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アリと呼ばれた私は、キリギリスになって歌って暮らす
もう、あとはあの人にお任せしよう。
そう思った時に、ふっと力が抜けるのを感じます。
私は人に頼ったり、甘えたり、任せたりすることが苦手です。
例えば、真面目だったり、誠実だったり、正義感が強かったり、優しかったり、人の気持ちに敏感だったり、面倒見が良かったり、心配性だったり、愛情深かったり。
そんな人が
私がなんとかしなくちゃ
私がなんとかしてあげなくちゃ
そう思って、必要以上に頑張ってしまうことがあります。
自分の方が早く上手にできると思っている時もそうです。
私がやらなくちゃ
私がやった方が上手くできる
そう思って任せられません。
そんな人は
自分でなんとかしてきたのかもしれません。
なんとかできちゃったのかもしれません。
頼ること、甘えることができない環境だったのかもしれません。
頑張ったら褒められる。(もしくはあたりまえ)
頑張らないと叱られる。
一人でやったら褒められる。(それがあたりまえ)
一人でやらないと嫌な顔をされる。
もう嫌だと思っても無理をしてしまう。
頑張っていないとダメだ、役に立っていないとダメだ
そうじゃない自分は、いらないって思われてしまう。
そんな恐怖が根底にあったからかもしれません。
自分自身のこともそうです。
自分でなんとかしなくっちゃ、人に頼っちゃいけない。
子供の時からそうやってきた人は、大人になっても一人で、できる限り頑張るでしょう。そしてそのできる限りは、どんなに厳しい人が見てもそれなら仕方ないだろうと思えるくらい、ギリギリまで続く。(それは親の目なのかもしれません)
もう無理、できない。それを自分に許せたら、頑張るのをやめたかもしれません。
「折り紙が折れないよー!作って〜教えて〜」小さい子ならこんな感じかな。教えてもらえたら、甘えること、頼ることを覚えたかもしれません。
「もう無理!私には向いてない、できない、やめた!」そう思ったら、諦めたりもっと自分が楽しいと思うことを探すかもしれません。
だけど、頑張り屋さんだったり、無理をすればなんとか一人でできてしまったり、諦めてはいけないという教えを必死に守っていたり、失敗を強く批判され、決して失敗をしてはいけないと思い込んだり。
そして失敗しないことしかしなくなり、頼ることを覚えない。
頼ること、甘える事、人にやってもらうことはいけない事。
多分、そう信じて生きていました。
そうやって生きることが正解、正しい事、そうしないとこの世は生きられないと思っていました。
それが、心地よく楽しいならなんの問題もないです、でも私は苦しかった。
今少しずつ、無理をしないこと、頼ること、甘えることを覚えようとしています。
そのほうが多分楽に生きられる。
誰かを信頼して、あとは任せよう。そう思うとフッと肩が軽くなります。
それに、やってあげないとダメだと思っているって、その人にはそれをやる能力がないと思っているってことです。
失敗もさせないってことは、人に頼ることを覚える機会を奪ってしまうことかもしれません。自分に向かないことを諦めて、もっと自分に向いていることを見つけるチャンスを奪ってしまうことかもしれません。
自分の子育てを思い出すと耳が痛いです。
「もういいや、あとは任せよう」そう思った瞬間にフッと軽くなり楽になった感覚がしました。このことを書こうとしたら、結構長くなっちゃった。
自分だけでなんとかしなくちゃいけないって大変です。
力を抜いて、もっと甘えて、もっと頼って
らくに楽しく生きてもいいんだと思います。
そんなのダメと言われったて
私は残りの人生、キリギリスのように生きるんじゃー
お借りしたトップ画像は、コイズミタダシさんの
泣かないで、もう。
という作品。2㎝のお人形と、とっても小さな作品。
キリギリスではないし内容とあってないかもしれないけど、とっても可愛らしいのでお借りしました。
「頑張りすぎたキミ、もう泣かないで。ほら、一緒に歌おう」
そう言ってるって思ったら、なんだかピッタリに思えてきました。
ありがとうございます。