ファイアーエムブレム風花雪月の三層の構造について
序章「物語を読み解いていく上で」
◆はじめに
ファイアーエムブレム風花雪月は2019年に発売された、ファイアーエムブレムシリーズ第17作目となるゲームです。(以降FEと表記) 今作の特徴は、主人公は士官学校の先生として三つの学級を受け持ち、学生時代編と戦争編の二部編成で話が進行するというものです。更に特徴的なのは選んだ学級によってシナリオが異なるためプレイヤーによって感想や意見が違っていくことl。
このシナリオが変化するというシステムは前作「FEif」に類似しており、FEifでプレイヤーの最初の選択で身を置く国を決め、その国側での戦争を行ったように、FE風花雪月では学級毎についている勢力(国)が存在し二部にて主人公が戦うポジションが変化します。
FEシリーズの多くは、基本「戦争が始まっている状態」から始まる剣と魔法、そしてドラゴンやモンスターが現れる王道ファンタジー作品なのに対し、風花雪月は学生時代という平穏な日々から開戦し、人々の考え方の違いによる拗れ、徹底的な正規ルートや読む順序を作らないシナリオ作りが行われていました。そのため、シナリオが好きと語るプレイヤー層、キャラクターたちを愛したプレイヤー層など従来以外のファンを獲得し広く愛されたゲームだといえます。
今回はこの物語の感想が人によって異なる、シナリオによる視点、世界の広がり方の違いを一つ一つのルートを読み解きながらお話ししようと思います。
ここで一つ注意として申し上げたいのは、自分は本文章において語る内容はどのシナリオを一番正しい面白いと語るつもりはありません。
しかし、本作品で行われる戦争については肯定せず批判的に解説していき、その上でこの作品が【愛と友情の物語】であることを紹介していくのが本文章です。
多角的視点からこの物語を見つめ、戦争の中おいて生まれた友情や愛、救い。そして多くの犠牲と被害の悲しみを伝えられたらと思います。
◆「風花雪月の始まり」
まず、この物語を語る上で切っては話せない人物や国の成り立ちについてを解説していきます。
物語の舞台となるのはフォドラ大陸の中央に位置するガルグ=マク大修道院。主人公が教師として勤務することとなる士官学校が併設された教会です。
物語のカギとなってくるのは、各学級の級長と教会の大司教
黒鷲の学級 アドラステア帝国次期皇帝 エーデルガルト=フォン=フレスベルグ
青獅子の学級 ファーガス神聖王国王子 ディミトリ=アレクサンドル=ブレーダッド
金鹿の学級 レスター諸侯同盟 クロード=フォン=リーガン
セイロス教団 大司教 レア
上記四名です。彼らはそれぞれ異なる文化、風土の中で育ち国のトップになるものとしての信念を抱えています。この三者三葉の思想こそが物語を司る重要なポイントなのです。
出会いは山賊に襲われた生徒たちが、助けを求めた先にたまたま主人公の所属する傭兵団がいたことから始まります。
主人公はジェラルト(父親)が指揮する傭兵団の一人、デフォルト名をベレト/ベレス(男/女)と言い、本文ではこれ以降先生と呼ぶことにします
先生は彼らとの出会いによって士官学校という存在、セイロス教というフォドラ全域に広がる宗教があることを知ります。この際先生は、父親によって教会や世間から外れた生活を送っていたために、これらの情報に詳しくなく無知であることが描写されます。プレイヤーにわかりやすく世界観と設定の説明を行い、主人公の情報をも与える上手い描写です。
この時にもう一人、新しい出会いがありました。
それが、先生の頭の中に住まう謎の存在女神ソティスです。
生徒を庇い死にかけた先生を守るように現れたソティスは、記憶の欠損により自分がなぜ先生の中にいるのかわからない様子でしたが、運命共同体として女神の力の一部を先生へと授け、共に行動することとなりました。
生徒を助けたお礼として自分の身に起こった不思議な出来事を考えている暇もないまま主人公は大修道院に招かれ、その実力から先生として三学級のいずれかの担任教師になることとなります。
(ルートがこの選択によって変わっていくのですが、はじめにご紹介したようにフォドラの視界の一番下に位置する「民の目線」から案内していきます。)
第一章「人の往く道、人の視点」
◆民の視点からの物語
まず、人々の視点で物語が進行していく蒼月の章(以降、王国ルートと表記)の視点から風花雪月を読み解いていきます。
王国ルートがテーマとしているものは「民の傷」と「保護者と子供」。不幸や傷を抱えながら、それでもありふれた幸福を求めつかみ取ろうとするのがこのルートです。
本ルートの特徴は、学生時代編において他のルートとは違い、先生と級長の会話→級長主体で生徒たちと話すという流れではなく、学級の生徒の誰かしらがメインの物語に関わって被害に傷つく姿を見せること。物語の進行合わせて徐々に級長ディミトリの様子がおかしくなっていくこと。またそれに対峙する先生の保護者としての立ち回り。これに尽きるでしょう。これらについてを一つ一つ順を追ってお話していきます。
◆学生時代編:民たちの傷
学生時代には大きく分けて四つのターニングポイントがあります。まずはこのポイントについてを後述する紅花の章(以降帝国ルートと表記)と合わせて語っていこうと思います。
第一のターニングポイントは、「白雲の章 霧中の叛乱」。
この話はロナート卿がセイロス教団に対して復讐目的の宣戦布告を行ったことから、教会が士官学校の生徒たちを逆徒の討伐課題として向かわせるというシナリオです。
学生時代のシナリオで起こる出来事は、全ルート一部除いて共通しているため、登場人物の反応が異なり事件の見え方が違って見えてきます。先述したように、この反応の違いこそがルートによる視点の違いに繋がっているわけで、その仕掛けはここから始まります。
敵将として、領民と共に立ちはだかるロナート卿は青獅子の学級の生徒、アッシュの養父です。つまり、親殺しをプレイヤーに見せつけてくるのです。そのため、状況説明と所感ついての会話を先生と級長が行っている形で進む他ルートとは違い、生徒アッシュが物語にがっつりと関わってきます。
このロナート卿という人物は王国の一領主であり、民に慕われ愛されている人物でした。
だからこそロナート卿撃破後、卿と共闘し散っていった領民を思い、生徒たちが「兵士ではない一般人を殺してしまった。彼らが巻き込まれてしまった。」と嘆くシーンが全ルートで発生します。
ロナート卿が生徒の身内であり、王国にまつわる人物として扱われる王国ルートは群を抜いて悲壮感を漂わせてきます。
アッシュという生徒は元々平民で、両親が死んだあと盗賊として生きていたが、ロナート卿に拾われたという過去があり、ロナート卿に対して非常に恩を感じています。
そのためアッシュは学校に通わせてくれる程よくしてくれた恩人が何故このようなことをしたのかという疑問と、自分をこの争いに巻き込まなかったことから察されるロナート卿の配慮の念、そして見知った人の死に嘆き、それを見たディミトリは「大義であったのとしても、犠牲を仕方ないと割り切ることを許せない。こんなことあってはならない。」と感情を荒げて自分の主張を先生に語ります。
そう、王国ルートはこのように身近な人物の傷つく様を細かく描き、それを受けた国王ディミトリが嘆き傷つき、民を守護すべきものとして苦悩していくことが主体になっています。
第二のポイント「白雲の章 黒風の塔」。物語に度々登場していた「英雄の遺産」と呼ばれる武器についてが深く語られる章です。
英雄の遺産という存在は、貴族の家に代々継承されており、英雄の血を引く貴族が一定の確率で身を宿すことのできる「紋章」。それを持った人物のみが扱える重要なアイテムです。
この章では、紋章を持たず生まれ廃嫡された元王国貴族のマイクランが英雄の遺産を盗み暴走しているのを阻止する様が描かれます。
この盗賊もまた、学級の生徒にしてディミトリの幼馴染シルヴァンの兄という身近な存在でした。
これに対して、ディミトリは「生きていくために、賊徒にならねばならないならそれは国の彼らが被害者なだけであり咎めることはできない。だがこのように快楽のために村を荒らして回っている彼らを許すことはできない。」(つまり、賊自体を嫌悪しているわけではない)、「しかし、紋章の力を持たないというだけで廃嫡した親の判断は間違っている。」と語っています。
紋章を持たずして生まれただけで、いらないもの扱いされ落ちぶれてしまう人間がいる。これこそがフォドラを羽交い絞めにしている紋章主義社会です。シルヴァンの兄に関してはそれだけで消されたというより、日ごろの行いも影響していたのですが……、マイクランがこのようになってしまったのは家庭で冷遇されていたことも要因でしょう。
しかし、王国にはこうでもしないといけないといけない理由がありました。
まず、王国が存在する場所は寒冷地、冬を越すことが最大の課題になっています。つまるところ、余裕が本当にない貧困な土地なのです。なのにも関わらず、シルヴァンの家は辺境に位置しており、他民族による襲撃を受け続けています。そのため、王国貴族は領地を守るためにどうしても軍事力に頼らねばなりません。
王国が他の国と違うのはこの部分、名誉や紋章の有無による差別意識があるために、紋章にすがっているのではなくそうせざるを得ない状況であること。
そしてこの章で重要なのは、
ディミトリは紋章によって生まれる犠牲者を問題視しながらも、紋章の力を重んじて守るための力として運用していくべきであるという考えの元、自分の力は人を守るため、貴族の特権は民を守るために力を振るう代償で得たものである。
という認識をしているという点です。
古く、人を傷つける伝統でも、続けなくてはいけないというジレンマが王国内では継続しているのです。これが【仕方ない】の部分、ディミトリは紋章に縛られていることを理解していてもそれをやめることができません。
第三のターニングポイントは、「白雲の章 涙のわけ~女神のわけ」。先生の父親が謎の組織「闇に蠢く者」に暗殺され、生まれた時から感情がないように見えると言われていた先生が初めて泣き深く傷を負う章と、次章仇を討つために駆り出、とある事情によりソティスに力を託され女神との融合を果たすという章。
