れる、亡くなった愛しい人に会えると思う人も増えてきて。それでも毎日お参りをすると言うことだけは守られていたので良かったのです。体と心が健全になっていきますから。ただ‥‥」
「ただ?」
「時代が混沌としてきた頃でしょうか、毎日お参りしなくてもすぐに月をめくれると言う噂が立ちました。アヘンです。どこかから手にいれ、そんな闇の、裏の月めくりの話が出来上がりました」
「それであの頃に戻れるんですか?」浩二がきくと強い口調で彼が言った。
「よく思い出してください。月をめくるとはなんでしたか?そんな魔法の様なことでしたか?」
すいませんと謝ると、彼はまた話し出した。
「いえ、申し訳ありませんついキツくなってしまいました。人間はそう言うものです。魔法の様なことに魅了されてしまうのです。ちゃんと伝えてこなかった私たちも悪いのです。」
彼らは本来の意味を伝えようと必死になっていた様だが、裏の月めくりばかりが一人歩きしてしまったらしい。
「アヘンが手に入らなくなるとまた別の、それはおぞましい月めくりの噂が立ち始めました。最初の犠牲者は、奥さんと子供を土砂崩れで亡くした男性でした」
おぞましい、犠牲者、そんな言葉に大叔父のノートが頭をよぎった。
「もしかして大叔父はそれを知っていたのですか?それを試したんでしょうか?」
「彼はもともとこの村の人間です。この噂はみんな知っていました。しかし今の時代、それはもう都市伝説のようなもので信じるものは誰もいません。ところが何年か前、彼が資料を見せてくれと顔を出したのです。」
「そんな資料があるのですか?」
「はい、この本当の月廻りと、もう一つ、裏の月めくりを試した人々のことが書かれた資料がありました。本来これは、私どもの家にだけ伝わるもので、外部のものには見せたことがありませんでした。しかし彼は誰に聞いたのか、それを見せろときかなかったのです」
浩二は大叔父の家にあったものを思い出した。沢山の本、資料、調べ物をしたようなノート。大叔父は詳しい取材をし小説を書くことで有名な作家だった。探偵まがいに調べたのかもしれない。
「小説の資料にすると言われたんですか?」
「ええ、もちろんそのまま書く様なことはしないからと強く言われ、有名な作家さんでもありましたから、私もつい作品のヒントになればと見せてしまったんです」
「それを見ることはできますか?」恐る恐る浩二は聞いた。
「いえ、もうそれだけはご勘弁ください。決してしてはいけないことでした」うなだれる彼にそれ以上詰め寄ることは酷なように思えた。
「ではせめて、話を聞かせてください。大叔父の最後を知るのも身内の勤めです。変な噂が立たないためにも」
*
しばらくためらっていたが、彼が口を開いた。
「これを知るものも減ってきました。どうかこれ以上口外なさらないようお約束ください。そして変な噂が立たぬよう、本当の意味の月めぐりのことを書いてください」そう前置きをし、廻月神社の神主である彼は話し出した。
「ひとつめくってあのころへ、ひとつめは自分の鼓膜を破ります。音のない世界です」
ああ、それで静寂だったのか、しかし鳥の声が聞こえたとあったが、神主は続けた。
「音のない世界で、多くの人が懐かしい音を幻聴として聴く様でした。そして次、ふたつめくっていとしいひとへ、ふたつめは自分の目をつぶします。暗闇の世界です。ここでもいつしか強く思うものを幻覚として見る様です。いとしい人に会いたいと願っていたならばいとしい人の姿を見るのでしょう」
ああ、そうなのか、目が見えなかったから字がまともに書けくなっていったのか。浩二は大きくため息をついた。
「みっつめくればどこへやら、みっつめは自らの命を断ちます。どこへ行ったのかは誰も語れません。これが裏の月めくりです」
**
東京へ向かう飛行機の中で浩二は夜の空を見つめながら考えていた。
大叔父はいつの頃に帰りたかったのだろう。あの佐賀の山の中、子どもの頃だろうか。生涯独身だった彼は誰に会いたかったのだろう、亡くなった恋人でもいたのだろうか。そしてなぜ、自ら命をたったのだろう。
彼は多くの作品を世に残した。それまでのような取材や作品を書くことができなくなり生きる意味を感じられなくなったのだろうか。
浩二はあのマンションの部屋を思い出した。沢山の物にあふれ、そこはまるでおもちゃ箱のようだった。そこから感じられるのは絶望というより、むしろ子どものような無邪気さだった。だから浩二はあそこへ行くのが楽しかったのだ。
部屋を片付けていてわかったことだが、彼は病気で長くない様だった。もしかしたら、子どもの頃から気になっていた噂を、試してみたくてしょうがなくなったんじゃないだろうか。変人と言われていたがそれは褒め言葉でもあり、好奇心旺盛な彼ならやりかねない。そんな考えが浮かび、少し気持ちがやわらいだ。
前の方からCAさんが、子どもにおもちゃを配りながら歩いてきた。
「ひとつもらえませんか?それを欲しがっている子がいるんです」
一瞬戸惑った様だったが、欲しがっている子という言葉に「いいですよ」と笑顔で飛行機のおもちゃをひとつくれた。
これを大叔父の墓に持っていってやろう。
シロクマ文芸部に参加させていただきます。初めて締め切り前に書き終わりました。やったー!