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Spring Dayに思うこと

今日は、BTSのSpring Dayの感想や考察を書きます。元々バラードってあまり聞かない方だったけど、BTSの好きな曲の中ではバラードも多い。その中でも多くのArmyが好きな曲であり、メンバーにとっても大切で意味のあるこの曲を選びました。

Spring Dayは2014年に起きたセウォル号沈没事件のことが背景にあるということ、アーシュラ・K・ル=グウィンの短編「オメラスから歩み去る人々」のストーリーが示唆されているというのは有名な話ですね。

表面的な言葉の意味だけでは読み取れない、彼らが今生きている世界や社会を憂う気持ち、願い、犠牲者の方への追悼が込められているのだと思う。その背景を考えて聴くとこの曲がさらに心に響いてきました。

セウォル号沈没事件

2014年4月16日に韓国の大型客船「セウォル」が観梅島沖海上で転覆・沈没した事故です。乗員・乗客あわせて299人、捜索作業員3名、消防隊員5名の方が亡くなった。修学旅行中の高校2年生の学生325名も乗船しており、多数の高校生が犠牲になったことがさらにこの事故の痛ましさを感じさせる。

事故原因として過積載、安全対策を怠った運航会社の問題、船体検査制度の不備などが挙げられた。その背景に政治・社会制度に関わる問題、船長を含めた乗組員のほとんどが契約社員であったこと。李明博大統領時代に改正された法律により海軍が救助活動に入れないという問題、港湾庁・海洋警察庁によるセウォル号への検査や審査が甘かったこと。多くの問題が浮き彫りになった。

スニーカーと大量の服の山

Spring DayのMVの中に「スニーカー」と「大量の服」が出てくる。これは事故で亡くなった高校生たち、多くの犠牲者を表わしているのではないかと思う。

メンバーが波に打ち上げられたスニーカーを拾い上げるシーン。その後もそのスニーカーは度々登場する。MVの最後は寒々とした荒野に立つ1本の枯れ木にスニーカーがぶら下げられたシーンで終わる。スニーカーを下げるというのは、諸外国ではそのことに何らかの意味をもって行われるようです

真っ暗闇の中で大量の服の塊がスポットライトで照らされる一瞬のシーン。まるで深い海の底のように思えた。その巨大な服の塊は海底に沈んだセウォル号そのものにも見える。事故の被害は私たちの想像を超える規模(人数)であり、被害の大きさを物語っているように思う。

服の塊は雲を突き抜け高い山になり、メンバーが横たわっている。まるで犠牲者の方たちに寄り添っているかのように。山の上の空は澄んだ青空で花が散っている。春の訪れ。季節が幾度と廻っても犠牲になった人たちの存在をずっと忘れないという彼らからの追悼のメッセージだと感じた。

メンバーたちからしてみても、まだ若い、将来を担う多くの命が犠牲になったことは他人事のようには思えなかったのではないか。


시린 널 불어내 본다
痺れるほど冷たくなった君を吐き出してみる

연기처럼 하얀 연기처럼
煙のように 白い煙のように

말로는 지운다 해도
口では消すなんて言いながら

사실 난 아직 널 보내지 못하는데
本当はまだ君を送り出せそうにもないのに

遺族の方の視点で歌詞を読んでみると、そのつらい心情が伝わってくるようです。

オメラスから歩み去る人々

冒頭で述べたアーシュラ・K・ル=グウィンの短編「オメラスから歩み去る人々」について。どこか遠い遠い場所にオメラスと呼ばれる美しい都がある。オメラスはある種の理想郷を体現した場所で、そこには奴隷制も僧侶も軍人もいない。人々は精神的にも物質的にも豊かな暮らしを享受している。