後述する帝国ルートの同章にて、重要視されていたのは「謎の組織『闇に蠢く者』について」と「先生の女神化における反応」でしたが、このルートにおいては両者とも重要視されず「家族」と「復讐」という、まったく別の問題が取り上げられています。
何故これらが最重要なのかというと、ディミトリが先生に強烈な思いを寄せるきっかけがここだからです。それはディミトリの担任教師ではない他ルートでも同様に起こります。
ここを解説する上で、第一に語らねばならないことがディミトリの在学理由です。
彼には【復讐を果たす】という目的があります。
ディミトリは四年前、ダスカー人という異民族との和解協定を結ぶべく両親と赴き、道中で謎の兵に襲撃され、共にその地へ向かっていた両親と親友、それから多くの顔見知りが虐殺されるところを目の前で見ることになりました。学級の生徒でダスカー人のドゥドゥーはこの時の事件後の報復で王国兵に虐殺されたダスカー人の生き残り(謎の兵はダスカー人と判断し、王国は無実のダスカー人までをも巻き込み粛清を行う流れになったのです)、ドゥドゥーはディミトリがその惨劇の中で唯一守り抜いた人だからこそ従者として側に置き差別から守っていました。
そのためディミトリは、事件の首謀者にある程度の目星を立てた上で、何か更なる情報を探れないのかと学校に訪れています。
ちなみにこの事件で行方不明になったディミトリの義母は、エーデルガルトの実母。度々エーデルガルトを気にかけるのは、義姉という数少ない家族に向ける感情なのでした。
また、一個前の章「白雲の章 炎と闇の蠢動」からいつも真面目で優しいディミトリが語気を荒げ、敵に対し激しく激怒し暴言を吐くようになっているのですが、それもこの事件が起因するもの。無実の人々が襲われる事件にまた巻き込まれてしまったことでディミトリの翳りはより一層強めていきます。
さて、惨劇の中一人だけ生き残ってしまったというトラウマを抱えるディミトリに、親を突如失い傷ついた先生が現れました。その上先生はディミトリが親を失ってから初めて信用できると感じた大人です。
そのためディミトリはここから、先生のために何でもしてあげたいという強烈な執着を持つようになり、その上で自分のことを理解してくれるのではないだろうかという期待を寄せます。というかこの行動は、自分がして貰えて嬉しいこと、自分がしたいと思ったことを行おうとしているだけなので手助けをしているつもりなんです。
「家族」を失ったから「復讐」を行う、そして仇の組織を討ち破る。二人の利害は一致しました。そして、ディミトリは先生を完全に信用するようになり、目に見えて試し行動(自己開示)が増えていきます。
第四のターニングポイント「白雲の章 深遠の玉座」にて、この二つのテーマはより悪い方へと繋がっていきます。
女神との融合をきっかけに、先生はレアに啓示を授かるようにと、女神と女神の眷属が眠る聖廟に行くことを命じられます。
事件が起こるのは彼らが儀式を行っている最中、闇に蠢く者と帝国兵が突如として現れ墓を荒らしを始めるのです。
死者に報いることを原動力に生きているディミトリにとって、「墓荒らし」は地雷そのもの、彼は激しい怒りの元敵軍に立ち向かっていき、敵将へと詰め寄ります。
顔を隠していた鎧が落ちついに敵将正体が判明するのですが、闇に蠢く者と肩を並べ戦っていたその人は義姉エーデルガルトだったのです。
聡明なディミトリは学生時代編で起こった事件とダスカーの悲劇の関連性を見出していました。だというのに闇に蠢く者を先導していたのは、自分に残った数少ない家族だった。それはディミトリが壊れてしまうには十分な情報でした。
というか、この仮説が正しくなかったとしてもエーデルガルトは「先生の親を殺した組織の中まで、現在墓荒らしを行っていること」がディミトリ視点で確定しているので深い憎悪を向けられるに十分の材料がそろっています。
しかし、あと一歩のところでエーデルガルトは逃亡し、アドラステア帝国皇帝として教会への宣戦布告を行ってしまいます。
かくしてガルグ=マク大修道院の生徒たちは学校での平穏な生活を突如として奪われ、兵士として大人として戦争に立ち向かわねばならなくなりました。
ここまでが学生時代編のターニングポイントから、解説していくフォドラの世界観や価値観、ディミトリの考えでした。
一番最初に解説するルートだったため、少し長めになってしまいましたがここで第一部は終わりです。学校での防衛線にて大怪我を負った先生が、女神の力によって五年という長い眠りにつき、目覚めたところから第二部が開幕するのです。
◆先生と生徒
長い眠りから目覚めた先生は、五年前にある約束をしていたことを覚えていました。
「五年後にまたみんなで学校に集まろう。」
その約束を果たすために先生は、戦禍に荒れ果ててしまった学校へと足を運びました。
五年ぶりに再会したディミトリは変わり果てた姿で佇んでいました。道中にあったのは凄惨な殺され方をした帝国兵たち、生者はディミトリしかいません。光が差し込む校内で、暗闇の中に血塗れの復讐鬼は佇んでいました。
ディミトリは開戦後王国へ帰還すると、ある策略により無実の罪を着せられ処断されます。生き伸びていたのは従者ドゥドゥーが命がけで逃がしてくれたからです。
先生を目の前で失い、ダスカーの悲劇以降側にいてくれた大事な友人を亡くしたと思ったディミトリは「また自分だけが残ってしまった」と深い罪悪感の中、悪逆行為を働く帝国軍や王国内の将官を惨殺し復讐を果たす生活を五年間その身一つで続けていました。
ディミトリは先生が何度も心配する内容の選択肢を出してくるほど荒れています。口を開けば「殺してやらないといけない」「耐え難い苦しみを畜生に受けさせねばいけない」と語り、時折何もない空間に優しい口調で話しかけています。とてもまともな状態とは言えません。
それは約束を守るため現れた生徒たちと再会しても変わる様子を見せません。しかも先生にだけやたらと当たりが強いのです。
王国ルート前編はこのような出だしから、「保護者と子供」という構図で話が進行していきます。
◆ディミトリの症状
ディミトリの症状は学生時代編から時折見せていた言動や、「しなければならない」と自分の意思としてではなく義務のように物事を語っていること、また死んだ人々のことが幻覚・幻聴として現れディミトリに命令を行っていることから考えて、一種の強迫観念であると考えるのが妥当でしょう。
死者が「惨たらしい死を与えろ」等と命令していると言ったって彼らは実在するわけじゃないし、結局のところディミトリ自身の意思なんじゃないの?と思われるかもしれませんが、大きなトラウマやストレスがかかっている人間とっては己が作り出した声を無視することが非常に困難なもので、他者からこのような指摘を受けたところで本人は大抵【本当のこと】に気づいているもので簡単に変えることはできないのです。
この状態は別作品の登場人物、インディーズゲーム「Milk inside a bag of milk inside a bag of milk」の主人公を出して考えると非常にわかりやすいです。
このゲームはただ主人公の少女が牛乳を買うおつかいをこなすだけのノベルゲームなのですが、それだけのことが非常に困難だと感じる程に彼女は自分を追い込んでいます。
プレイヤーが選択することのできる会話の選択肢は彼女を蝕む強迫観念の声そのもの、彼女が少し間違ったり失敗して動揺する様を嘲笑ったり、急に死に追い込まんばかりの勢いで罵声を浴びせたり、そうかと思えば優しく奮い立たせたりとめちゃくちゃです。
無意味な行動への強迫がとても上手く描写されているシーンを一つ紹介すると、家をでたばかりの道中で彼女が「自分の左右の足の歩数が乱れていること」について異様な程動揺し、声によって「なんでそんなこともできないの」と貶されるというシーンがあります。
でも、この世界にはそんなルールありません。
これは彼女の中でいつしか取り決められたルール、それ一つ間違えただけで異様な程高速で思考が飛び交い、自責の念と妙な気持ち悪さに彼女は圧迫されていきます。
左足を50歩、右足を51歩……、一般人は絶対気にならないであろうことが一大事と言わんばかりに彼女を責め立てます。どうやってこの声を満足させよう、リカバリーをすればいいんだろう。そのような思考に飲まれ彼女は牛乳を買いにくどころではなくなっていくのです。
後のシーンで、彼女は自分を蝕む声を自分が作り出したものであるとに気づいているような発言をします。このことで毎日に深く傷つき疲労していることも自覚しています。しかし、彼女の気づきや本音はまた声が連れ去り彼女の歪な日常へと戻します。これは強迫観念の実態です。
【本人は気づいているし、苦しんでいる】、それでもなお【自分の意思を無化し、声に言われるままに歪な義務を全うする】
現代を強迫に苛まれながら生きる少女の思考回路は、戦乱の世を生きるディミトリにも同じように現れていました。
まずもって、なんでディミトリがこんな行動をするかと言えば「罪悪感」が起因しています。彼は何度も繰り返し自分についてを、面白くない人間だとか生き残ってしまった人間と卑下して語っています。自分自身に価値を見出していません。
また、序盤で対峙する帝国将ランドルフとの会話にて「大義や家族(生者)のため戦っている」という正義主張に、ディミトリは「自分は弔い(死者)のため戦っている、どちらにせよ二人とも人殺しの化け物だ」と返答します。ランドルフの発言は大義を忌み嫌うディミトリにとって非常に腹立たしいものであろうと伺えるのですが、別に怒りを表すようでもなく冷静に言葉を返しランドルフの希望を奪います。
その後、ディミトリは更にランドルフを追い詰めんと拷問を施そうとするのですが、先生は「見ていられない」と間に入りディミトリの行動を止めます。
この先生の発言は、拷問される相手に対してではなくディミトリに向けたもの。先生視点ディミトリがこのような行動を取るのは「自傷行為」にしか見えないということなのです。
このようにディミトリが、敵軍を必要以上に傷つけようとしているのはダスカーの悲劇がそのような惨劇の舞台だったからです。だからこそディミトリの中の声(つまりは亡霊たち)は「同じような苦しみを!」と叫び続けます。それに答えるように、声が消えてくれるようにと命令に従うのがディミトリの日常なのでした。自分を化け物と呼称しているように自分の行いが悪いということをディミトリは認識しています。だけれど、声に従ってやらなければいけない、そうしないと彼らは自分を許してくれない。自分が生き残ってしまった理由がわからない。このようにディミトリの行動は極めて自罰的なものなのでした。
