【書評】読書のススメ_9月29日
9月も早くも月末を迎えてしまいましたが、9月の本紹介を今回も担当は藤澤がつとめさせて頂きます。
西富先生にも8月に本紹介を書いて頂いておりますが、お盆休みなどなどもありタイミングを逃しておりました…。次回10月の中旬ごろを予定しておりますので、楽しみにお待ちください◎
今回は最近読んだもので「コレは…!」と僕がドツボにはまった、文学小説から1冊とマンガから1冊をご紹介いたします。趣味語りや脱線も交じりますがお付き合い頂けますと嬉しいです。
さて突然の自分語りですが、僕は一度だけ海外へ行ったことがあります。
大学2年生になる前の春休みに友人と、香港に3泊4日の旅行へ。
「暇だから遠くへ旅行に行こうぜ」という友人の提案にのったのがきっかけでして、沖縄や東京とか他にも候補がありましたが話が盛り上がって「せっかくだから海を越えてみようぜ」というこれまた友人の一声で行き先が決まりました。
初めての香港は見聞きするもの何もかもが新鮮で面白かったように記憶しているのですが、当時を思い出すと、旅行当初は何かにつけて心細さがぬぐえなかったんですよね。
たとえば「言語が違う」という不安。
香港は通じるのは中国語と英語で、僕らは日本人で。香港のガイドブックと片言の英語とジェスチャーを3人で駆使してホテルのチェックインからレストランでの注文、タクシーのおっちゃんに行き先を告げたり、街の真ん中で人に道を尋ねたり。
言葉が通じないうえに当時の僕らは二十歳になってない学生だったので、騙されたりぼったくられたりするんじゃないかとひやひやしてました。でもさすが観光立国香港。香港の人は僕らが日本人だとわかると「日本からよく来てくれたね。楽しんでいってね。」とどこでもめっちゃ親切。
加えて、海外経験が香港しかないので語るには手落ちや偏りがありますが、たった3泊4日の香港旅行だけで日本の住み心地の良さも思い知りました。
水道の水は口にできるし、トイレはウォシュレットがついている。電気もネット回線も安定しているし、十分気をつけるべきとはいえ、子どもも女性も夜に出歩くことができる。
当時の香港はどれも当たり前ではなかった。安直ですが日本は世界に誇れる国です。ウォシュレットが当たり前の日本に生まれて本当によかった(笑)
『地球にちりばめられて』多和田葉子
あらすじ(Amazon商品ページより引用)
「国」や「言語」の境界が危うくなった現代を照射する、新たな代表作!
留学中に故郷の島国が消滅してしまった女性Hirukoは、ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語〈パンスカ〉をつくり出した。Hirukoはテレビ番組に出演したことがきっかけで、言語学を研究する青年クヌートと出会う。彼女はクヌートと共に、この世界のどこかにいるはずの、自分と同じ母語を話す者を捜す旅に出る――。
誰もが移民になりえる時代に、言語を手がかりに人と出会い、言葉のきらめきを発見していく彼女たちの越境譚。
「国はもういい。個人が大事。そこをいともたやすく、悲壮感など皆無のままに書かれたのがこの小説である」
――池澤夏樹氏(文庫解説より)
僕がこの『地球にちりばめられて』という作品に出会ったのはいつものように書店で本を物色していたときで、装丁がなんだか趣があって魅せられたことと、タイトルの『地球にちりばめられて』という題名に神秘さを感じてしまったことがきっかけです。
この作品を読んでみるまで、著者の多和田葉子さんを存じ上げていなかったのですが、調べてみると思わず畏れを抱くすさまじい経歴でして…。ウィキペディアからの引用になりますがご紹介させてください。
東京都中野区生まれ。父は東京・神保町のエルベ洋書店を経営する多和田栄治。国立市で育つ。東京都立立川高等学校、早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒業。西ドイツ・ハンブルクの書籍取次会社に入社し、ハンブルク大学大学院の修士課程を修了。1982年から2006年までハンブルク、2006年よりベルリン在住。1987年、ドイツにて2か国語の詩集を出版してデビュー。2001年、ドイツの永住権を取得。チューリッヒ大学大学院博士課程修了。博士号(ドイツ文学)を取得。著作はドイツ語でも20冊以上出版されており、フランス語、英語、イタリア語、スペイン語、中国語、韓国語、ロシア語、スウェーデン語、ノルウェー語、デンマーク語、オランダ語などの翻訳も出ている。ドイツの作曲家イザベル・ムンドリー、オーストリアの作曲家ペーター・アブリンガーとのコラボレーションでも知られる。
