11日ぶりに戻ってきてわかったこと
コロナ禍で付き合い始めた私たちにとっては、初の行動制限がない年末年始。なので彼は実家やら東京の自宅やらに帰るのが忙しく、年末最後の滞在から年明けは11日ぶりに戻ってきました。
そして、実家の引越しを控えているのもあってか、とても居候っぽく、大阪の滞在がとても短いです。
そんな中、ふと気付かされたことをつらつらと。意外と10ヶ月にも及ぶ半同棲の「生活」って人生に影響するのかと思うとすごいな、と改めて思いました。
不在の11日間、寂しさを一度も感じていない
彼とは朝だけもしくは朝晩に1回ずつ往復LINEしていたくらいの接触頻度。
朝は家に帰ってくる感じでお見送りした日に、急に実家のお母さんに呼ばれて名古屋に行ってたり、仕事の都合で本社に呼ばれて東京に行ったりしていて、結構突然「今夜はいないのね」となることが多い2023年1月。
そんな割には、急遽移動することが決まったメッセージにも「あぁ、はいはい」って感じで返しているし、しばらく帰ってこないなぁというときもしみったれることなく「はいはい、まだなのね」という感じで過ごしていて。
元から一人で何かといろいろやってしまうことが多いわたしは、結局寂しいと思うことなく過ごせてしまっている。たまに夜寝る時ベッドが温まるのが遅くて寝付けず、ふと不在を感じることはあっても気づけば寝落ちている。
いいんだかどうなんだか(笑)
彼はあくまで居候の立場を変えることはないし、彼とわたしが入籍することもたぶんないのに、なんなのだこの安心感…
彼の大阪の仕事は、そんなにこの先長くはないはずで、大阪に来なきゃいけない理由がなくなってくることを、彼にいつ確認しても答えを濁される状態。にもかかわらず、この安心感を産み出してくるのはなんなのだろうと思う。
1週間の海外旅行に出かける気力が失せた
今年こそは海外!と思って調べ始めたはずなのに、途中で止めてしまった。海外へ出かける気力が失せたからだ。
「1週間行くとなると…この時彼がどこかわからないしなぁ。ご自由にどうぞって言っても遠慮するかもだし。それに一緒に休める可能性は低いし、そもそも彼が今の会社にいるかどうかもわからないし。え、ん、ちょっと待った。一人でここ行く意味って…?」
と、なってしまったのだ。
昔なら、全然自分ひとりの楽しみのために計画を立てるのは苦ではなかったし、むしろとても楽しかったはずなのに。なぜか彼の存在を気にしてしまうのだ。彼はそんなこと気にしなくていいと絶対に言うが、わたしの性分としてそれが無理なのだ。別に一緒に行きたいとかではない。
結局、彼が不在がちな週末で行ける旅ばかり計画していて、今年も名古屋ウィメンズマラソンに向けての名古屋旅と、福岡へJリーグアウェイ観戦に行く福岡旅の2つしかまだ決めていない。海外旅行の計画にまでいかないのだ。
今後もたぶん、1泊2日でサッカー観戦しにアウェイの地へ行くというのはこれからもやりそうだけど、いざ海外となるとなんとなく思いとどまってしまいそうな気がしている。
果たしてわたしは海外旅行に今年行くのだろうか…
予定を詰め込まなくなった
つい先日の日曜日、自転車をこぎながら「日曜やのにしんどいっちゅーねん!」とつぶやいてしまった。久しぶりに急な予定が2件も入って立て込んでしまい、元々ゆとりがあったはずなのに時間に追いかけられるような状況になったからだ。
むかしは止まったら死ぬタイプのように、目まぐるしく予定を詰め込んでいた気がする。別に意識的に詰め込んでいたわけではなく、自分自身が時間を支配できていたからのように思える。
二人暮らしともなると、どうしても二人でいる時間に重きがおかれる(彼はどうか知らんけど)。そうなるとどうしても「彼が帰ってくるかもしれないから」という理由で、予定を入れなくなった。その推測が外れることもあるわけで、そうなるとぽっかりと予定が空くのである。
そんなこと気にせず予定を入れればいいじゃない、と斜め上から別の声が聞こえてくることもあるのだけれど。結局自身の中での優先順位が変わったんだなと思うのだ。もともとは自分が一番だったのが、彼と共に過ごす時間が増えたことで、彼と共にが一番になった。ただそれだけだ。そのことを苦痛に思うことなど一度もない。その変化に驚いただけである。
自分自身が身体を動かせるキャパシティというのがあるとしたならば、過去は年齢も若かったから多少キャパオーバーしても楽しめていたのだと思う。最近は、特にキャパオーバーすることもしんどくて、より一層選ぶようになってきた。結果予定を詰め込まなくなっている、というのもある。
いずれにせよ、昔と比べるとスケジュール帳は白い日も多いのだ。
ひとり暮らしで染みついたはずの「生活」が、ふたり暮らしをたった10ヶ月するだけでここまで変わるとは、人とかかわりを持つというのはすごい影響力だと思う。
彼の「生活」もそういう意味だと変わってきているのだろうか。だから「大阪の仕事終わったら大阪に滞在する頻度が下がるよね」の回答が濁されているのだろうか。