ディミトリの言動は非常に暴力的であっても、味方に対してせいぜい悪態つく程度のことしかしません。これは暗にディミトリが暴力的な人間ではなく、彼の中にある衝動を声が操作しているからにすぎないということを示唆しています。
先述した「先生に対してだけやたらと強く当たっている」というのも、ある種の試し行動の一つで「今の自分を見た先生は軽蔑するだろう」と考え、「お前たちを利用する」とか「あの時の自分はもういない」等の強い拒絶の言葉を放つことで、それでも手を差し伸べてくれている先生を試してしまっているだけなのです。
敵軍の策による放火を行われた際に、咄嗟に先生を心配し悲痛の声で呼ぶところからも、別にディミトリが完全に変わり果てたわけでも、先生に対して深い嫌悪の念があっての上記の行動をとっているわけではないことが伺えてきます。
◆保護者と守られるべきだった子供
今まで、ディミトリの傷・行動原理についてをお話してきましたが、次に彼を取り巻く人物について、王国ルートの特徴と共に解説します。
王国ルートと特徴は「大人キャラ」の多さです。貴族たちが生徒ということもあり、○○の親なる存在の話題が多いです。(ロナート卿やシルヴァンの家族の話もそう)
二部になってメインで関わってくるのは、生徒の親にしてディミトリの幼少期を知る人物、ロドリグとギルベルトです。この二人は共通して「ディミトリを先生に託す」内容を語りディミトリの幼少期や王国の事情についてを教えてくれます。
ゲームの都合上、「先生がディミトリを救う」のは普通の流れなのですが、先生は大人たちよりも人生経験が短いですし、彼らよりディミトリについて詳しくありません。では、なんで先生に託すのかというと、彼らもまた罪悪感を背負っているからなのです。
ロドリグとギルベルトは共通してディミトリの過去に寄り添えなかったことを悔いています。ディミトリは14歳という若さで両親を失い、不安定な王国は不審な兵士を大量に流し込んだ摂政が代わりに政治を執り行うことになりました。そこから学生になるまでの間ディミトリは王子でありながら、不自由な軟禁生活を送ることを強いられます。一番の時に側にいたのはまだフォドラ言語を覚えていないドゥドゥーのみでした。
ロドリグは事件で息子を失い、情勢の悪化からディミトリに触れることができませんでした。世話係をしていたギルベルトは起こった出来事の重さに心をやられ宗教にのめり込むことで、家族もディミトリも置いて逃亡してしまいました。
だからこそ、二人はそのことを悔いており、今のディミトリに強く出ることができないのです。そのため、ロドリグは「自分は叱ることができる人間じゃないから」と語り「最後まで復讐を否定して欲しい」とディミトリを先生に託します。
故に王国ルートの先生は大人として保護者としての立ち回りを行いその側面が強く出ます。事実、信用できる大人たちを一度に失ったディミトリは、先述した行動を取るほど先生を愛していて、学生時代の外伝においても先生が一人で出かけるのを見た際に焦ったように追いかけるという全級長で唯一の行動を取っています(他ルートで追いかけるのは級長ではなく生徒)。ここから今ディミトリが「大人」として信頼を置けるのは先生だけ、その人が居なくなることを異様な程恐れている「子供」であるという構造が見えてきます。
◆「生きる意味」
ディミトリの心が解放されるのは、グロンダーズの会戦。物語の山場となり、キャッチコピーにもなった「血の同窓会」三国の総力戦が行われた後でした。
見事勝利を収めた王国軍、その最中背後から現れたランドルフの妹がディミトリの不意を突き復讐のために襲い掛かり、それを庇ったロドリグが絶命することになります。
ディミトリは殺されるべきは自分だった、自分がいつかこうなること(復讐の果てに復讐されること)は当然だったと嘆きます。
そんなディミトリの呪いを解くようにと、ロドリグは最期の言葉として次のような言葉を残します
「私は貴方のために死ぬのではなく、信念(自分がやろうと思ったこと)に従って死ぬのです。貴方の中にも信念はあるでしょう、貴方も信念のために生きなさい。」
それは優しく人を思いやりすぎるからこそ、自分を苦しめる声を作り出してしまったディミトリに逃走経路を促す言葉でした。
死者の本当の想いがもう分からないからこそ苦しめられるディミトリに、生者と死者の間にあるからこそ伝えられた言葉を残し彼は死者の列に並びます。
次のシーンにて、雨の中佇むディミトリに先生は駆け寄り本音を聞くこととなります、彼の行動理念はやはり
・復讐をすることでしか生きる理由を見出せなかったこと
→生き残った理由を作りたかった
・どんなことをしても声から解放されず苦しいこと
・自分のために生きていいと言われても自分そんなことしていいかわからないこと
これによって構成されていました。そんなディミトリに先生は「もう十分だ」「自分を許してやれ」と光のある方へと手を差し出します。
その手を取ったディミトリは先生の体温に、やっと「今、生きている人」を認識することができました。
生者を見ることができたディミトリは次に、生きている自分自身を見つめます。
亡霊の声の中本当はこうしたいと思う自分が必ずいたことに気づいたディミトリは、生者の声。つまりは、自分の信念に従って生きる道を見せることで、今までの罪に報いる決意ができたのです。
◆正しい行い
ディミトリが手始めに始めた正しい行いは、皆に謝罪をすること。今苦しむ人々を救いに行くことでした。
生徒たちの中には、荒れたディミトリに人が変わったようだと評していた生徒たちは「元に戻ってくれた」とディミトリを認め始めます。(この中で先生とドゥドゥーだけが「昔から人のために怒れる人だったから別に豹変していたわけではないだろう」と評しているのが面白いです)
次に、摂政と闇に蠢く者たちに乗っ取られ圧政に虐げられていた王国国民は、そこから開放してくれたディミトリに対して、「過去の行いよりも今自分たちを救ってくれた人」、「王の凱旋だ」と褒め称えディミトリのことを認めます。そして、救援要請を送ってきた同盟を救いずっと国を守り抜いていたクロードにフォドラを託されます。
その道の中ディミトリはあることを思うようになります。
「自分が信念に従って動くことに意義を見出しているように、エーデルガルトのも何か信念があってのこと。それはなんなのだろう?」と。
このまま道を進めれば、戦争を止めるためにエーデルガルトとぶつからねばなりません。昔のディミトリは復讐のために悪鬼を討つ。そのために彼女に激情を捧げていましたが、今のディミトリは違います。
エーデルガルトがそうしなくてはならないと思った信念を知った上でなければ、真の平和は訪れない。
自分は切り捨てるのではなく認めた上で前に進みたい。
そう考え、ディミトリはエーデルガルトに対談要請を行います。戦うのではなく理解し合うことでの解決を望み、違う方法を見出そうとしたのです。
◆「仕方ない、それでも救いを」
かくして、要請に応じたエーデルガルトとディミトリは武具を持たないという約束の元対談を始めます。ここからのディミトリの発言は全て先生と生徒たちのやり取りの中から得たもので成り立っていて面白いです。
対談に訪れた彼女にディミトリは端的に質問をしていきます。エーデルガルトの答えはこうでした
・何故このようなことをしたのか
→紋章社会を破壊したかった、そのためにはその象徴たるセイロス教を潰さねばならなかった
・このやり方でなくてはいけなかったのか
→時間をかけて治していくやり方ではこの腐った世界で犠牲が増えていくだけ、彼らを救うために自分は立ち上がった。
それに対し
・この戦禍の中民たちは今を苦しんでいる。
→今を生きる人を見つめられるようになっての発言
・それは未来のために死ねと言っているのに同じだ
→損得勘定を嫌うディミトリ自身の信念からの言葉
このように、目に見えて傷つく民たちを思う言葉をディミトリは投げかけます。
しかし、エーデルガルトは「そもそもそのような人たちは弱者であり続けようとしているのが悪い。嫌だと思うなら立ち上がって立ち向かえばいい。」とそれを切り捨てます。
この発言の答えを、ディミトリはすでに知っていました。それは、かつてロドリグの息子フェリクスに言われた言葉「誰もがお前のように抗えるほどの力を持っているわけではない、立ち上がらないのではなくそうすることができないから諦めてしまうことを忘れるな」です。ディミトリは王都で落ち延び、貧民窟で身を置き復讐のために立ち上がって、先生たちと前を向きました。そんな風に多くのものを見てきたディミトリだからこそ
立ち上がれないのは民が悪いのではない、そのような状況を作っている世の中こそである。
とはっきりと自分の中の答えを紡げました。「そのような状況だからこそ革命をしているのだろう」という主張する彼女に、ディミトリは会話が決裂したことを認め、戦う意思を固めます。
全ては今いる人を救うために。
◆「ご飯を食べて側に誰かがいて、みんなが人のために何ができる社会」
戦いに勝利を収めたディミトリは、エーデルガルトに手を差し伸べます。それは、情けではなくどんな人であってもまたやり直せるとディミトリが身をもって経験しているからこその行動。ディミトリはエーデルガルトと歩む道をあきらめずには入れませんでした。しかし、エーデルガルトは最期の反抗で幼少期ディミトリが彼女に渡した短剣を投げ刺します。
誰だって譲れないものがある。それが彼女の答えでした。
その後、ディミトリは太平の世を創るために尽力しました。
それは今までの死者に報いるため、社会による犠牲を憎んだエーデルガルトの考えを背負うため、【自分の罪を正しい行いで償う」先生に教えてもらった生き方でディミトリはファーガス神聖王国の国王としてフォドラを守ることとなります。
エンディングカードで表示されるイラストには肌の色が異なる子供たちに囲まれたディミトリ、教えを説く大司教となった先生の姿。それを囲むように実る黄金の穀物……。
