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聖天様とのご縁

こんばんは。久しぶりの投稿です。

今回は聖天様という仏様について
少しお話しようかと思います。

拙著『仏様と共に歩もう』(電子書籍Kindleのみ)に
少しエピソードも書きましたが、私が『お坊さんにならないと
いけない!』という訳のわからない強迫観念に駆られるようになった時
その頃はまだサラリーマンをしていました。

その当時の自分はと言いますと、ただただ繰り返される変化の
ない日常に嫌気がさして、そこから現実逃避するようにパチンコに
のめりこんでいました。自分の自由に使える範疇のお金はほぼ
パチンコに消えていき、そんな自分に自己嫌悪しつつも
自己嫌悪を感じたことを免罪符にして、またパチンコに向かってしまう。
そんなどうしようもない人間だったわけです。

「そんな自分がお坊さんとか、なんの冗談やねん」という気持ちは
もちろんありました。白羽の矢を立てる相手を間違えてませんかと。
ですが、半年たってもその強迫観念は消えることはなく
仕事も手につかなくなるくらいまで、気持ち的に追い込まれていました。
『あぁ、これは本当にお坊さんになるしかないんだな』
もはや、諦めの境地です。

でも、そもそもお坊さんってどうやってなるんだ?って話です。
別に今までお寺と縁があったわけでもなく、お坊さんの知り合いも
いない。思い余って、仕事の帰りに立ち寄れるお寺に願掛けしました。
『二度とギャンブルはしませんので、お坊さんになるための道を
お示し下さい』と。
その願掛けの験が見事にあらわれ、こうして今は無事に
お坊さんとしてやっていけています。その願をかけた仏様というのが
実は聖天様でした。
もちろん、それきりギャンブルには一切、手を出してはいないです。

というわけで、私にとっては聖天様というのは恩人ならぬ
恩神のような存在なわけです。密教界隈では相当恐れられている側面も
ありますが、個人的には親しみを持っています。
そんな経緯があるからか、以前、東京に行った際に
待乳山の聖天様に手を合わさせて頂いたんですが、その瞬間
ふと脳裏になぜか、自分が聖天様に胴上げされている
ビジョンが浮かびました。『いいぞ、いいぞ。その調子や』
みたいな感じでした。
余所の聖天様はわからないけれど、ここの聖天様はなんか
お茶目だなぁと、一人でニヤニヤしましたね。


で、昨日の話なのですが、ネット上でひょんなことから
知り合った方と、実際にお会いして食事をしました。
上手く理由は説明できないのですが、『この人には
会っておいたほうが良い』という直観が働いたからです。

そんなわけで、雑談をしながら色々と話をしたのですが
その際にその方も、聖天様とご縁があるという話になりました。
で、「そういえば、実は私も…」と、自分がお坊さんになる際の
聖天様エピソードをお話させて頂きました。
その時に言われました。
『聖天様に願掛けして、お坊さんになったんですから
聖天様を拝まれたらどうですか』と。

自分は不動明王様が好きで、不動明王様がご本尊の
お寺の住職になりたいと常日頃思っていたのですが
ここにきて、新たなる選択肢が浮上してきました。
聖天様というと、先ほども書いた通り密教界隈では
ちょっとおっかないイメージを持たれがちな尊格で
御多分に漏れず、自分も色々な噂を聞くわけですが
それでも、拝んでみたいという不思議な魅力が
ありますね。

私も歓喜団が大好きですし。

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