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魂が宿った、たくさんの紙の手紙

昨年末に父が亡くなり、母は「私もいつ死ぬかわからないから」などと言い始め(いたって健康です)、私が実家に置きっぱにしている物を持ち帰るよう要請してきました。家は狭いし、実家は持ち家なのだから別に置いといてくれてもいいじゃないか思うのですが、終活すると言って聞かないので面倒になり素直に引き取りました。おもに本やCD・ビデオテープ(VHS)、卒業文集や紙焼き写真などですが、驚いたのが手紙の量。全部とってあったとは……母スゴイ。

隅々見てませんが、それでも時間だいぶ溶けました。物心つく前にもらった手紙、とりとめもないやり取りから、絶対に書いたの夜中でしょうと思われる異様に熱量のあるもの、幾年ぶんもの年賀状・暑中見舞いの類が述べ数百。遠い親戚から学校の先生まで、私の人生を取り巻く多くの人々が当時、筆を取ってメッセージをしたため、郵便局で買った切手をビリっとちぎり、ペロッと舐めて貼りポストへ投函し、それを郵便局の配達員が届けてくれたのだと思うと、やはり感じるのは「時代」ですねぇ。とってあるかないかはさておき、同世代を生きた人は、こうしたコミュニケーションが日常だったのです。

写メ的なやつ

言うならば当時(1990年代半ば?)の写メ。数日前に遊んだ時の写真(たぶん写ルンですで撮った)を、友人がとりとめもないメッセージを添えてよく送ってくれた。写メでも古いか、今ならLINEに添付して「今日は楽しかったねー、まったねー(的スタンプ)」で完了。頻繁に気軽なやりとりができるようになったぶん、まとめて何かを伝える機会って減った気がする。携帯電話もなかったし、親にコソコソ家電で話したなー。とにかく、昭和は何かと密だった(とっくに平成だが…)

熱湯エアメール

海外留学していた高校時代の親友から、ほぼ週間ペースで届いていたエアメール。びっしり余白まで文字で埋め尽くされている。これこそ、のちに私が雑誌に携わる際、余白を埋めるルーツとなった……わけではなく、元々出版社の方針だった。メッセージの内容は、人生や将来について。熱いぜ熱いぜ熱くて死ぬぜ。夜中に書いたことは間違いない。今度、本人に見せてみようかと(きっと、覚えてない)

海外出張先の父から

以前のポストでも紹介した、この絵葉書。父は40代、ジャーナリストとして世界中を飛び回っていて、ほとんど家にいなかったが、家族にはまめに手紙や電話をよこしていた模様。いつの日かリヒテンシュタインへ行って、父の筆跡を辿ってみたい

ゼミのK先生、ゴメンナサイ

これも脳から消去されかかっていたが、大学のゼミの先生から届いた、提出した論文へのダメ出し通達。だいぶテキトーにやったのだろう、私はそういう学生だった。にも関わらず、こんな丁寧なお手紙で……本当にスミマセン。私も立派……かどうかは甚だ怪しいが、文章を書いて、たまにお金をもらったりするまでになった。K先生、今更だけどありがとう。お元気かな…

スマホどころかケータイ……どころかインターネットがない時代から、こうして私は人と深くつながり、支えられて生きてきたのだなぁと。ネット以降、クラウド未満の一定期間、古い端末の中だけに残していたようなメッセージはことごとく消失してしまいましたが、紙の手紙がこのように舞い戻ってくるのは、物理的なものに魂(怨念?)が宿るからという気がしてなりません。

父の遺品も手紙が大半を占めており(私との違いはラブレターが異様に多い点)、結局これらは処分に困ることになるのです。さて、どうしましょか。

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