差別なく子供たちが過ごせる、国王が自ら民と触れ合い耳を傾ける。神に救いを求められて、食事に困らない。人間の根幹の幸せが詰まったようなイラストです。またディミトリの傍らにある武器にカバーがつけられていることが、争いがなくなった未来であることを表していて沢山の想いが詰まった一枚なのがわかります。因みに、ディミトリという名前は豊穣の女神デメテルに由来したもの。ディミトリのルートのエンディングには【民が安心して生きる世界と豊穣」が待っていました。
ここまで、ディミトリの足取りを民の視点の物語として解説してきました。
身内と争わなければならないことを主要人物で描き、生徒たちによって対立する親子の姿、友情を描いています。
ディミトリの精神状態が荒れてしまうのもそう、人間だからこそ悩んで苦しんで自分を傷つけてしまう。心が弱いからではなく人間だからこそ起こりうるのです。
ディミトリは国王でありながら、どこまでも民の視点で考え傷つき悩み苦しんできた人でした。だからこそ王国ルートでは民視点のフォドラが見えて、民が真に求めるものとは何かの追求に繋がります。
ディミトリが「民」であれば、エーデルガルトは「王」なのでしょうか?社会の状況を忌み嫌いそれを破壊せんとして立ち上がった女帝エーデルガルト。彼女の視点ではどのように見えていたのか。次項ではそれに迫りながら、ディミトリとエーデルガルトの対比関係についてをご紹介していきます。
第二陣・帝国ルート 全ては人の世界を取り戻すために
◆黒鷲の学級へようこそ
エーデルガルトの本質が見えてくるのは銀雪の章(以降教会ルートと表記)においてなのですが、本章では民の目線と王の目線の違いに重きを置いて解説していくため、エーデルガルトの個(本質の部分)については次章で改めて述べていきます。
エーデルガルトを女帝としての視点で見るとすると、彼女自身のルートにて模索するよりも、他のルートによって見ていったほうが感じやすいでしょう。
まあ早い話、先生が選んだ学級は戦争に勝利することになります。つまるところ、敵であるときと味方であるときで全員の心の余裕度合いが違うのです。
先生に選ばれなかったときディミトリはずっと救われることはないし、クロードはうまく策を動かせないままフォドラを去ることになります。それは、エーデルガルトも同様です。
ですが、エーデルガルトは本心を見せない、追い詰められ淡々と侵略を続けているときにこそ王らしさを一番に見せてくれるのです。
まず、初めにエーデルガルトの指導者としての意識、彼女自身の視点からのフォドラがどう見えているのかを探るために、王国ルート同様に学生時代の4つのポイントを見ていきましょう。
◆学生時代編:努力で掴み取る未来を破棄するこの世へ
第一に「白雲の章 霧中の戦い」において、ロナート卿とその領民と生徒たちは戦い、彼らを殺してしまったことについてを悲しみ、憤りを語り合います。
しかし、エーデルガルトは一歩引いた場所から生徒たちを見て、早く前を向くことができたらいい。と語ります。さながら、兵士の状態を遠巻きに見て判断する指揮官のように。
そして、この戦いのことを「これは犠牲ではない。戦おうと立ち上がった彼らには正義があった、しかし我々の正義に負けただけのことだ」、「相容れない正義は排除して進んでいくしかない」と自らの考えを語ります。
これがエーデルガルトをただひたすら目標へと突き動かす行動原理の一つ、【負けた時点で自己の正義は否定される】という考えでしょう。
また、彼女はこの際に相手が神だとしても、と最終目標の「セイロス教の破壊」を先生に匂わせます。
第二のターニングポイント「白雲の章 黒風の塔」。英雄の遺産の捉え方の話がでてきました。
紋章を持たないからと、手にすることができなかった英雄の遺産を持ち、その結果呪われ異形へと姿を変えた盗賊マイクラン。その後遺産はレアによって回収される運びになるのですが、一連の流れを見たエーデルガルトは、「マイクランは廃嫡された後にも関わらず頭領になれた。それは善悪がどうであれ指揮をする能力ある人材だったからだ」と評し、紋章の有無で判断されてしまったことが勿体ないと嘆きます。
だからこそ彼女は、紋章という女神に与えられし力が無いだけで、社会から外される人々がいるこの現状を、「紋章がないと国を治められないという思想が蔓延っているからこそ、社会は不平等に歪んでいる。このような社会を形成した女神は、力による支配を人間に行っているのではないか」と考察しています。
この件については王国の事情を知っていれば、わかっていてもそれに従うことしかできない。というか息苦しくても古い伝統に縋っていた方が楽なくらい国に余裕がないことが見えてくるのですが、王国と違い帝国は広い穀倉地帯があるくらい豊か。だからこそ、自分の家の名前、紋章の有無に胡坐をかき悪政に明け暮れる、惰性のまま過ごす貴族たちが帝国に上に居座り続けているのです。
だからこそ、彼女は王国の事情はどうであれ
女神や紋章がなくなり己の力のみになった世でこそ、真に人の世の中が訪れる。
とこのように考案し、夢に掲げています。
だからこそ、第三のターニングポイント「白雲の章 涙のわけ~女神の行方」にてエーデルガルトは先生に強い怒りを覚えます。
この章で起こったことは、先生が父親を失い悲しんだこと、そして女神との融合です。
先生になってから共に視覚・感情を分け合って支え合っていた女神ソティスの存在は、先生にとっては優しくも厳しい相棒のようで、母親のような大事な存在となっていました。
先生の父親がいなくなった後、エーデルガルトは先生に「いつまで悲しんでいるつもりなのか、前を向かなければ何も始まらないのではないか」と前を向くようにと叱責をするのですが、ソティスはその際に「なんて偉そうな言い方だ」とエーデルガルトではなく落ち込んでいる先生の方を肯定するように発言をしてくれる人です。
だからこそ、そんなソティスにプレイヤーも先生も、女神は悪だなんて考え方にはなりませんし、好感度も高いはずです。彼女が融合し消滅するシーンは強く印象に残るでしょう。
ですが、先述したようにエーデルガルトは紋章社会、はたまたそれを作り出した女神を恨んでいます。先生に信頼を寄せ、少しずつ自分の持っている情報を開示するようになっていた最中、先生は憎たらしい女神と融合し眷属たちと同じ緑髪緑目の姿に変貌してしまいました。
先生は父親と母親を連続で失ったようなものだし、自身の身に何が起こったのかよく理解できてないも同然なのですが、エーデルガルトはなりふり構っていられず責め立てるように、「なぜそんな風になったのか」と迫ります。
この時点で、一人で戦争を行うため計画を実行し始めているのにも関わらず、エーデルガルトは先生にも協力してほしいと思うほどの信用を置いています。
だからこそ、また女神に大切なものが奪われるのではないか、自分は裏切られたのではないかと感じてしまっているのです。自己防衛用の人格を前に出てしまった彼女は攻撃的に立ち回ることしかできないのです。
第四のターニングポイント「白雲の章 深遠の玉座」。エーデルガルトは先生に何の事情も伝えずに突如として現れ闇に蠢く者と共に敵として立ち塞がります。
この章はゲーム的に重要なシーンで、レアにより先生はエーデルガルトを仕留めるように命じられ、「エーデルガルトを斬る」か「エーデルガルトを守る」かを選ぶことによってルートが分岐します。
帝国ルートはエーデルガルトの手を取り守るルート、エーデルガルトの前に守るように立ち塞がりただ頷く先生を前にレアは、恐ろしい形相で「あなたも失敗作だったのですね」と呟きます。
この世界を牛耳る女神の眷属という存在、先生が何故女神と融合したのか、それを知ろうとする程、なんだか非常にきな臭いことばかりが見えてくるレアと敵対する。これこそが帝国ルートなのです。
エーデルガルトが学生時代に一貫して先生に取っていた行動は、「情報を少しずつ流し先生の出方を試す行動」でした。ロナート卿の時は神殺しの話を出し、マイクランのときには女神のいない世界の提案。その他にも事あるごとに、エーデルガルトは自分の夢や持ちうる情報を開示しています。
学生時代を通し、今まで誰も頼らないように生きてきたエーデルガルトは心から肯定してもらいたい、手を取ってもらいたいと先生に対して思うようになっていました。先生はその手を取ってエーデルガルトと共に茨の道を歩むこととなります。
帝国ルートの特徴は淡々と物語が続き、章の数が王国同盟と比べ少ないことです。それもそのはず、彼女は最低限の被害に留めた上での革命を志しており、被害を最低限に留めています。
倒すべき陣営は教会とやり合う際に襲撃してくるかもしれない反帝国派となった同盟軍、教会と手を組み立ちはだかる王国軍、この二つに力を集中すればいいため、王国ルートのように人助けのためにあらゆるところに駆けていく~等の行軍が必要ないのです。
この戦争での目標はあくまで「教会を討ち人の世を取り戻すこと」。エーデルガルトを陥れ、先生やディミトリを苦しめていた闇に蠢く者たちも今回ばかりは、どさくさに紛れて打撃を与え勢力を落とせればいい。
エーデルガルトは闇に蠢く者と同じ陣営だったのではなく、教会を討つ共通目標がある以上は協力しその後出し抜く算段で動いていたのでした。
第三陣 他のルートから見つめる皇帝エーデルガルト
◆エーデルガルトの采配
エーデルガルトの王としての視界はここから帝国ルートで語るよりも、王国・同盟ルートで語ったほうがわかりやすいので、あえてそちらのほうから話を進めていきます。
エーデルガルトは学生時代編、紋章社会を激しく嫌い帝国の今の情勢に嘆いていました。だからこそ、彼女は皇帝を継いだ際一番最初の行動として、エーデルガルトの父に代わり実権を握っていたエーギル伯の地位を奪います。
実際彼は悪政を行っているし、病床に伏せるエーデルガルトの父親に不敬な態度をと取っています。だから真っ当なこと……なのですが、問題なのはこのエーギル伯の息子が黒鷲の学級の生徒フェルディナントの父親であることです。
エーデルガルトが実権を握るのは学生時代がまだ終わっていない頃、つまり彼女は在学中でありながらクラスメイトの家を終わらせにかかっています。