1991年 第34回群像新人文学賞(『かかとを失くして』)
1993年 第108回芥川龍之介賞(『犬婿入り』)
1996年 シャミッソー文学賞(ドイツ)
2000年 第28回泉鏡花文学賞(『ヒナギクのお茶の場合』)
2002年 第12回Bunkamuraドゥマゴ文学賞(『球形時間』)
2003年 第14回伊藤整文学賞(『容疑者の夜行列車』)
2003年 第38回谷崎潤一郎賞(『容疑者の夜行列車』)
2005年 ゲーテ・メダル(ドイツ)
2009年 第2回早稲田大学坪内逍遙大賞
2011年 第21回紫式部文学賞(『尼僧とキューピッドの弓』)
2011年 第64回野間文芸賞(『雪の練習生』)
2013年 第64回読売文学賞(『雲をつかむ話』)
2013年 芸術選奨文部科学大臣賞(『雲をつかむ話』)
2016年 クライスト賞(ドイツ)
2018年 国際交流基金賞
2018年 全米図書賞翻訳部門(『献灯使』)
2020年 2019年度朝日賞。
2020年 紫綬褒章
有名どころの賞だと1993年に芥川賞を受賞しています。作家さんの経歴だとかは疎いのですが、この多和田葉子さんはちょっと、声になりませんでした…。おそろしすぎる。
この作品のジャンルはサイエンス・フィクション(SF)に分類されると思うのですが、アンドロイドが活躍する世界で…空飛ぶタクシーが当たり前で…etc.といったポジティブな近未来ではなく、一種の「終末モノ」としての物語が描かれています。
「終末モノ」という定義や設定は意見が割れるところもありますが、有名どころの作品だとマンガであればたとえば「未来少年コナン」や「AKIRA」、最近だと「Dr.STONE」がそうですね。
僕は実はこの「終末モノ」というジャンルが大好きなんです。
ある種の破滅的で非日常的な世界において主人公たちは何を考え生きるのか、というテーマに興味がわいちゃって、もしも自分がその世界を生きることになればどんなことを考えるのだろうかと想像する楽しみにスイッチが入っちゃうんですよね。
300ページほどあるのですが、1日で読破してしまい気分はほろ酔いです(笑)
この作品は「言語学」が中心に据えられており、文学作品として非常に完成度の高さをほこっています。設定・描写ともに緻密に作り込まれていて上品さがただよっていてまるで高級なワインを味わっているかのよう。
一方で上記にもあるようにサイエンス・フィクションの体をなしていてやや抽象度の高い難しそうな印象を受けますが、決して理解に苦しむ描かれ方ではなく、じっくりと読み進めていくうちに作品の世界に入り込んでいくことができます。
保護者の方にぜひオススメする1冊です。山手台教室で貸出可能ですのでぜひ手に取っていただければと思います!
『ルックバック』藤本タツキ
あらすじ(Amazon商品ページより引用)
自分の才能に絶対の自信を持つ藤野と、引きこもりの京本。
田舎町に住む2人の少女を引き合わせ、結びつけたのは漫画を描くことへのひたむきな思いだった。
月日は流れても、背中を支えてくれたのはいつだって――。
唯一無二の筆致で放つ青春長編読切。
僕は実はマンガも大好きでして、今でも時間があるときに結構読んでます。
加えて西富先生もマンガが大好きでして、打ち合わせをしているときに雑談でマンガの話もよくしたり。
ご存じの方はご存じの通り西富先生はサッカーが大好きで、最近では打ち合わせのあとは我らがホームチームのヴィッセル神戸のリーグ戦の行方の話を熱く交わしています(笑)
僕も小学生の頃に6年間サッカーをしていて全くの素人というわけではないのですが、大人になってから観るサッカーの面白さもなかなかイイなって。
たまに友人に誘われてスタジアムにサッカー観戦に行ったりもしています。
いま追いかけているのは『ジャイアントキリング』というツジトモ先生のサッカー漫画なのですが、これが凄く面白い。つい時間を忘れてしまう…。
サッカーの話なのかマンガの話なのかブレました。話を元に戻します。
