見出し画像

オキナワ

夜の大学を警備員に見つからないようにタバコをふかしながらブラブラしている時、オキナワが唐突に言った。
「なあ、俺はバンドをやってる連中なんて嫌いだよ。」
「なんでさ」
オキナワはタバコを少しだけふかしてから続けた。
「なんでもクソもあるかよ。この大学でバンドをやってる連中なんてみんなヤリたいだけさ。ロックなんて手段に過ぎないんだ。ただ手頃で、みんな知ってて、かっこよくて、わかりやすくキラキラしてるってだけ。電灯に集まる蛾と一緒だよ。集まって、交尾して、気持ちよくて、はい終わり。お前、電灯に集まってうじゃうじゃして顔に張り付いてくる蛾が好きか?好きなやつなんていねえだろうが。そういうことだよ」
蒸し暑い夜の敷地を、白い電灯が浮かびあがらせる。その光の塊の中を無数の虫が飛び交っている。彼はそれをしかめ面で見て、口から吐いた煙で覆った。
彼の言うことは相変わらず偏見に満ちていて、投げやりで、劣等感にあふれていた。この大学はバンドサークルが盛んで、大小合わせてバンドサークルが10以上あった。オリジナルでやっているところもあれば、コピーだけでやってるところもある。彼の想い人はその中にいた。この発言だって、そこから出てきているに違いない。
でも、僕はそんな彼の言うことが嫌いじゃなかった。第一に、彼は格好良かった。仕事だってできたし、勉強だって出来たはずだ。そうじゃなきゃ、僕と同じく外部進学でこの院にはいっては来れないだろう。
同じように煙を吐きながら僕は言う。
「学園祭さが、嫌いだったんだ」
「うん?」
「学園祭ってさ、あれは出している側が一番楽しい行事だろ?企画してさ、準備して、普段関わんないやつと合法的に関われて、仲良くなって、さあ本番。色々トラブルもあったけど、これが俺たちの青春さ、って。あれ見てるとさ、吐き気がしてくるんだ。参加しててもしてなくても吐き気がしてくるんだ。あいつらの目の前でゲロゲロ吐いてやりたいくらいだけど、あいつらはそれすらネタにして楽しむんだろうなと思うとできない。なあ。まだアプリでヤリモクやってるやつの方がましだよ。そういうことだろ?」
オキナワは鼻から息を吐いて笑った。そして機嫌が良さそうに懐からタバコをもう一本取り出して、火を点けた。あのジッポーだった。オキナワって名前は僕が勝手につけた。初めて喫煙所で一緒になった時、彼が沖縄の地図と「OKINAWA」と書かれたジッポーを使っていたからだ。
「そうそう、そういうことだ」
そう言って笑ったオキナワの乾いた声を思い出す。彼はもういない。彼がどのような苦悩を抱えていたのかを僕は知らない。彼は僕と一緒に鬼のようにシフトに入りながらも、順当に就活をし、修論を書いた。そして、することがあるからと、バイトの退職を年末に決めた。彼は退職するとき職場にメモ一つ残していかなかった。うちの職場は「お世話になりました」とか「ありがとうございました」とか書いたメモとともに、適当なお菓子を置いて去っていくのが通例なのに、彼はそれをしなかった。
そのことについて、昼間のパートたちがヒソヒソと何か言っていた。不満というよりは、心配に近い。彼は僕に対してはああして厭世的な思想をふりまいていたけれど、職場では人当たりが良く、決して怒ることのない人物だったのだ。最後の二週間ほど、僕とオキナワはシフトが被らなかった。その時は僕も忙しくて、でもいつものように彼から連絡が来るだろうと思っていたので、いつの間にか彼がいなくなっていたことに驚いた。なんにせよ、その彼らしくもない去り方が不思議だった。
オキナワが辞めて二週間くらいした後に、警察が職場に来た。
オキナワは深夜に自分が住んでいるマンションの最上階から飛び降りて死んだらしい。
オキナワは僕に二つ置き土産を残していった。一つは彼が持っていたジッポー。もう一つは村上龍の『限りなく透明に近いブルー』の文庫本だった。僕はそれを読んだことがあった。彼がなぜ僕にそれを残したのか、もう誰もわからない。
結局彼も、僕にとってはすれ違うだけの人になってしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?