この際のフェルディナントは、「これからどうしていけばいい」とひどく困惑した様子を見せます。彼には失礼ですが、エーギル伯はあまりいい父親と言える人ではありません。それでも、フェルディナントは自分の家を誇りに思っており「民を守ることこそ貴族の役目だ」と思えるような人で、父親とは別の考えを持つ人でした。
共に過ごした彼女はそれを知っていたはずです。それでも、アドラステア帝国の腐敗の象徴だった彼の家は五年の間にどんどん地位を失っていきます。
その証拠に彼が敵将として配置されるマップは、同盟との国境である川を越えるためにあるミルディン大橋。つまるところ、名家であったはずの彼は国の中心部から一番離れた場所に配置されており、多くのプレイヤーが最初に殺すことになるネームドキャラとなっています。
いくら級友であろうと、自分の一族に不利益を被らせ出し抜かんばかりだった一家だとして、まとめて戦力として使い潰す。外様大名のような配置の仕方を行ったエーデルガルトは生徒に対する情を抜いて考えればいい策を立てているのです。
また彼女は、ベルナデッタという引きこもりで臆病なクラスメイトをグロンダーズの会戦にて中央の砦に配置させます。中央にあるのは小高い射撃台。FEの射撃台の仕様は使用すると通常よりも遠い距離に弓矢で広範囲攻撃ができるというもの、王国軍も同盟軍も進軍していけば必ず彼女の射程内に入ります。避けようとすれば非常に困難な動きを強いられるのでプレイヤー的にも何とか抑えたい場所になるのですが……。
と、このようにプレイヤーの心理を上手く操作し、ベルナデッタの元へと導いていきます。
そして、ベルナデッタの砦に敵軍が踏み入れた瞬間に彼女は号令をかけます。
「火を放ちなさい」、と。
これがよくネットで言われている「ベル焼き」なのですが、そんな単語が作られるほどこの出来事は非常に倫理に反しています。
それでもこれは上に立つ指揮官の策としては、確かに上出来なところではあります。
ベルナデッタは学生時代、よく叫び逃げ回る程の臆病で、引きこもってばっかのような子でしたから、その印象は顔見知りたちには深く残っていることでしょう。そんなベルナデッタが中央で妨害している。そんなの格好の的になること間違いありません。そこを火計でもろとも消し去ろうとするのですからね。
例に挙げたこの二つ以外にも、彼女は目的のため戦争を上手く進めるために顔見知りだろうと容赦なく切り捨てたり、非道な作戦を取ったりします。
帝国ルートにおいての彼女は、先生に心を開き手を取って目標に突き進んでいく様が前面に出ているためメインシナリオを読んだだけではこのような冷酷な判断、指揮者としてのカリスマ性は見えてきません。
しかし、帝国ルートでは戦闘会話で何度も繰り返し学友たちの悲痛な声が登場します。
「王国がなくなり、王も討たれたのにこれ以上何を奪おうと言うんだ」と叫ぶアッシュの言葉は、プレイヤー側が悪であるという認識をせざるを得ません。
また、このゲームには他学級の生徒を引き抜けるスカウトシステムがあり、幼馴染キャラや親友キャラを引き裂き戦争時代編にて敵対させ特殊会話を発生させることができます。(※)
その会話が一際悲惨なのは間違いなく帝国ルートでしょう。
これに関しては、エーデルガルトの目標彼女が見える景色の範疇外。預かり知らぬところの話ではあるのですが。
※:FEシリーズはチェスの盤面を動かすように、プレイヤーが任意でキャラクター同士を戦わせるゲーム。特定の組み合わせによっては、戦闘前会話が発生し特別な会話を聞くことができます。スカウトシステムがある今作においては、プレイヤー次第であらゆる組み合わせで戦わせることができ、会話パターンも豊富に用意されているのです。
◆皇帝の彼女についてのまとめ
帝国ルートはエーデルガルトの手を取り寄り添っていくルートであり、彼女の悲劇や魅力が詰まっているし、一度社会を破壊し作り直すという夢を成し遂げた未来では色々なものがものすごく早いスピードで発展していくでしょう。紋章がなくなり、有無で差別されることも才能を見出されないこともないでしょう。
だからと言ってこの物語は【戦争を肯定するものでは絶対ない】はずです。
もしそのような物語を書くとして、別ルートで彼女の残酷さを描くでしょうか?友人同士で殺し合いをさせることを任意でプレイヤーが起こせるように制作して、プレイヤーに罪悪感を覚えさせる言葉を浴びせてくるこの物語を、エーデルガルトは正しい行いを行った。戦争を行わなければフォドラの時間は進まず、平穏な未来は訪れないものだったと言い切れるでしょうか?
エーデルガルトは戦争についてこう語ります「他のやり方もあったかもしれない、でも私はこの道を選んだ」と、犠牲になった軍人を見て彼女は皇帝自ら隠れて墓参りに行き死を悲しんでいます。
彼女自身も戦争のすべてを肯定できているわけではありません。手段として選ばざる負えない事情があっただから選び取りました。その先の未来は決して悪いものではないし、彼女の行動に肯定できる部分だってあります。
ここまでの論述は、エーデルガルトを悪役であり間違えていると語っているように見えるかもしれません。しかしこの論文の初めに記載したように、自分はこの物語の何かを否定するつもりはないのです。ただこの行為を行っている中でゲーム全体で伝えている【戦争批判】を忘れてはいけないのです。
エーデルガルトは長く続いてきたFEシリーズにおいて、必ず敵軍として登場する「帝国」の皇帝です。つまるところ、悪役として設定されています。帝国ルートは従来の悪役側に立って共闘すること、彼らと信念を共にできることができる。そんなコンセプトの元作られたものなのではないのでしょうか?
つまり、エーデルガルトはフォドラで行ったようにFEシリーズの今までを破壊する革命をも行って見せたのです。
◆ディミトリとエーデルガルト
ここまで、民に寄り添った視点で物事を考えるディミトリ、皇帝として冷静に判断し進軍をやめないエーデルガルトを見てきましたが、二人が本当に意見が合わない存在なのが理解できます。
最後にディミトリが手を差し伸べたように、相手の理解ができないわけではありません。王国ルートにて何度も出てきた言葉を借りるのであれば、「人には譲れないものがある」そういう二人だったのです。
人情の人であるディミトリは、エーデルガルトのやり方を認めることはできないし、人間を解放するために歩みを止めないエーデルガルトは、ディミトリが弔いのため復讐を行う様は無意味で滑稽に映るでしょう。
でもお互いの認められない部分は二人の根底にある大事な原動力なのです。だから二人が衝突することはこの風花雪月という世界の中では避けられないでしょう。
いくら幼い恋をしたあの頃があろうとも、今、姉として大事な家族だと考えていたとしても、いつかもらったお守りの短剣をずっと大事に持ち続けていたとしても。彼らが完全に食い違っていることもまた事実なのですから。
また、「保護者と子供」がテーマであり終盤にかけてディミトリが学んできたことを自分の口で語る成長のシーンが印象的な王国ルートに対し、帝国ルートには目立った大人の存在が出てきません。先生自体も教師というより心の支えとなる相棒という感じのため大人の立場であるという感じがあまりしません。
帝国ルートはエーデルガルトの成長物語ではなく、彼女が安寧を見つけ出し身を人の手を取れるまでの物語であると言えるでしょう。
誰が悪いわけでもありません、どちらかが正しいわけではありません。それでも立場や環境、世の中が大規模な決裂に繋がってこの対立関係を生み出していたのでした。
……ところでディミトリとの対談においてエーデルガルトは、「弱き者は立ち上がらず奢っている」と強者としての発言をしているのにも関わらず、ディミトリに対し「何も持っていない私と違い貴方は全てを持っている」と発言しています。
つまり、彼女には「自分は弱者から這い上がりここに立っている」という意識があるのです。だからこそ、これはやっていない皆が不思議だというニュアンスであり、別に彼女自身弱者を排他的に見ているわけではないということになります。
では、ここから神の視点教会ルートと並べて皇帝ではないエーデルガルト自身の話をしていきます。
第二章「自立する子供たち、神の視点・誰かの視点」
第四陣
銀雪の章 人々が教え導かれる世界を守る神たち
紅花の章 少女エーデルガルトの孤独と安寧
◆教会ルートの始まり
レアからの命に従い「エーデルガルトを斬る」を選択したこのルートは、エーデルガルトの手を取らない形で進みます。
そのため級長という物語を動かす主軸になる存在がこのルートではいません。(先生が主軸になっているような形です)だからこそ、このルートには特定の思想が入ってこず、「戦争が起こってしまった」という状況が漠然と目の前に現れます。
級長のようなポジションとして現れるのは、女神の眷属であり教会の従事者のセテスとフレン、彼らは帝国ルートにてレアに身内のよしみで協力し、敵対キャラとして登場しますがその後「これ以上傷つきたくはない、付き合うことができない」とどこの国にも属さないまま去ります。
このように仲間キャラ、先生の置かれている状況全てにおいて中立的であることが教会ルートの最大のポイントと言えるでしょう。
ここからは、エーデルガルトの「個」についても語るため変則的に教会ルートの話を主体にしながら帝国ルートでの情報を交えて、教会とエーデルガルトの視点についてを解説していきます。
◆目標と教会の真実の姿
教会ルートは、生徒たちと再会し「戦争を終わらせること」を目標として進行していきます。帝国ルートでの出来事考えると、セイロス騎士団の一員としてエーデルガルトを断罪するルートというと、エーデルガルトの考えを聞く限りでは、戦争に起こすに至った「教会の冷酷さ」を映したもののように聞こえるかもしれません。
しかし教会側のセテスは前節で紹介したように戦争を忌み嫌っています。つまり、彼は終戦を望んでいる理由は人間を支配するためではなく、純粋に生徒たちが学び導かれる場であり、迷い人が救いを求める場所であった大修道院を破壊し、侮辱したエーデルガルトのことが許せないというのが最大の動機なのです。
そして、セテスとフレンはエーデルガルトを突き動かす戦争への意思についてを
・彼女の動機は既存の社会の秩序の破壊である
→そのために秩序の象徴であるセイロス教を破壊したい
→それで作り直した世界に希望を見出している
