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48歳の親離れ

同世代の方のnoteの記事を見て、私の気持ちも整理してみる。
人生100年時代。もしかしたら多くの親子が悩んでいることなのかもしれない。


去年の出来事

親戚の救急搬送

昨年春、親戚が重たい病気で救急搬送された。
今はもう社会復帰をしているが、まさに生死の境を彷徨った。
若い子だったので、親が、親戚一同が、不安定になった。
健康な一家だったので、若い頃に病気をするとかほぼ無縁に過ごしてきて、衝撃が大きかったのかもしれない。みんな、食事が喉を通らず、痩せていった。

母とのしがらみ

そんな時、母から言われて嫌だったことがあった。
「あんたは、あんたの家庭を大事にしたら良いから」
私にしてみたら蚊帳の外。私にとっても大事な親族。一緒に何かがしたい。
何もできることがなくて、お参りに行った。
気晴らしになればと思い、お参りに行くことをLineで親に伝えたら、
「私の分もお参りしてきてね」
この言葉にとても引っかかった。
我慢の限界を超えて、グループLineを削除した。

なぜ、私の行動を決めるのだろうといつもいつも思ってきた。
母は家族の中で中心人物だったから、あなたはこういう人だから、あなたはこうだから。
と決めるつける発言が多かった。

兄弟の仲裁

後日、仲裁に入った兄弟から連絡がきて話あった。
兄弟の中で母の一番近くにいて、母と価値観が似ている。
「母はこう思っている、それは誤解だ」と言われた。
私はずっと「親が言っていることは理解している。でも、私はこう思う。それは価値観の差があるのだから、相容れないことだってあるはず。私にも主張する権利はある」
堂々巡りな話し合いだった。

気がついたこと

ただ、話し合いの中で、分かったことがあった。
母がいう兄弟の話、兄弟がいう母の話、要するに「又聞き」というやつは、嘘ばかり。
あまりに距離があったので、全て間にうけていた。
よくよく聞くと「だと思う」とか、想像の話ばかりだった。
「又聞き」にだいぶ振り回されていることが分かった。

父の病気

いつまでかは決めてなかったけど、最悪、話をしないまま、別れる日が来るのも仕方ないと思った。
そこまで腹を括った。
括ったつもりだった。

時々、父からLineがきた。連絡事項のみ。
端的な返事を返した。
父からのLineに返事をしなくちゃと思いつつ、しそびれていた時、
母から電話がかかってきた。
「父が救急搬送された」
母は私としか連絡が取れなかったらしく、今から病院に行くと。
私も家を出るから、途中で合流できたら会おうと話た。
親族のグループラインを作って、状況を知らせた。
半年ぶりに母と兄弟と病院で会った。

幸い、父は一命を取り留めた。
それどころじゃなかったので、お互い謝罪とか言い訳とかもなく、今までと変わらない関係に戻った。
入院の手続きとか、退院後の生活とか、色々やることがあった。

親離れ

親子関係の変化

でも、少しだけ関係性が変わった。
母や兄弟が私の言葉に耳を傾けてくれるようになった。
口数の多い人たちで、父と私だけ黙々としている。
そのためか、私は父と過ごす時間が多かったように思う。
母と兄弟の話を聞くだけだった。
私が何かを話しても、キーワードを拾ってはその話をしたそうにうずうず、時には話を持っていかれる。
でも、この頃から、「話を遮っちゃったね、なんだった?」と耳を傾けるようになった。
「あなたはそう考えるのね。」と理解を示すようになった。
私も、忖度なく私の考えを話せるようになった。

親はとてもネガティブな人で、ずっとたられば話をする。
昔は、聞いているのがとても嫌だったけど、一生懸命聞いていた。
「親の話はちゃんと聞け。」と育てられたから。
でも、今は、そんな時は別のことを考えたり、隙を見て「そんなことを言っても仕方ない」と言えるようになった。
ずっと、親と会うとストレスだったけど、今は楽しい気持ちになれる。

親離れ・子離れ

去年は、子離れ・親離れのバランスの違いがあったと思う。
結婚して家を出てから20年。
でも、親のことを思い、それまでと変わらないつもりでいた私。
このことがあり、色々振り返ったけど、言えるほど、私自身も親との時間を作ってきたわけではなかった。
夫が子育てをする人だったし、親に甘えたくない人だったから、夫婦だけで子育てをしてきた。
私自身が思いと行動のともなっていなかった私。

親からの私は、もっと距離があった。
それゆえの「あなたの家庭を大事に」という言葉だったと思う。
本当はもっと近くにいたかったのかもしれない。
遠くからずっと見守ってくれていたのだと思う。
親が旅行に行ったなんて話を聞くと、なんで誘ってくれないんだとやきもちを焼いた。
とても半端に親離れができていなかった。

20年だもの。
子育てに仕事に、本当にあっという間だけど、20年だもの。
親と一緒に過ごした時間は約30年で、記憶にあるのは20年くらい。
その時間を別々に過ごしていたら、私も変わるし、親も変わる。
時代も変わる。
私も子育てをしながら、働きながら、多くのことを学んだし、変わった。
親の過ごした時間はわからないけど、多分同じなのだと思う。

母のしがらみからの解放

この1年間、こんなことを考え続け、母のしがらみから解放されたと思う。
前にあんなことを言われた、母の言葉は絶対だ
と惑わされなくなった。
母が惑わしてきたわけではない。
母子の関係がそうさせるのだと思う。
今、目の前にいる、親と向き合えるようになった。

変わらないこと

最近、ポツポツと、父が私のことを心配してくれている話聞いた。
昔、原付バイクをもらって乗っていた時、とても心配で嫌だったと言われた。
今年、お米がなかったとき、「あいつはお米を買えたかな」とスーパーでお米をチェックしてくれていたらしい。
知らないところで、変わらない親の愛情がある。

母からは謝られることが増えた。
でも、「謝る必要はない、やりたくてやっているから。」と言葉にして言えるようになった。

この先も

たぶん、関係はどんどん変わる。
お互いに歳をとっていく。
今までのように過ごせないことも増えていく。
でも、その時その時、お互いの価値観を見せて、折り合わせるのだと思う。
人生100年。まだまだ、先が長い。
たぶん、あっという間なんだろうけど。
その時間を穏やかに過ごすため、去年のこの壁があったように思う。
乗り越えられてよかった。

おまけ

家族との関係

この2年間、家族との関係を見直し、変わった。
家族とも、話し合いができていなかった。
夫が話あうことが嫌いな人だったから、我慢することが基本だった。
カウンセリングで相談をして、自分の「言葉たらずさ」に気がついた。
当初は、前職の悩み相談をしていたのだけど、仕事を辞めていたので、考える題材が家族になっていた。

感情の言語化を乗り越える(誓い)

今日は親とのことを書いたけど、就活でも「自分のことを伝える」ことにストレスを感じていた。
家族とも話あうことができるようになったので、今までで一番良好な関係かもしれない。
色々なシーンで、壁となっている「感情の言語化」。
「アサーティブ」を少し学べた気がする。
まだまだ、トレーニングを積もう。

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