世界で二番目に悲しいクリスマス

今から30年位前のクリスマス、僕には恋人はいなかったが片思いの相手はいた。
片思い相手の浩美ちゃんに僕は何度となく告白していた。
「好きなんだけど!付き合ってほしんだけど!」
そう言って迫る僕に、浩美ちゃんはいつも
「時期尚早!」
というまるでムードが無い言葉で断ってきた。
嫌われてるわけではない。
むしろ仲が良い。
ものすごく仲が良い。
周りの人に恋人同士ではないかと疑われるほどに仲が良い。
しょっちゅう二人きりで遊んでいた。
でも恋人同士にはなれなかった。
時期尚早ということは、いつかきっとOKしてもらえるだろう。
そう希望を持ちながら、僕は片思いを切なくときめきながら楽しんでいた。

当時僕が働いていた職場は、従業員が3000人以上の大きな工場。
同期もたくさんいて、男女問わずみんなと仲がよかった。
クリスマスイブに仕事を終えて帰ろうとする僕は、別の部所の同期の女の子のみどりちゃんから声を掛けられた。
彼女は同期の中でも特に気が合う女の子だ。
「ねえ、あぶらくん、今夜一緒にいてほしいだけど」
「えっ?なんで?彼氏さんは?」
みどりちゃんに彼氏がいることを知っていた僕はそう尋ねた。
「そのことでちょっと話したいことがあるから、今夜は一緒にいてほしい」
僕は恋人同士のクリスマスみたいなムードには全く関心が無かった。
今夜は帰りに一人で横浜にでも寄って、イエスキリストの祭典の雰囲気を楽しもうと思っていた。
ようするに今夜は暇だった。
だから誰と一緒に過ごしても全然よかったのだが、恋人のいる女性とクリスマスを二人で過ごすのは、さすがに良くないのではないか。
これってある意味浮気相手にされてるんじゃないのか?
「いや、電話で話を聞くよ。彼氏さんにも悪いし」
そう断る僕に、みどりちゃんは涙目になりながら
「今夜はどうしてもあぶらくんと一緒にいたい、あぶらくんじゃなきゃ駄目なの、お願い!」
と懇願されてしまった。
そこまで頼まれたなら仕方がない。
僕は同期のみどりちゃんと、川崎の街中へ向かった。

イタリアンの店に入って、注文したピザを食べながら、実際はほとんど食べることが出来ずに、みどりちゃんの話を聞いた。

みどりちゃんは彼氏と高校の時に付き合い始めて、結婚の話しも進んでいたのだが、1ヶ月ほど前にみどりちゃんの生理が遅れた。
妊娠検査薬で検査をしたら妊娠の判定。
そのことを伝えたら、彼氏と連絡が取れなくなってしまった。
彼氏は実家暮らしで、何度か家を訪ねたのだが、明らかに居留守を使われて、会うことは出来なかった。
病院にはまだ行っていない。
行くなら恋人と一緒に行きたいのに、なぜ一人で行かなければいけないのか。
結婚の話までしていたのに。
子供が出来たら逃げるような人をなぜ恋人にしてしまったのだろう。
子供には罪はない。
恋人に逃げられた痛みを乗り越えて、子供を支えなけらばならない。
だけど一人ではつらい。
自分が壊れてしまいそうだ。

そう追い詰められた時に浮かんだのはあぶらくんだった。
逃げた恋人の代わりみたいに思うかもしれないけど、ずっとあぶらくんのことは友達以上に感じていた。
いつも電話でいろんな相談をしてたでしょ?
彼氏にも言えないことを、あぶらくんには話していた。
ずっとあぶらくんに支えられていたことに気付いたの。
自分勝手で酷いことを言ってることは分かっているけど、どうか私のそばにいてほしい。
子供のことまではあぶらくんに迷惑はかけないから。
これは私からの告白です。
あぶらくん、私と恋人になってください。