と推察した上で、
・行動に理解できなくはないが、それは彼女自身の望みである。
・フォドラの人々が同様のことを求めているようには思えない
というような考察を述べます。つまるところ彼女の考えに道理こそ通っていても結局のところは独りよがりであり私欲でしかないと述べているということです。これは、エーデルガルトが考える教会像、「私欲のために支配している」にもかかってきますね。
このエーデルガルトが独りよがりな行動をしているという一面は、帝国ルートにおいてのエーデルガルトの言動を見ていくそのとおりであることがわかります。
◆フレスベルグの少女の孤独
まず、彼女が生徒と話していた内容を思い出していきましょう。
・教団の支配を打ち砕かなければならない
・犠牲のない世界を創るための犠牲は必要である
・教会は歴史を改変し、私たちへ情操教育を行っている
まず、先程のセテスの話から女神の眷属はそのように押さえつけるために教育を行ってきたわけではなく純粋に子供たちの学びと導きを与えるために士官学校や宗教を作り出していること、またレアの個人的な活動として身寄りのない子供たちを面倒見る機関を作っているため、支配欲のままに動いている組織ではないことがわかってきます。確かに、女神に準ずる紋章によって引き起こされた紋章社会に絞殺される犠牲者がいること、争いの火種をつぶし教会への反乱因子を排除していることは事実だったとしても、このような人間を完全に支配することを想定して動いているかといえば微妙なところなわけです。
このように教会に不信感を抱いているキャラクターは彼女以外にも一人、クロードが存在しています。ですが、彼は士官学校という教会に密接した日々の中で、レアの怪しさについてだけを考察するようになり「教会全体が悪である、無くすべきだ。」とは考えていませんし、人に押し付けるように語ることはありません。
つまり、彼女は自分の経験だけでこのように教会を捉えており、先生の前以外ではこのことを深く語らないため、彼女の考えは彼女の中でだけで自己完結し他の意見に触れていない考え方なのです。
なぜクロードと同じ時間を過ごしていながらも、教会に対する思いが一度も変わらなかったのかは次の彼女の行動から見えてきます。
・セイロス騎士団と帝国軍がぶつかり、引き分けた際に「勝利した」と報告する
・戦いの先で闇に蠢く者を最終的に打ち倒すのが目標だが、決して生徒達には伝えない
・光の杭によって町が破壊された際に、黒幕が闇に蠢く者であることを知りながら、教会が行ったことだと説明する
これらのシーンすべて、一個前の場面にて先生とヒューベルトとの会議シーンが挟まります。この二人と真実を話し、考察をしたあとに生徒たちへこう告げるのです。
つまるところ、彼女は共に過ごした級友でさえも信用することができず、自分の意見を信じ、背中を押してくれる存在である二人しか真実を語れない。
このことから、
「それほどまでに彼女は人間不信に陥っており、彼女は彼女自身の考えを信じられない、信じざる負えない状況」であったことは明らかです。
なぜ彼女がこのような状態になっているのか、それは闇に蠢く者による血の実験のせいです。
エーデルガルトは幼少時代に彼らによって実験体として扱われ、地下で苦痛の果てに紋章を宿させられた、同じように扱われた兄弟たちが絶命していく様を見ることとなります。極限状態の中、彼らによってもたらされた恐怖、噓の情報。自分を亡命させた叔父による裏切り、それを経験した彼女は反旗を翻すため学生時代から根回しをずっと続けてやっと自分の地に足をつけて人々を動かし戦えるようになった。
この経験を経た彼女はこう思うはずです。
あの時から今までもずっと自分の力で生きてきた、女神が人々を救うというのは虚像でしかない、そもそも自分がこんな思いをしたのは紋章を人に与えた女神のせいであり、真の悪はそこにある。
と、これは偏に彼女が極度のPTSDを抱え、他人を信頼できない思考に陥っていると言えます。だからこそ、ディミトリが学び自分の言葉として語れるようになった「力がなく立ち上がれない人々がいる」という言葉に「それは努力をしていないから」としか返せない。学生時代にセイロス教で救われた信者や善行を見たところで自分の意思は変わらない。彼女は外的要因で新しく学ぶこと、喜びを感じることを放棄してしまっています。
それは別に彼女が悪いわけではなく、本当に今の社会のせいで苦しめられているにすぎないでしょう。それでも、彼女が自己の防衛本能で行う言動は外に刃を向けるもの、先生以外の前では攻撃をやめられないのです。そうして、彼女は自分自身の手によって己の孤独を深めていきます。無自覚的にゆっくりと。
しかし、このような精神状態でありながらも彼女が級友たちを愛していたことは学生時代の発言からうかがえます。それでも必ず、防衛本能が心の壁を作り出し、目標に道を戻すのです。
だからこそ教会ルートは生まれます。何も生徒たちの意地悪で容赦なく捨てられてしまったのではありません。それに、初めからエーデルガルトは彼らが協力してくれるなどと思っていなかったからこそ、手を伸ばすことも伸ばされることもなかったのでしょう。
彼女が信用できるのは自分自身しかいません。
彼女が救いを感じること、自分が世界にできることはただ一つ。
それだけを信じるエーデルガルトは、生徒たちとの交流に心を絆されようとも、初めて安心できる場所になった先生と離れ離れになろうとも【すべてを壊すために扉を開ける】のです。
それしか、ないのだから。
エーデルガルトについては本来帝国ルートの解説中にてするべきでした。しかし、彼女の全体像は、教会ルートで成長し自立していった他生徒たちと比較して見た時にこそ見えてくるもの。そのため、この場において解説させていただきました。
◆「自立する子供たち」
教会ルートのテーマになっているのは「自立」であると考えられます。
この特徴は章開始直後から顕著に現れます。帝国ルートにて「なんかついてきてしまった」「先生が行くなら」と生徒たちはなぜ教会を裏切るのかわからないまま、エーデルガルトについてきて徐々に流れや状況を理解していきます。
「自立」が現れているわかりやすい例として、学級唯一の平民ドロテアは帝国ルートにて常に「学友を殺した後悔」や「他の方法があったのでは」と軍議中にこぼしており、侵略する状況を呑み込めていない様子であり、周りの意見を介して覚悟を決めることが多いです。しかし、教会では再会した直後「戦争孤児を連れてきている、かくまってあげてほしい」と自分の覚悟と望みを表明しており、自己の信念のまま五年間を生きていた事が伺えます。
このことから教会ルートの黒鷲の学級の面々は自らの意思で、大修道院に足を運び戦争を止めること=祖国を裏切ることを選択したと言えるでしょう。
エーデルガルトの宣言や進行状況を聞いて進んでいた彼らは、自ら考え話し合い、自分のやりたいことを自分で選びました。ドロテアが子供を助けていたのも、引きこもりのベルナデッタが引きこもりのままなのも、誇りに思っていた家ではなく教団として戦いに来たフェルディナントも全て自己意思があってこそです。
エーデルガルトを悪だと決めつけて進むのではなく、わかってやっていると理解を示したうえで止めてやる。
それは正に自立した大人たちの姿です。帝国ルートと同様のキャラクターでありながら印象が変わって見えるのは、大人になったからこそでしょう。
わかりやすく1部と2部での生徒たちの精神の成熟度の違いが描かれているこのルートが一番最初に執筆されたルートであるというのも納得です。(ディレクターインタビューにて明言されています)
◆「人間と神を操る存在」
帝国を打ち破った先生たちは、幽閉されていたレアを救出し、女神の眷属と解放王ネメシスの真相についてを聞き出すことになります。
この情報群の中で最重要になってくるのは闇に蠢く者の存在です。彼ら自体は前のルートからちょいちょい出ているのですが、深く語られるのは教会ルート、同盟ルートのみ、いずれも神についてを深く知ろうとしたルートだからこその得られる情報といえましょう。
闇に蠢く者は過去に盗賊ネメシスを利用し、力を与え女神の眷属を滅ぼそうとした一族であると告げられます。
エーデルガルトが語っていたネメシスの歴史では、彼らは力を得たが故にその芽を潰すように女神の眷属たちに葬られた。その後も力を持ったものを強大な力で押さえつけ紋章社会を生み出すことによって人々を支配し続けている。
というものでありましたが、でも実際のネメシスは闇に蠢く者の手引きで女神の眷属の墓を荒らし遺体から武器を生成し、女神の力を得た、つまりこれこそがエーデルガルトの嫌う紋章社会の始まりであり英雄の遺産(亡骸)を扱える人と扱えない人の違いによる紋章差別が生まれた原因でした。
何故、フレスベルグ家とセイロス教で伝わっている情報が違うのか、それは歴史の勝者であったレアが戦後の近乱を避けるために宗教を作り、うまい形に転用することで歴史を伝えていたからです。このことが絶妙に食い違いこじれきってしまったのは、セイロス教の創設者であるセイロスがレアとして現代でも生き続けていること。闇に蠢く者が闇に蠢くと呼ばれる謂れ、女神を討つべくネメシスを操り、エーデルガルトを戦場へと駆り立てる等、闇に紛れて彼らを手引きをしていたことによるものです。
これらが、今まで表面化されてこなかったフォドラの火種の真相だったのでした。
ここまでで、
・エーデルガルトが戦争を起こした理由
・解放王ネメシスと紋章社会の事実
・セイロス教が設立した理由と女神の眷属の存在(レアたちの正体)
が判明し、多くの謎や人々の行動理由がわかってきました。しかし、まだわかっていないことがあります。先生がなぜ女神と共にいたのか、それこそが教会ルート最大の「自立」に関わってくるのです。
◆「迷子の自立」
レアにはまだ隠していることがあります。王国ルートでは何も語らないまま去り、帝国ルートではあのように怒り狂っていたその理由は彼女が禁忌を犯したことにありました。
闇に蠢く者が行った、英雄の遺産の製造。それは女神の眷属の亡骸、骨と心臓を利用し武具に転用するものであり、血を宿したものが使用することで強大な武力と成っていました。つまり、英雄の遺産を使用しているという状態は、死んだはずの女神の眷属が事実上復活し力をふるっている状態になります。
