【エッセイ】絵を描くということ【拝啓水底より】
自分は絵を描くのが好きだ。
メイド服を着たキャライラストは自分の絵が1番可愛いと思ってる程、絵を描くことが好きだ。
自分にとって絵を描くというのは衝動的感情なのだ。
例えば、春の陽を浴びて、青々と穏やかな色を放つ山間と青空のコントラストを見るとその色を表現したくなるし、相対性理論の「小学館」を聞けば世界が崩壊したときの愛の絵を描きたくなるし、ジブリ作品なんか見ると自分も水中都市に憧れをもって何かを書きたくなる。そんな感じだ。
黙ってコンテンツを摂取することがもうできないのだ。作品に触れている間に筆を取っていないと安心できない。
曲をモチーフに絵を描こうものなら、何度も何度もその曲を聴いて気分を高めその曲を自分の絵に抽出する作業を行う。これはこの世で1番楽しい時間だと思ってる。
と言ったように、自分にとって絵を描くという行動は一種の多動性であり、その限りを尽くしていた小学校の頃は授業中に絵を描くと親にチクられるシステムが築かれたほどのものだった。
でもだって、こういう衝動にかられたとき絵を描く以外の発散方法が他にないじゃないか。対処法を親に聞いてみたところそもそも「絵を描きたい!なにかをしたい!」という欲求は生まれないらしい。
そんな嘘みたいなことがあるか。と思ったが、どうやら絵が上手い下手関係なく己はそういう星の元で生まれてしまった、と受け入れる他なかった。
なぜ自分はこんなに絵を描きたがる人になったのだろう?元を正して考えることにした
大学時代スポーツは成功体験がないと、苦手だと思ったままになり気持ちに制限をかけて一生苦手になるという話を聞いた。実際この話を聞いた後「できる」という思い込みをして実践した跳び箱で今まで飛べていた倍の段飛べるようになったので、きっと自分は幼少期に絵に成功体験を感じたから今でも描いてるのかなと思った。
思い出すのは……タモリとくろまめっちだ。
た、タモリとくろまめっち……?と思われたかもしれないが、何を隠そう自分が生まれて初めて描いた有名人がタモリさんだったのだ。
幼少のころ祖母の家に預けられていた自分は、毎日毎日祖母と12時のご飯のあとに「ライオンのごきげんよう」に至るまでぼんやり過ごす時間が大好きだった。きっとその中であのキャラクターデザインをいたく気に入り「笑っていいとも!」のタモリさんを描いたのだと考えられる。母がそれを非常に気に入ったのだ。それもコピー印刷したものをいまだに大事にファイルの中にしまっているほどに。
多分自分の子供が「おばあちゃんの見ているものに影響されてタモリを描いた」という事実が面白くて仕方なかったんだと思う。多分本当にそれだけなのだが、自分は調子に乗った、えらいほど調子に乗った。そこからめちゃくちゃ絵を描くようになったからだ。
例えば、漫画を連載した。
タイトルは……「ピカチュウなのにカービィはあが好き」だ。非常に子供らしいが、カービィの「はあ」という女の子とピカチュウの「ピカ」の、ギャグ恋愛漫画というクロスオーバー作品だ。発掘したら是非載せたいものだが、そんなものを描いて連載しては友達に押し付けるように見せるという行為を行っていた。
そう、そしてその果てに描いたのがくろまめっちだった。ひねくれものの自分は真っ当なキャラクターよりもずれたやつを好きになる傾向があったので、くろまめっちをひたすら描いてた時期があった。これもまた、「うまい」と言われ非常に調子に乗った結果だ。
マジで絵を描かないような人に急にめたくそに褒められたことを鮮明に覚えている。きっとあれが決定打だった。
親に言われた言葉でも調子の乗ったものだったが、子供の自分はどこか冷静に「大人は子供をほめてくれるもんやろ」という考えがあったのか、親の言葉よりもクラスメイトに言われたそれがありえないほどに効いてしまったのだと思う。だってあの後自分はずっと「俺は絵がうまい人間です」という顔をして漫画の連載を続けていたのだから。
未だに絵を描いているとどこかで「はあ」ちゃんたちの気配を感じる。今やもうかけないタイプの漫画だけど、自分の世界のどこかできっと今も気ままに暮らしてるんだろうなと思う次第。いつかまた会いに行きたいないけるかな。
ついこの前も絵をほめられたばかりなので、このまま絵がうまくなっていけばいつか出会えるだろう。あの時と違う姿になっていそうだが、はあちゃんははあちゃんだし、構わない。
後たぶんタモリさんにも会えると思う。