リー・クアンユー(シンガポール建国の父)
私は、過去にシンガポールに住んでいたことがありますが、色んな意味で、魅力あふれる国です。
中華系、マレー系、インド系が入り交じり、エキゾチックな雰囲気を持ちながら、スマートで未来感覚のある国。グルメにも、買物にも、家族連れにも単身の方にも、楽しめるところがたくさんあります。
また、国際ビジネスマンにとっては、「世界一仕事のしやすい国」と謳われたこともあり、合理的な面も嬉しいところです。
しかし、シンガポールのことをより深く理解しようとするなら、この哲人のことを知っておくべきでしょう。
それはタイトル写真の人物、リー・クアンユー氏(2015年3月23日、91歳没)です。1959年、初代首相に就任し、その後半世紀に亘って国民的指導者を務め、今日のシンガポールの地位を築いた真の政治家、哲人です。
私はシンガポール国会図書館で故人の伝記に触れ、その力強い言葉と行動に、身体中に電気が走る思いがしました。故人の伝記は山ほどありますが、中には日本語で書かれているものもあり、それも名文だったので、思わず メモを取ってしまいました。特に印象的なのは下記の部分でした。
「共に働くのに愛し合う必要はない。利害の一致は感情を消すことはできないが、抑えることはできる」
彼は、太平洋戦争中に旧日本軍がシンガポールで行った蛮行を知り、けして拭うことのできない憎悪を日本人に抱いていたに違いありません。 しかし、指導者となった彼は、それを私情として胸の奥にしまいました。
独立後の不安定な状況の中で、彼が国民に放った言葉は、「日本から学べ」でした。
更に、シンガポールで多数派を占め、支配階級でもあった中華系団体が、 国語を中国語にすべきと主張したのに対し、自身が中華系にもかかわらず、彼の言葉は下記の通りでした。
「多民族国家において、誰もが平等であるため、我々は全て、外国語である英語を学ばなくてはならない。誰も初めから優越することはない」
感情を抑え、律すること、勤勉であることを重んじ、ただ国家の発展に尽くしたこの哲人を、シンガポール国民は誇りにしています。
国葬は7日間続きました。雨の日が多かったそうです。誰もが涙雨と思ったことでしょう。私も同じ気持ちなので、一言、言葉を添えさせて頂きます。 「ある日本人は、シンガポールから多くを学びました」と。
(おわり)
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