この仕様に気づいていたレアは、ある実験を行うようになりました。それは母である女神を復活させるために、人間を作り出し器にしようとすること。器を母に持ち、眷属化した人間を父に持った先生は、女神として形作るのにうってつけの個体でした。その上、このまま放置すれば死んでしまいそうな程弱った状態で目の前に現れたのです。きっと選択肢など無いに等しかったことでしょう。
レアは先生がソティスと融合した際に完成を期待し胸を躍らせます、その時こそがレアから急に言い渡された謎の「聖廟に訪れ啓示を受け取る課題」を行った「白雲の章 深遠の玉座」でした。
その結果レアを待ち受けていたのは女神の復活ではなく、闇に蠢く者に先導された帝国兵たちが墓を荒らし、生徒たちに襲い掛かるという、かつて自分の同胞に降りかかった惨劇と同じものでした。
帝国ルートで見せたこの人やばそう……感のある先生に対しての、「あなたも失敗作だったのですね」や「お母さまを返して」などの発言は、同胞が眠る墓の墓荒らしを行ったエーデルガルトに、母親の器になるはずだった先生が加担し刃を向けている状況から発されたものだったので、仕方ないとも言えます。
しかし、セテスは本章の序盤で書いたようにレアの元を離れ去っていきます。同じ女神の眷属であるのに、女神を奪われてしまったことよりもフレンが傷つくこと、戦争の中での人々の苦しみを見ることを拒絶し賛同しませんでした。
これはレアの本性が、エーデルガルトと同じ一人ぼっちの子供であることの証明です。
セテスにとっては、女神の存在は過去の話。生徒を愛し、教育を施すことフレンの成長を見守ることが何よりの幸せです。セテスはレアと違い、既に「未来」を見ている人でした。
自分を生み出した母親に会いたい、そうすれば全て戻ってくる、そう「過去」に希望を見出し、絶望したあの日から抜け出せないでいるレアは、先生に手を取ってもらえなかったエーデルガルトのように、セテスが去った際「やはり、自分しかいない」と発言します。女帝が「やはり、自分で未来を切り開くしかない自分しかいないのだから」と行動をとっていたように。
互いに深い憎しみを持ちぶつかりあった彼女たちは結局のところ似た者同士で、同じ傷を持っていました。もしかしたら、わかりあえたかもしれない。けれどそれができないほどに自分以外を信じることができなくなっているのがこの二人。だからこそ、この学級はエーデルガルトを選ぶか教会(レア)を選ぶかでルートが分かれているのでしょう。
レアが他のルートの自分自身、またエーデルガルトと決定的に違っているのは、彼女自身も「自立」をすることです。
後述する同盟ルートでも、同様にレアが真実を打ち明けるというシーンがありますが、「伝えなければならないことがある」と次のアクションを起こすのは教会ルートのみです。
彼女は、伝えなければならないこととして自分が犯した禁忌を語り、その上で「ごめんなさい」と謝罪をします。もうレアは先生のことを母ともその器とも思っていません。彼女は今を生きる青年として先生のことを認識し、その個に対してちゃんと謝ることができました。彼女は「過去」の絶望から立ち上がり「未来」を見て自主的に罪を語るを選択できたのです。このルートのテーマであった「自立」は五年の月日を経て成長した生徒たちだけではなく、母を失い彷徨い歩き続けていた一人の少女が前を向くまでの物語としての核でもあったのです。
成長も虚しく戦禍の中で消耗していたレアはその後散ります。
空白となった大司教の席を埋めるのは、役目を先生は選ぶことになります。その際にフレンから託される言葉は、「人を導き、教え、人と人がつながることの喜びを伝えて欲しい」です。
人々の苦しむ様、この地を守ってきた眷属たちの願いを見届けた先生はこれからの世の中を、今までのルートとはまた違う形で守っていくことになります。それは、人としてでもあり神としてでもある。二つの視点から見る景色なのでしょう。
ところで一人、フレンが言った【人と人とのつながりあえる社会】を夢見た野望家がいました。一番高い視点の物語として紹介するのが次章同盟ルートの景色です。
第三章「人と神の世、全てが混ざった世界」
第五陣
翠風の章 真の多様化は認め合いではなく、普通に手を取ることだ
◆翠風の章 同盟ルートについて
今まで解説してきた内容でちょこちょこしか登場してこなかったクロード、彼はつかみどころのない立ち回りで戦時中も帝国派と反帝国派で同盟を分断させることでうまく内乱を起こし、全面戦争を避けるなどの行動をとっていました。
唐突に現れた盟主の跡継ぎ、出身は謎。いつも飄々としているクロードは、他のルートでは何を行動原理に動いていたのかが絶妙にわからず、ただただ戦争に巻き込まれていただけのように見えたり、いったいあいつなんだったの?という感想を持つことでしょう、でも彼はいずれのルートでも「自分には大きな野望がある」と告げます。さて、彼はどのような人物なのでしょうか。
◆盟主の野望
なにか作戦があり人に共有しないそんな部分がエーデルガルトを想起させます。事実クロードは自分の野望と彼女の考えが近いことを認めていて、その上で「自分は別の手段で成し遂げたい。あれでは犠牲が多すぎる。」と話します。話すんです。
生徒に一切情報を語らず、つらい記憶や本心の部分をヒューベルトに代弁させていたエーデルガルトと違い、クロードは先生のことを「きょうだい」つまり相棒として呼び慕い、具体的な夢の内容は具体的に語らないものの、切れる頭で皆を導き、相棒を信じて、戦争を止める過程にて自分の野望も達成してやろうと行動します。
彼の野望の内容はこの通り
・レアがトップに立っていないフォドラを作り出す
・フォドラの喉元(つまりは大陸の玄関口)を開放する
→狭い視野の中でしか生きられないフォドラ人を外に触れさせる
・入り混じり、そのことを誰も気に留めず普通に暮らす世界の実現
つまるところ、クロードは全ルートの中で唯一フォドラの外側に目を向けている存在。これがこのルートを最後に持ってきた理由、真の多様化とは何なのか人の世とは何なのかを投げかけた物語を彼は紡いでいくのです。
◆「異物」
クロードがフォドラ外を見つめる理由、それは彼が異民族であることです。
確かにクロードはフォドラ大陸レスター諸侯同盟領現盟主の孫です。それは事実なのですが、彼の出身地はフォドラの喉元と呼ばれる国境の山脈を越えた先にあるパルミラ王国の出身です。長年敵対していたパルミラの王と盟主の娘が駆け落ちし、その間に生まれた子供こそがクロードだったのです。
クロードが自分のことを「異物」と呼称するのは、風変りという理由以外に自虐にも似た、自分は両方にとって異常な存在であるという言葉でした。
フォドラは他民族に対するイメージがとにかくひどく、基本化け物のように語られています。ゴーティエ家を代表に力を求め紋章社会を生み出す一つの要因には、定期的な侵攻を食い止めなくてはいけないことがありました。そんなふうに何度も侵略行為を続けてくる民族達に良い印象を持つほうが難しいでしょう。
でもそれは対するパルミラにとってもそうなのです。土地や資源を求め侵攻に挑む先のフォドラ。何度も追い返されてしまうのは国の強さ以前に、「英雄の遺産」という人間の力を超えた力を放つ強大な武器で利用して防衛を行っているフォドラ人に太刀打ちすることができないのです。その反則級の力は当然ヘイトを買うでしょう。そもそも壊滅することなく定期的な進軍を行えているパルミラは非常に力を持った国と言えるでしょう。
さて、こんな状況下でパルミラ人とフォドラ人の間に生まれたクロード。良い環境で幼少期を過ごせるわけがありませんでした。
パルミラ王国の王子でありながら、異物として扱われたクロードは壮絶ないじめから、殺されかける程の嫌がらせをも経験してきました。ただ異国の血が混ざっているだけなのに。その上彼の両親は放任主義を貫いているため、自分の力で自分を守るしかありません。そんな生活の中で彼の戦う前から作戦を立てる、自分の素を見せないように生きる彼の性格や手段はこの中で培っていたのでした。
そんなクロードだからこそ誰よりも思っているのです、
「自分は自分であって、血筋なんて関係ないのに」と。
クロードがフォドラに訪れた理由はそんな自分を認めてくれない閉鎖社会からの脱却。自分の血筋を頼って祖父の元という仮宿を得た彼は、フォドラとその中心に立つセイロス教についてを知ろうと思い士官学校へ足を運ぶのでした。
◆学びを経て得る真の理解
自分を民族単位で図られ傷ついてきたクロードは、異民族を化け物のように語り差別し、紋章の有無で作られる紋章主義社会で満ちたフォドラの現状に対してこのような考えを抱くようになります。
・セイロス教はレアが主体で作られた集団である
・紋章による貴族制度が強固なのもこれが影響している
・異教徒と関わらないようとさせないために全体的に閉鎖的である
→その結果外への差別意識が強くなっている
そして、この考えの元、
レアがいないフォドラになればきっと解放させやすくなる。国境を破壊すべきだ。
といった野蛮な思想を抱くようになります。が、この時点でクロードはこの考えに確信を持っているわけではなく、自分が危険な思想をしていると認めた上(だからこそ野望と自称しています)で、もっとフォドラのことを知ろうと模索します。
学生時代編にて、書庫で調べ物をしているという場面や、ロナート卿との闘いにおいて民の犠牲よりも、共に居合わせた英雄の遺産使いに着目して思考を巡らせていたのも全てこの探求心からなるものでした。先生に強烈な興味を持っていたのも、レアに英雄の遺産を託され女神の力を身に宿した出生の真実がわからない先生こそが謎を紐解く糸口になると考えていたため。先生自身もクロードに影響されて共に自分のこと、世界の真実を知ろうと先生として相棒として立ち回るように変化し、同盟ルートの主軸になっていきます。
切れる頭で客観的に物事を判断し、人はこのように行動するであろうと確定させながら内密に歩みを進めるクロードは、先述したエーデルガルトの一線を引き己だけを信じて計画を企てる部分と似通った部分があります。がしかし、クロードはエーデルガルトと違いその考え方を人と人の繋がりによって変化させていきます。
