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エンタメとしての暴力と、子どもとの関わらせ方について。

子育てをしていると、子どもと一緒にテレビを見ることが多いのだけれど、昔から続いているようなテレビ番組を見ていても、わたしが子どもの時に受けた印象と、親になってから受ける印象とでは、全く異なるものでね。

例に挙げるは、ドラえもん。
「なんだかムシャクシャするぜ!のび太、一発殴らせろ!」
って、ジャイアンは日常的に、のび太をぶん殴ったり、するわけじゃないか。

子どものときは、なんの疑問を持たずに、そんなシーンを眺めてた。
ジャイアンはのび太を殴る。のび太は泣いて、「ドラえもーん!」って、助けを求める。すると未来の道具が出てくる。のび太、たちまち大逆転!
こんな具合のお話は、ドラえもんにおいては、よくあることである。

でもさ、親になってみたら、全然印象変わるわけ。特にジャイアンに対して。
「えっ、ムシャクシャするからって、人のこと殴る?」
って、思っちゃって、そのあとの内容が頭に入ってこないの。
「えっ、普通人のこと殴る?」
「えっ、誰もそれを咎めないの?」
「えっ、大人たちはどこでなにしてんの?」
もうね、お話どころではないわけ。なんで、人のことを平気で殴るような子どもが野放しにされてるんだ、大人は何をしているんだ、ってことを真面目に考えちゃって、全然おもしろくないわけだよ。

お笑いだってそうだ。ボケとツッコミ。「なんでやねん!」って、頭をペチンッ、って叩いたりするじゃないか。もうね、「ワッ、子どもには絶対に見せたくないな」って思っちゃうの。純粋な気持ちで全然見ることができないの。ボケが変なことを言ってるのはわかった。わかったから、どうか叩かないでほしい。痛いでしょ。もっと優しくしてあげてよ。
さらに言えば、そんな風に乱暴につっこむ必要もないでしょう。「そうだね。そういう意見もあるかもね」ってさ、言ってあげたっていいじゃない。そんな変なことも言ってないでしょ。そんなにカリカリしないでよ。仲良くすればいいじゃない。

ってさ。馬鹿みたいなこと考えちゃってさ、もうね、見てられないんだよ。本当に我ながら馬鹿みたいだと思うよ。でも、そうなっちゃったんだよ。親になってしまってからは。

暴力はギャグにしちゃいけない。

親になってわかった。同級生で「うちの親がドラえもん嫌いで、見ることができないんだよね」って言っていた子がいた。「エンタの神様、見ちゃダメって言われてるんだよね」ってパターンも、あった。
当時は、「ふーん、変なの」って思ってたけどさ、今ならよくわかる。今ならよくわかるよ。誰かか、平気で殴られて、それが当たり前で、みんなが笑っている世界を、子どもに見せたくないもんな。

人のことは叩いちゃだめ。痛い思いさせちゃだめ。
物心ついたころから、丁寧に、丁寧に伝えてきてさ。わたしもね、もちろん娘のことは絶対に叩かないし、娘が乱暴にしてたら「痛いよ、やめてよ、叩いちゃだめだよ」って都度都度伝えてきてさ。それはもう、一生懸命子育てしているわけだよ。子が真人間になるために。人のことを傷つけるような大人にならないためにね。世の中の親御さんは、だいたいこうだと思うよ。おのおのが一生懸命、子を育てていると思うよ。

でもさ、テレビをつければ、誰かが誰かを殴る。叩く。それを誰も咎めない。みんながみんな笑ってる。そんな世界が広がっているわけだよ。

テレビの影響力ってのは、本当に恐ろしいもので、たった一度、それを見ただけで子どもってのはスポンジのように吸収してしまうわけだよ。良いことも悪いことも。全部。だって、子どもにしてみたら、何が良いことで、何が悪いことかわからないもんね。目の前に広がっている世界が、全部正解なんだもんね。しょうがない。子どもだもん。

少し前に、娘に「なんでやねーん!」って顔を叩かれたことがある。ものすごく痛かった。痛すぎて涙が出た。園で、流行しているんだろう。誰かがやっているのを見て覚えて帰ってきたんだろう。いや、どうだろう。わたしの知らないところでテレビを見たのかもしれない。わからない。それにしても痛かった。涙目になりながら、あくまで冷静に、でもそれなりの口調で、娘に、こんなようなことを言った。
「痛いよ。人のことは叩いちゃだめだよ。ものすごく痛かった」
「なんでやねんは、大人同士のお芝居でやるもの。台本と信頼関係なくして成り立たないお芝居です。普段の生活で、人のことは絶対に叩いちゃだめだよ。暴力だよ。ママは全然おもしろくない。ものすごく痛かった」
「もしね、なんでやねんやりたいんだったら、優しくやって。痛いのは絶対にだめ。痛くないようにやって。叩いてしまったら、本当におもしろくないんだよ」
娘は泣いてた。わたしの言ったことを理解していたかはわからない。いかんせん未就学児だったから。でも、娘は聡い子だ。「人は叩いちゃいけない。これはおもしろくない」ってことは、なんとなく感じ取ったんじゃないかなと思う。
これが良い躾なのか、良くない躾なのかは、正直よくわからない。だってわたしは彼女から「なんでやねん」のおもしろさを奪ってしまったから。それは、いまの日本においては、ものすごい罪深いことのように思う。

でもさ。絶対に暴力はいけないよ。暴力は。暴力はギャグにしちゃいけないよ。だってさ、こうやってさ、子どもが真似をするでしょう。

なによりね、自分がされた暴力に、鈍感になってしまうのが怖い。

叩かれた。でもこれは冗談だったのかもしれない。だってほら、周りのみんなも笑ってる。

ってさ。怖い世界だよ。現実は、ドラえもんなんていないし、楽屋で反省会をするようなパートナーもいない。こんなの絶対耐えられないよ。でも、耐えられないことを「これは冗談だったかもしれない」って耐えようとしちゃうんだよ。ひとりでね。だって、暴力はギャグになりえるから。エンタメの世界だとね。現実世界では、これっぽっちもそうじゃないのに。

とはいえ、一般教養としてドラえもんはみせたい親心。

とはいえね、今の世の中、ドラえもんは必修科目だったりするじゃないですか。もちろんわたしも、幼少期は見てきたしさ。「暴力は駄目だ」ってことを教育するために、娘の人生からドラえもんを奪ってしまうのは、不本意ではあるのだよ。ドラえもんには素敵なキャラクターも、道具も、ストーリーもあるわけだ。まったく見せないのは、やっぱりちょっと、気が引けるんだよ。

なので、この問題につきましては、ドラえもん視聴の際はわたしも同席し、ジャイアンの暴力のシーンがあった際は「アッ!!これは暴力だ!!酷い!!人のこと殴っちゃ絶対に駄目!!本当にこれは良くない!!こういうことがあったら、親か先生に相談するもんなんだよ!!」とガヤを入れるってのが、解決策としてのいい落とし所なんじゃないかなと。思ったわけでありますよ。

今のところ、娘から文句は出ていない。これが正解なのかもわからない。ともかくわたしは、ジャイアンの暴力は口やかましく咎める。だって、なんにしろ、暴力はだめだから。それは絶対に、おもしろいことじゃあないから。
「わかったから、ママ黙ってて」って言われるまでは、続けようかと思う。お笑いについては、そうだな。娘がもう少し大きくなってから、また考えようと思う。

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憂鬱なルイス
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