【エッセイ】いままで【拝啓水底より】
社会に出てはや2ヶ月、自分は何か作ることでしか欲求を満たせない側の人間だったと痛感する日々だ。「はや」って言葉をつかうにはまだ早いかもしれないが、そんなのは知らない。うるさい。今の感情を大事にしたい。そう思った。
こういうことを始めようと思う。「エッセイ」だ。若くしてエッセイストデビューをすると突飛なことをし始めて破滅していくと昔に聞いたことがあるが、そんなことを言うならその実験体になってやろうじゃないか。
インターネットの水底でこれを見つけた諸君は実験の研究員として見てくれたまえ。
最初だから、在学時代によく反芻してた言葉と、自分のことが好きだった時代の話でもして自己紹介しようと思う。
私が通っていたのは東北にある名の知れた芸大だ。家の近所だったのもあるし昔から憧れてたのもあって入学を決めた。
最初に掲げてた志は「何者にもなれなくてもいい、ただ物語を書ける人になりたい」というなんともまあ、小さすぎる夢であった。
これは反芻してた言葉のせいである。
私が当時とても尊敬していた同人作家先生が「美大に行っても意味がない。時間の無駄だ」といつかにツイートしていた。中学生だった自分は、「じゃあ美大だけ行くのはやめよう、夢を追っても意味ないよね」と冷静に進路を考えてたはずだったのだが……。
初めて学科での体験授業を受けた時に、直感的にここに来たいと思わされてしまったために受験を決意することになったのだった。あの言葉の呪いは絶大で受験の決意までしてもなお「まァ、文字書きなんかにゃなれんだろうから、せめて何かを掴もう」と夢を低く見積もったままだった。
そのせいでもっとすごい大きな気持ちを持った人に申し訳なさと自分のしょうもなさを感じ非常に病んだのであった。みんなは気をつけろよ。
この挫折は美大での暮らし方のコツを掴めば、簡単に乗り越えられるものだったのだが、東北という土地でサブカル好きに育った自分は長いこと迫害を受けてきたわけだ。オタクであろうもんならクラスカースト最底辺に落とされる、某団体もびっくりなくらい多様性の欠片もない環境で生活していた。自分を出してナンボ!な美大で自分は勝手に空想の敵を作り出していた。なにかを好きと言えば嫌われる。オタクだらけの環境でそんなことあるはずがないのに、2年生に至るまでそこに気付けず友好関係もうまく築けないままだった。この辺のしがらみはたまったま飲み会で仲良くなった友人を得てからは改善されていくのだが、それはまた今度話すことにする。
大学というのは何とも不思議な場所だった、自分を出せば出すほど受け入れられて友人が増える場所だった。我が学年は所謂爛れた大学生像(金酒女)のような存在はおらず、本当にみんながみんな相手を「個体名」で識別していたのだと思う。
その環境があまりにも気持ちが良かった、生きやすい場所というのはこういうところだろうなと実感したし、その中で私は初めて自分を大好きになることができた。
この場所ではなんと、自分がディミトリを最愛の人だと思っているなんて話をしても同級生は笑ったり、理解してくれたり、知識欲を爆発させてきたりしてくれた。許しをもらえたような、やっと本来の自分を表に出せたような気持ちになれた。
それでも学校というのはシステム上離れなきゃ行けないのだ。ようやく見つけた誰にも加害されない安寧の地、されど離れてまたいじめの横行するクソッタレの大地を踏みしめなきゃ行けない。
実際就活が始まってからは、不利不利不利でなんだこの学校はなんだこの学科はとガチで恨むほどだった……。
地獄を抜け切った先に待っていたのはより地獄だった。
就活後の鬱に苛まれる中聞こえる「美大に言っても意味がない」が日々付き纏ってきて心労もひどいもののだが、まァ、なんらかの試練だと思って波くるハラキリ衝動を宥めて今を持たせている。というか自分の未来に一つ確信があったからだ。
自分に呪詛を振りかけた同人作家は今や漫画家としてデビューしている。