ペン先のゆくえ
アール座読書館には、お手紙セットがある
レターセット+ドリンク一杯で1000円くらい
2種のペン
3色のインク
2色のシーリングワックス
4種のシーリングスタンプ
マッチ棒の入った小さな缶
便箋と封筒は、たくさん
これらがレターセットの全容
たくさんの道具たちはお店と同じく静謐な空気を纏っているから、すこしの物音も立てないよう、息を潜めて震える指でそうっと触れた
ずっとガラスペンに憧れていた
私はそそっかしいし筆圧がゴリラなので、あんな繊細なものは扱うべきでない
そう思って、眺めるだけに留めていた
けれど、めぐりあわせとは不思議なもので
遠ざけていたものの方からやってくることがある
すきとおった水色、氷のような青
いつもみたいに「壊すかもしれない」なんて思う間もないくらい、一目でこのガラスペンに惹かれた
つけペンを使うのはこの日が初めてだった
万年筆は昔に使ったことがあったけど、持ち方がわるくてペン先が曲ったし、指先はインクで黒く染まった
紙に書いた文字もぐじゅぐじゅと滲んで潰れてしまうし、思うように書けなくて使うのをやめたのだった
ガラスペンのペン先はとても脆いらしく
「インク瓶の底にぶつけないように」
「瓶のふちにも触れないように」
注意書きが添えられていて、とても緊張した
あれは集中をもたらす良い緊張だった
深い緑色のインクが入った小さな瓶を選んで、ぶつけないようにそっとガラスペンを浸す
紙の上にペン先を置くと、瞬く間に色が移った
あわてて文字を書き始める
選んだ便箋はインクの滲みやすい紙だったらしく
一文字書くごとに印象が変わっていく
これじゃあまるで怪文書だ
バイオハザードを思い出した
赤いインクにしなくてよかった
こんなに難しいものとは思わなかった
でも、楽しい
字を書くのがすごく楽しかった
ペン先が紙に引っかかるし、太さが揃えられないので苦戦しながら書いているとちゅうで、ガラスペンの先が欠けていることに気づいた
もしかして私が壊したのかと焦ったが、書く前に撮っていた写真を見たら、最初から欠けていた
いつからこうなっているんだろう
今ここには3色のインク瓶がある
どれかの瓶底に、小さくて丸くて透明なペン先が沈んでいるんだろう
もしかしたらインクの色が移っているかもしれない
海の底に沈んだ指輪とか、そういうものを想像した
取り出してみたいけれど、今日は時間がない
欠けたペン先を操りながら、手紙を書いた
便箋は2枚と決められていたから、収まるかドキドキしながら書きすすめていった
残りの行数が少なくなるにつれ、出てくる言葉が強く短くまっすぐになっていく
欠けたペン先につられるように文字も鋭くなっていく
ペンを止めるとたちまちインクが滲むから、書くスピードが増していく
これがつけペンの魅力なのだろう
言葉がどんどん引っ張り出されていくようだった
書き直しがきかないからこそ、迷わなかった
一気に書き上げたから後で自分で何を書いたか思い出せない気がしたので、写真に撮った
あの日から何度も読み返しているが
読み返すたび、後半の熱量にあてられる
溶けた鉄やガラスのような温度
いや、書いてる内容はいつもと同じ感じだけど
手書きの文字ってやっぱり思念がこもるから
我ながら「アッツ!」と思ってしまう
読んでほしい、でも読んだ時どう思うのだろうか
ハリーポッターでみた手紙みたいに
読み終えたら燃えてなくなってもいいのにな
そんなことを考えてしまっている
急にてれくさくなってきた
きみに とどけ !
シーリングワックスとスタンプを使うのも初めてで、マッチを点けるところから苦戦した
なんとかろうそくに火を灯すと、いい匂いがたちはじめ、そこでようやくアロマキャンドルだと気づく
真似したいと思ったが、家を燃やしそうで怖い
キャンドルの上にスプーンをかざして、その中に蝋燭の形をしたシーリングワックスを溶かしていくのだけど、これが意外と溶けない
スプーンにたっぷり溶かすように書かれていたのに、ここでせっかちが発動して待ちきれなくなった
まだ半分しか溜まっていないワックスを封筒に垂らして、Rの紋章の入ったスタンプを押した
蝋が足りなくて端が欠けたようになった
届く途中で封が開いていませんように
手紙を書くという作業は、道具次第で儀式になる
ペン、便箋、インク、シーリング
ひとつひとつ選ぶとき、贈る相手を思い浮かべる
おまじないをかけているのと同じだ
誰にでも使える魔法かもしれない
いっぺんには揃えられなくても
自分の選んだ筆記具を使って
また手紙を書きたいなと思っている
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