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ショートショート『明日は晴れるって言って欲しい』

 昨日から急激に冷え込んできた。加えて今日は雨だ。昨日までは手足の指先に冷えなんか感じなかったのに、今日は芯からくる冷えを感じてとても辛い。この嫌な季節がとうとう来たのだ。

 季節で言ったらいつが好き?そう小学生の頃は同級生と話していた。

 『冬が一番!だってお正月もあるからお年玉もらい放題だし』
 『クリスマスもあるしね』
 『夏の方が良くない?夏休みの方が長いよ』    
 『でも最近の夏は暑いからな』
 『暑いの苦手〜』
 『最近やばいよね。もうジリジリして焼け死にそう』
 『それが良いんだろ』
 『過ごしやすさで言ったら春じゃない?私、春に誕生日あるんだもん』
 『栗ご飯好きだから秋が好き』

 こうやって各々が自身のお気に入りの季節を話したものだった。結局話はそれだけで、実際には言わないが全ての季節に良いところがあるんだなと認識するのだ。

 今思い出して思う。あぁ、季節の良いところを言えたなんてなんて幸せで無垢で、どうしようもなく無知だったのだろう。季節の流れに目を向けて、秋なんて一瞬だったな!と冬に言えたあの幼い頃は、なんて素晴らしかったのだろうか。眠れなくなるような不安なんて知らず、一度眠って起きたらそこには新しい“楽しいコト”が待っていた新しい朝。

 『寒いからエアコンつけていい?』
 (「空気逃げちゃうからドアと窓閉めてね」)

 『暑いから冷房を22度にしちゃおう』
 (「そんなに下げないで!」)

 『冷蔵庫気持ちぃ、冷た〜い』
 (「早く閉めて!勿体無いでしょ」)


 「一人暮らしってお金しかかからないな」

 シトシトと降る雨の音を聴きながらポストの前で佇んでしまう。雨が錆びれた階段にあたって響く、奇妙だが心地よい音を聞きながら、将来について考えを巡らしたが、いつもはスッと出てくるそのビジョンが全く出てこない。今上手くいっていないのに将来に何を期待したら良いのだろうか。

 キーっと誰かが自転車の気持ち悪い音を出しながらアパートの前を通り過ぎていった、と同時にはっと我に帰った。屋外で考えあぐねていても仕方ないので慌てて家の中に入ろうと床に置いてしまった買い物袋を抱える。

 母親の勧めで住居は二階にあった。アパートの外の階段には屋根がなく、雨天時はいつも不便さを感じていたが、今日は余計に憂鬱に感じてしまった。再び傘をさすのも億劫だったので、タンタンタンと音を立てて駆け足で階段を駆け上る。家に入ってずぶ濡れの傘と上着を投げ出して真ん中の畳に大の字になって伸びた。買い物袋も形を崩して力なく床に寝転がる。

 まだ明るいはずなのに雨雲のせいで畳には灰色の影が伸びていた。

 やりたいことはあった。あったはずだった。小説を書いて、四季の移り変わりに目を向けて、見てみたいなと思うものがあればそれを見に行き、食べたいものがあれば食べる。読みたい小説を読んで、会いたい人に会う。当たり前だと思っていたことが今まで恵まれていた理由に思えた。大学生になったし、高校生の時のように時間に余裕のない今までとは違うと思っていた。しかし、目の当たりにした現実は、想像とは全く違ったものだった。

 虚無感、何かを成し遂げられなかった後悔、悔しさが突然に押し寄せる。津波のように。じゃあ何をしていたのか聞かれてもはっきりとは言えない。これは、何かをしていないと思ってそれに不満を抱いている自身の気持ちの問題かもしれない。未来への不安と、明日が来て欲しくない気持ち。さまざまな負の感情が織り混ざって汚い、気持ちの悪い液体を心の中に生み出している気分がした。汚染されているようだった。

 この気持ちの名前をわたしは知っている。最後に感じたのはいつだったろうと思い起こす。そう、あれは確か浪人していた時だった。周りが大学生生活を謳歌している中自分だけ時が止まってしまい、一生このままなのではないか、これ以上の最悪な状況に全身飲み込まれてしまうんじゃないかと不安だった。英語の問題集を見つめながら、地蔵のように固まって、英文字がゲシュタルト崩壊を起こしても動けず、それから目が離せなかった、あの寒くなり始めた時。もし次の春にこれと同じ状況だったら、仕事を始めなければならないのだろうか。やりたいことを我慢して、なんの目標も遂げられず、ただ命をすり減らして、向こう半世紀をこの小さい世界で生きなければならないのだろうか。

さっきよりも雨が強くなっている。

 明日は晴れるだろうか。あまりに闇が深すぎて、もうお日様は顔を出してくれないんじゃないかと思ってしまう。最後に洗ったのはいつかわからない淡く白いカーテン越しに青空を埋め尽くしている雲を眺める。これでは、日が落ちていてもすぐには気づかないだろう。


 明日は晴れるって言って欲しい。そう思いながら、目を閉じてそのままの状態を貫いた。

(1968字)


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