クロードはまず学生生活において、書庫以外にも生徒たちとの交流で彼らが何を思って動いているかを学んでいきます。
クラスメイトはどこよりも平民が多く、個性的な性格境遇のものが集まった場所です。彼らとの性格の中でクロードは「フォドラ人はこう思っているであろう」という思考からフォドラ人の違う側面や人間の自由で柔らかい部分を学んでいきます。
非常にこのことがわかるわかりやすいシーンとしては、帝国ルートにてクラスメイトのヒルダが殺された際に「逃げろと言ったのに」と不思議そうに発言しているシーンがあります。ヒルダはわがままでさぼり癖があるからいざとなったら逃げてくれるだろうという思い込みで作戦を立てたクロードは、ヒルダは実のところかなり友人思いのため誰かのために命を張れる人間であるという部分を見抜くことができていませんでした。先生と出会い共に謎を迫る相棒を得られたからこそ、同盟ルートのクロードは真実のみならず人の個性を学んでいくのです。
クロードに気づきを与えるのは金鹿の学級の生徒だけではありません、レアを慕い教会で雑用をしているパルミラ人のツィリルとの会話で彼は
・パルミラ人だからと言ってひどい扱いを受けている人ばかりではない
・ツィリルはレアにつらい境遇から助けられた子供の一人
・レアは大司教としてではなく個人的に子供を救おうと孤児を守っていた
これらのことを教わります。パルミラとフォドラで板挟みになっていたクロードにとっては一番刺激的な人物でした。これにより、レアに対する考えが変わっていきます。
また、ディミトリ没後仇を討たんと単独で行動し同盟軍の進行の手助けをしてくれたダスカー人のドゥドゥーからは
・民族感を気にせずに自分を大事にしてくれた人のため尽くす様
・民族や立場関係なしに絆を積み上げている二人がいたこと
つまり、また自分とは別の民族の内情や信念を知ることとなり、更に女神の眷属でありクラスメイトの一人として過ごしたフレンからは
・普通の人間と何も変わらない部分
・話し合えるし、幸せを願っている姿を見る
そう、クロードはフォドラ、パルミラ、ダスカー、女神の眷属……多くの民族をその身で触れて学んでいくのです。【住んだ場所で多少考え方の違い好みの違っても、人は何も変わらない事実】を、そして彼は最終的にこのような野望を語ります。遠くて手の届かない簡単な野望、それこそが
「多様な文化や民族が入り混じった中で、誰もが気にせずに普通に生活をしている世界」
そのためにこそ、フォドラの瓶の蓋を開け解放的な社会を実現させること
そう、同盟ルートは多様性についてを認め合い理解すること配慮すること、ではなく【皆が特段気にせずに普通の生活を送ること】であり【個を認めること】として定義し、それを人と人の交流から気づき信念に変えていくルートなのです。
更に金鹿の学級の面白いところが、敬虔な信徒マリアンヌが抱える罪悪感の念がディミトリ、大人びた真面目な少女リシテアの血の実験を受けていたという境遇がエーデルガルトと似ており、生徒たちみんなが彩度高めのイメージカラーを持ち並んだ時に戦隊モノばりに個性が強いところ。あらゆる要素から色んな価値観や個性があり、人は弱いところがあって、それでも交流によって強く生きていくことができることを強く訴えかけています。
◆最後に
クロードは交流の中で、成長し多角的な考えや自分の目指す先を見つけ出しました。
そして、クロードがもう一つ続けていた謎を知ろうとする心がレアの心を動かします。教会ルートにてセテスに秘匿の終わりを諭されようやく真実を語ったレア。彼女はこのルートで「謝罪」こそしないものの、真実を知り外交面の閉鎖からの解放だけではなく、闇に蠢く者。つまりずっとフォドラ全土を揺るがし続けている存在を何とかしなくては真の解放は訪れないというクロードの熱い熱意によって、ネメシス並びに英雄の遺産の真実を告げて同盟軍は見事本拠地の制圧に成功します。
クロードが全体を通してしていた事、それは知ろうとする心構えです。「これは悪である」という認識や、「不思議なアイテム」についてを繋がりの過程で人を知り「ではなぜ?」という思考を巡らせて突き進んだことこそが、クロードを自分が見たかった景色、野望そのものへと導いたのでした。
ここまで言ってしまうと、外交が進み人々の多様性を認めていくこのルートが最良の物語では?となってしまいそうなのですが、悲しいことに一番メインキャラクターの犠牲が多いルート。総合的に見たからこそ金鹿の学級には他学級の級長と対応したキャラがいることがわかるのですが、これだけを見ても何もわからないまま。
クロードが最後に広く広がった景色を見たように我々も全てを知ってこそやっとこの風花雪月の全貌が見えてくるのでした。
最終章 まとめ
◆四つの想い
今まで登場した四つの目指していたもの端的に表現すると、
・弱者が虐げられず、皆が立ち上がり支えられる世の中 (王国ルート)
・女神や紋章(宗教)による縛りがない世の中 (帝国ルート)
・人が教え、導かれ平和を享受できる世の中 (教会ルート)
・生まれた場所・信仰を気にせず、人々が手を取り合える世の中
(同盟ルート) と、なります。
簡単に表してしまえば、どれも正しく聞こえがいいもの。でも、この物語では全てがうまくように作られていませんでした。
実際三人の級長が行った対策としては、
・既存にある型を大事にしつつ、改善していく (王国ルート)
・全てを壊して、一から作り直す (帝国ルート)
・風通しを良くし、国外との交流を行う等新しい機関を設ける
(同盟ルート)
上記のようになり、どれがうまくいくかというのがまた絶妙にわかりません。
王国ルートのやり方では、エーデルガルトが言っていたように紋章に苦しめられる犠牲者がその過程でどれだけいるか救えるのかが難しいラインですし、帝国ルートのやり方では犠牲が多すぎる上に、ひき潰し生まれた社会で民がついてきてくれるのか等の信用問題があります。また、同盟ルートのやり方は、フォドラという形が不安定な状態から新しく改革を進めていくもののため、もしかしたらフォドラというものは簡単に上書きされたり他国に取り込まれたりして歴史から溶けていくかもしれません。
何がいいなんて簡単に答えを出すことなんてできません。というか、そんなもの初めからないのです。
◆エーデルガルトの孤独
このゲームは全体を通して、彼女の孤独が可視化されていきます。他のルートを読めば読むほど、ずっと一人ぼっちに見えたりただの非道の人に見えたり、彼女の功績や目的はわかっても本質が見えることは決してないのです。まあ、本質が見えないは他の級長でも言えた話なのですが、彼女に関してはこの物語を乱す悪役のような役割をしていて、誰よりも孤高の人として描かれます。他のルートで必ず夢を打ち破られる人です。
そんな彼女は先生に手を取ってもらったときだけ、少女の姿を見せます。ただ安心して絵を描いて見せたり趣味を教えてくれたり……少し幼すぎるのがまた物悲しいです。また、ペアエンドを選んだ際も彼女のトラウマを払拭するのではなく穏やかに過ごせる時間が設けられるようになっただけです。
彼女には夢があります、でも先生は肯定してくれるだけで、側にいてくれるだけでよかった。帝国ルートのエンディング曲は「あなたのいる朝焼け」。エーデルガルトの安寧は過去から解放された先に貴方がいてこそ訪れます。帝国ルートは戦争を起こす物語ですが、メインテーマはきっと「少女が悲しみの果てに抱いた夢」だったのでしょう。
◆「風花雪月」という物語が伝えていること
このゲームのタイトルは「風花雪月」。良く間違われますが美しいものを指す「花鳥風月」ではなく、「綺麗事に過ぎない、内容が乏しい物事」という意味を持つ言葉。全員の考えはやり方は一見美しく見える、けれども綺麗事だけではすまない物語だった。全視点で世界を見たからこそ、また一つの視点だけで見たとしても何もかもがままならず悲しみが残るからこそ、見えてくるこの世界の不条理さを表しています。
そして、海外タイトルを見てみると「Fire Emblem: Three Houses」となっており、三つの家(国とも取れますが)として三つの学級を表現しています。このゲームをやった人ならきっと、自分はここの学級が好き。ここの人に考えが賛同できる/できない。が発生するはずです。正しさはきっとそれでいいのです。
物語を通して、自分と合った場所共に生徒たちと見たいと思った未来こそが、貴方にとっては紛れもない事実で掴み取った未来です。
それを、忘れないでほしい。正しさを求め、口論したりすることが争いの火種になる。それを悲劇と共にこのゲームは伝えてくれていたのですから、自分たちはこのゲームに気づかせてもらえた自分の信念を大事に胸にしまえばいいのです、彼らとの思い出と共に。
自分がこのように視野レベルからの読み解いていったように、このゲームシナリオには順番がありません。(強いて言うならエクストラに収録されているシナリオ順番の、教会銀雪同盟紅花の順。全てのルートに次の物語の先生へ級長が救いを求めるシーンが登場します。)色々、語ってしまったわけですが、ぜひとも自由に読み進めることで自分だけの物語を作りあげて先生としての人生を歩んでみてほしいと思っています。もしかしたら、この文章が「それは違う」と憎たらしく見えてくるかもしれませんが、それもまた貴方の中で生まれた物語からなる考え方でしょう。できるだけ私情抜きに書き上げましたが、自分も自分の物語を持ってしまっている身ですから、致し方ありません。
もし、貴方が貴方の物語と信念に巡り合えたなら、いつか自分にも聞かせてください。
貴方だけの人生を。
参考文献
・公式ディレクターインタビュー
ファイアーエムブレム 風花雪月 開発者インタビュー 〜特集フォドラの夜明け〜 – Nintendo DREAM WEB (ndw.jp)
・解説にあたって参照したゲーム
Steam:Milk inside a bag of milk inside a bag of milk (steampowered.com)
・個人ブログですが、非常に参考になったものです↓
『FE風花雪月』海外のユーザーのPTSD視点からみたエーデルガルトの考察 (game-honyaku.com)
PTSDの私が、ファイアーエムブレム風花雪月をやって救われた話 ※ネタバレ注意 - ePARA