集英社の週刊少年ジャンプで『チェンソーマン』という漫画を連載している藤本タツキ先生の読み切り作品です。僕はまだ読んでいないので生徒の皆さんネタバレはNGでお願いしますm(_ _)m
冒頭の10ページで一気に引き込まれた
子どものころってある種の全能感のようなものがあります。自分にはなんだってできると思える気持ちというか。子どもが初めてのことでも少しやってみるとのめり込んでいくのは、例えばやっていて面白いからという理由のほかにもこの全能感のようなものも寄与しています。
悪く言えばときに「調子にのりやすい」「謙虚さがない」という印象にとらわれやすいのですが、物事に取り組み成長していくうえで欠かせないものだと思っています。勉強においてもこの気持ちはぜひプラスに活かしたいところです。この気持ちの対極にあるものとして「やっても自分はできないし結果もでない。だからどうせやってもムダだ」と思い込んでしまう学習性無力感というものがあります。
さて、この作品の主人公はマンガを描くのが趣味の女の子なのですが、「自分は人にはできない面白いマンガを描くという才能がある」と思っていて、学年新聞に描いた4コマをクラスメイトにほめられるところから物語が始まります。
「絵うめー」
「今週の4コマもすっごく面白かったよ!」
「ん~あ~実はコレちょっと忙しかったから5分で描いたんだけどね~」
「それにしてはまあまあウマくできたな~って感じかな!」
「すげ~……将来さ!漫画家なれるじゃん!」
「漫画か~ う~んどうだろうね ずっと机に座って絵描いているのつまんなそ」
すました顔しながらおそらく内心はニヤニヤしてるんだろうな~って僕も読んでてニヤニヤしてたのですが、そのあとの数ページでとんでもなく絵が上手い最強のライバルが現れます。
そのときに主人公がはなった一言で引き込まれました。
「4年生で私より絵ウマい奴がいるなんてっ絶っっ対に許せない!」
ここまでで10ページです。
僕のおそまつな表現力ではこの描写の魅力を文章で表現するには限界です…。ぜひ一度読んでみてほしいとしか言えない迫力があります。
勝ちたいでも負けたくないでもなく「許せない」
セリフにのせられた思いのとおり、主人公はそのあと自分から絵が上手くなる方法をネットで調べて、デッサンや構図などを猛勉強しはじめます。
子どもの頃に自分がスゴいんだって思える分野で自分よりスゴいやつが現れたとき、つい涙が出そうな悔しさとか恥ずかしさとかいろんな思いがこみ上げてきながらも、そこで絞り出されるものは「次は勝つ!」というライバル宣言か、もしくは「あいつはあいつでスゴいよな~いや~敵わないな~…」と一歩引いた守りか、といったところが僕の予想なのですが、
勝ちたいでも負けたくないでもなくて「許せない!」って言っちゃうの、なかなかスゴくないですか?
もちろんフィクション上の作者の演出なのですが、僕はこの一言にものすごいエネルギーというか爆発力が秘められているように感じます。
「できるようになりたい」や「いい結果を取りたい」や「勝ちたい、負けたくない」といった気持ちを、僕は<ポジティブな劣等感>と自分で勝手に名付けているのですが、こういった気持ちは人を前進させる原動力になるので、勉強においても必要で大切な気持ちだと思っています。
でも、この「許せない!」は凄まじい原動力。車でいうところのガソリンやディーゼル燃料でエコモード運転ではなく、ハイオク燃料でF1カーが直線コースをフルスロットルで駆け抜けるぐらいの激しさ。
これが言えちゃう子はその分野で突き抜けていくんだろうなって。
いま読んでいるサッカー漫画『ジャイアントキリング』でも「日本代表のエースナンバー10番を俺以外がつけるなんて死んでも許せないし認めない」というプライド剥き出しの選手が登場します。
もちろん、みんながそう思えるわけではないし勉強においても仕事においても僕もこういった思いだけを善しとしたくて言っているわけではありません。感じ方は人それぞれであり、大事なのは自分の感じたその思いをどのように次に繋げていくかです。ただ、突き抜けるような結果を出していく原点には「許せない」「認めない」という鋭利な感情も確かにあるなと再認識した次第です。
作品を冒頭の10ページを読んだ感想で語ってしまいましたが、物語はこのあとも続き、とても読みごたえのある作品です。山手台教室で貸出可能ですのでぜひ一度手に取って読んでみて頂ければと思います!