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逃げる夢 シロクマ文芸部

逃げる夢をよく見る。自分が逃げている訳ではない、夢の中の物が逃げてしまうのだ。

始まりはいつも同じ。森のような場所を歩き、山小屋のような所に入る。そして、ただぼんやりと見える景色を眺めている。それだけなのだが、何度も同じ場所の夢を見る。何度か見るうちに、ぼやけていた周囲が少しずつはっきりと見えるようになってきた。

その日は部屋に椅子があることに気づき、座ろうと手を伸ばした時、その椅子はフッと消えてしまった。

また別の日は、森を歩いていると蝶が通り過ぎた。思わず手を伸ばすとその蝶はフッと消えてしまった。

その後も、蜘蛛だったり赤い花だったり水だったり。この間など缶ジュースがあり手を伸ばしたらやっぱり消えてしまった。物が消える夢、と言うことかもしれないが「くそっまた逃げられた」そんな感情が湧いてくる。

その日はりんごだった。どうせまた逃げられるんだろう、そう思って横目でりんごを見ていたが、消える気配がない。もしや今度はと淡い期待を抱きながらそっと手を伸ばすと、あとちょっとの所でまた逃げるように消えてしまった。

「あーくっそ!今度こそ捕まえられると思ったのに。一体どうやったらあのりんごをつかまえられるんだろう」

独り言をブツブツと言いながら階段を降りていくと、リビングのテーブルの上に赤いりんごが置いてあった。

「やったー捕まえた!」

思わずりんごを掴んで高く掲げながら叫んだ。が、途端に恥ずかしさが込み上げりんごを置いて冷笑した。



「ってことがあったのよ」

同僚のトモコに話しながら、バカだなあと改めて思った。

「他にどんなものが逃げちゃったの?」
「えっと、椅子でしょ蜘蛛でしょあっあと缶ジュース」

「それ」彼女の指さす方を見ると自分のカバンからエナジードリンクがチラッと覗いていた。

「あーこれはさっき駅前で配ってたのよ。それにジュースじゃない‥‥し」

マジマジとエナジードリンクの缶を見つめていると、呆れた様に彼女が言った。

「ふーん、まあ悪い事じゃないからいいんじゃないの」

彼女はそれで興味が薄れていったようだったが、ひとつひとつ思い出すと逃げたものがそのあと自分の前に現実として現れているようで、身震いとも寒気とも言えないような変な感覚が自分を襲った。



まさかねえ。そう思いながらも、考えてみるとやはり消えたものが現実に現れているように思えた。蜘蛛や蝶が目の前に出てくることなんて別段驚きもしないが椅子はどうだ。たまたま知り合いからもらったのだが、出来すぎているようにも思える。

あの夢を見るのが怖いような楽しみなような複雑な気持ちになった。

その晩、夢には焼きたてのパンが出てきた。食べようと手を伸ばすとそれは消えた。次の朝リビングに降りていくと母親が声をかけてきた。

「あ、そのパン食べる?お隣の佐藤さんが焼いたんですって」

やっぱりそうなのかもしれない。パンをむしゃむしゃと頬張りながら、よっしゃと言うような気持ちが湧き上がり、鼻の穴が膨らんだ。


それからは、夢と付き合うコツも覚えていった。何かいい物があれば「これもらおう」と手を伸ばす。するとそんなに遠くない未来にそれが手に入る。欲しくないものには手を伸ばさなければいい。食べ物など大したことないものばかりだが、だんだんと鼻歌まじりで手に入れるようになっていった。


「ちょっと飽きてきたなあ、もっとすごい物が出てこないかな。別の場所にでもいってみようか」



その晩またあの夢を見た。いつも右に曲がってあの小屋へ行くのだが、その日は左に行ってみた。恐る恐る歩いていると、ある村についた。村の入り口で立っていると、向こうから二人の若者が駆け寄ってきた。

「ようこそ僕らの村へ。僕の家でお茶でも飲みませんか?」彼が来た方を見ると豪邸が立っている。彼は近寄り手を差し出してきた。そのあまりの整った顔立ちに急に恥ずかしくなりドキドキしてきた。

「こんなイケメン、私なんてムリムリ」

すると今度はもう一人の若者が額の汗を拭いながら話しかけてきた。

「私の店を手伝ってもらえないだろうか。給金はちゃんと支払う」

その青年は、まあ至って普通でときめきもしなかったが緊張もしなかった。お店はかなり忙しそうで店員が走り回っている。

「私にはこれくらいが妥当かな、ちゃんと働けば給金もくれるみたいだし」

その青年の方へ一歩踏み出そうとして、一瞬ためらった。今ここで手を伸ばしたら、本当にこんな感じの人と出会うことになってしまう。本当にそれでいいの?私。

怖気付いた私は、道を引き返しいつもの小屋へと飛び込んだ。


目を覚ますと考え込んでしまった。

「どうしよう!」

違う道なんて行くからこんなことになるんだ。いつもの小屋で満足しておけばよかった。でも、新しいことを求めていたんじゃないの?こんな二択なんて今までなかったじゃない。今まではただ欲しいものに手を伸ばしていただけで良かったのに。

そこでふと気づいた。欲しい果物の横には欲しくない果物があることもあった。ただ欲しくないから全く眼中になかった。深く考えもせずに欲しいものに手を伸ばしていたから、二択をしているとか選んでいるという意識さえなかった。

今度はなんでこんなに悩んでしまうんだろう。

小さい頃からいつか王子様が現れてくれるのを待っていた。だけど実際現れたら怖気付いてしまう。私なんかがいいのだろうか、役不足じゃないのか、贅沢なんじゃないか。夢なのに、思い切った行動ができない。

私には働いて給料をもらう方が似合っている気もする。お店の青年の顔を思い出した途端、体がぎゅっと緊張した。必死に働く毎日になるかもしれない。

私はそれがしたいの?


今度は王子様のような若者を思い出した。顔はニヤけ力が抜ける、体はポッと暖かくなった。

「ホントはこっちの方がいいなあ」

あ、こっちがいいんだ。そう思った自分に気づき少し驚いた。でも怖い、どうする私。



しばらくあの夢を見ても、あの青年たちがいる道には行かなかった。決断する勇気がなかったから。しばらく離れているとただの夢の様に思えてくる。こうやって考え事をしながらも流れるようにキーボードを打つ自分の手を見ながら思った。

「こうやって働いてるのも、好きなんだよね」


どっちかに決めなきゃって力が入っていたけど、もしかしたらどっちを選んでも幸せなんじゃないか。それぞれ違う楽しさがある。

それにどちらかに決める必要だってないかもしれない。両方と仲良くして、働いたりお茶を飲んだり楽しく過ごしたっていいし、自分のお店を作ったっていい。


どうなるのかわからないけど、どうなってもいい様な気もしてきた。

その時何に手を伸ばすかなんて、その時にならないとわからない。そっちじゃないだろうと思うものについつい手を伸ばしてしまうことだってある。



そんなことを考えていたら、夢にこだわっているのも面倒になってきた。夢が現実になると言っても、夢に出てきたものにしか手を伸ばせない。欲しい物があったら実際に手を伸ばせばいいし、手に入らなかったら他の物を探せばいい。


急に肩の荷が降りた様な気がして、気分よくパチパチとキーボードを鳴らしながら考えていた。


今日はなんのおやつを買って帰ろっかな





シロクマ文芸部 お題「逃げる夢」に参加します。


不思議な感じにしようかと、着地点も考えずに書き始めましたが、結局現実的な話になってしまいました。


思った様には進まない、でもそれも面白い。


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