オメラスのある公共建造物の地下に10歳くらいの知的障害の少年が閉じ込められている。窓のない暗い部屋に鎖でつながれ、1日わずかな食事しか与えられず身体はがりがりに痩せて素っ裸である。オメラスの平和や繁栄、人々の平和はこの少年を助けたり優しくせず、このまま閉じ込めて放置しておくという条件の下で成り立っているという事実。オメラスの平和と繁栄のために一人の少年が犠牲になっているということ。

オメラスの人々はある一定の年齢になるとこの事実を知ることになるが、多くの人がこの事実を知っても何もできないと理解し、自分や多くの人の幸福を守るために黙認する。そして今、自分が享受している幸福は誰かの犠牲のもとに成り立っているということを知る。

MVの中にOmelasの看板がある建物が出てきます。その中でメンバーたちがパーティをしてはしゃいでいます。パーティの後、我に返ったように散らかったテーブルの前で放心するメンバーたち。

オメラスは本当に幸福な場所なのか。
お金やモノにあふれ、物質的に満たされることが人間にとっての本当の幸福なのか。多くの人が富や幸福を得て、その影で犠牲になる人たちを暗黙の了解としてしまうことは人としての道理に反するのではないか。功利主義か道徳か。そういう深い問いが生まれます。

そのヒントがオメラスから”歩み去る"人々です。事実を知った人たちの中で静かにオメラスから立ち去る人々もいます。オメラスの外は果てしない荒野が広がり、他に安住の地があるかどうかもわかりません。先は全く見えないのです。

オメラスから立ち去るメンバー

MVの終盤、Omelasの建物の中からメンバーが飛び出し、全員で列車に飛び乗ります。降り立った地はうっすらと雪に覆われた荒野が広がり、1本の枯れ木だけがありました。それでも太陽の光は薄っすらと差し、メンバーの顔は穏やかです。その木を前に肩を組むメンバー。木に吊り下げられたスニーカーのカットで終わります。

セウォル号事件とオメラスについて

セウォル号事件で犠牲になった方々も言わばオメラスの人々の幸福のために虐げられる少年と似ているように感じました。政治家の利権と思惑、企業利益のために安全や人の命を守るという最も大切なことがおざなりにされ、その犠牲になりました。果たしてそれが最大幸福なのでしょうか?

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セウォル号事件に関する朝鮮日報のコラムを抜粋します。セウォル号事件の遠因として韓国社会の体質にも問題があると述べています。

韓国社会は「生き残りたければ他人を押しのけてでも前に出るべきだと暗に教えてきた」とし、犠牲と分かち合いよりも競争と勝利が強調され、清き失敗よりも汚い成功をモデルにしてきた結果としている。基本、規則、基礎、ルールを大切に考える人間に対し、何か世間知らずの堅物のように見下す雰囲気があり、それどころか、ずる賢い手口を駆使できる人の方が有能な人間のように扱われる

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オメラスはある同じ思想や価値観を持った人たちによって「作られた」場所であり、これまでの既存の価値観に基づいた幸福ではないでしょうか。

時代は大きく変わりつつあり、価値観そのものが大きく変わろうとしています。多様性が認められ、一人ひとりが尊重される時代になってきています。だからこそ、誰もが安住の地に居続けるのではなく自分にとっての幸せを模索したり、そのために自ら行動しなければいけないのだと思います。

いつも彼ら、BTSは大きく高い視点で物事を捉え、考えようとしてるように感じます。彼らのメッセージは特定の出来事や個人に限定しません。だから性別や人種、どんな経験をしてきたかに関係なく、聴いた人誰にとっても自身と重ね合わせて聴くことができます。

Spring Dayは離れ離れになって疎遠になった友人への惜別の思いをえがいた曲であると同時に、オメラスを歩み去る人々を引用することで大切にしなければならないことや忘れてはいけない本質的なことを暗に伝えようとしていると思います。

最後に、MVの中にメリーゴーラウンドが何度も出てくるのですがこれが何を意味しているのかがわかりませんでした。。 

#BTS
#springday
#考察

2021.3.21
Abyss0241


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