そういった内容のことをみどりちゃんは涙ながらに話した。
あんまりだと思った。
身勝手過ぎやしないか。
たしかにものすごくみどりちゃんは気の毒だ。
逃げた彼氏には怒りを覚える。
それで心が壊れそうなのは当然なことだ。
だけどさ、みどりちゃんと恋人になって子供のことは関係ないなんて出来るわけないじゃん。
今のみどりちゃんが告白するのだったら、お腹に子供がいるかもしれないけど付き合ってほしい、と告白するべきだ。
その告白を受けるのなら、みどりちゃんと子供の二人を受け入れ愛する覚悟が必要なはずだ。
みどりちゃんは、子供のことは迷惑をかけないから、先ずは私と付き合ってほしいと言った。
あまりに重く、また言葉は悪いが身勝手なお願いだった。
簡単に断ることも受け入れることも出来ない。
目の前には傷つき疲れ切ったみどりちゃんが泣いている。
「明日まで返事は待ってくれないかな。ちょっと考えたいというか、はっきりさせなきゃいけないことがあるから」
そう言って、僕からの返事を明日まで待ってもらった。
明日、仕事が終わった後に川崎駅前で会うこと、そこできちんと返事をすることを約束して、その日はみどりちゃんと別れた。

横浜に向かう電車の中で、僕はずっと考えていた。
気持ちは半ば決まっていた。
みどりちゃんと子供を受け入れる。
まずは受け入れて、その後でみどりちゃんの正すべきところは正す。
友情と同情を、愛情に変える決心をする。
僕はそう思った。
そうする覚悟をしなきゃいけないと思った。
でも僕は浩美ちゃんに告白をしていた。
その告白を取り消してから、みどりちゃんに返事をする。
そうしないと、浩美ちゃんにもみどりちゃんにも失礼だ。
万が一みどりちゃんに返事をした後で、浩美ちゃんからの時期尚早が解除されて付き合うことへのOKの返事が来たりしたら大変なことになってしまう。
横浜駅前の公衆電話から僕は浩美ちゃんの家に電話をした。
彼女は家にいた。
「付き合ってほしいってずっと言ってきたけど、
 それを取り消してほしんだ。
 ひどいこと言ってるのは、自分でも分かってる。
 ごめん。
 好きとか付き合ってとか言ってたことは、今日で終わりだ。
 ほんとにごめん」

血を吐くような思いで言葉を絞り出した。
浩美ちゃんはその言葉を聞いてしばらく黙っていた。
沈黙。
今でも鮮明に覚えているあの沈黙の音。
それが一瞬だったのか、長い時間だったのかは覚えていない。
ただ大きく深い沈黙の音は、今でも心に残っている。
「分かった、取り消しね」
彼女はそう言って受け入れてくれた。
理由は聞いてこなかった。
僕も言えなかった。
クリスマスイブの夜に一つの恋を失った。

翌日のクリスマスの夜、川崎駅でみどりちゃんを待った。
彼女が歩いて来た。
表情が明るい。
駅前の広場のベンチに座って、僕が彼女に話そうとしたとき、彼女の方から僕の言葉をさえぎるように話を始めた。

昨晩、みどりちゃんが僕と別れて住んでいる寮に帰ると、彼氏が寮の入口でみどりちゃんを待っていたそうだ。
彼氏は泣きながら、今までの謝罪と、もう一度やり直したいことを言ってきたそうだ。
みどりちゃんはそれを受け入れた。
彼氏ともう一度やり直す。
今度こそしあわせになる。
あぶらくん、ありがとう。
あぶらくんのおかげで、またやり直せるよ。
あぶらくんのためにも幸せになるね。
ありがとう、あぶらくん。


あーそうなのかそれはよかった
ほんとによかったね
しあわせになるんだよ
こっちこそありがとう


その日はどうやって帰宅したのかは覚えていない。
ただ一つ覚えているのは、弟から「なんか兄ちゃん変だぞ」
と言われたこと。
そりゃあ変だったろうな。
クリスマスイブとクリスマスの二日間で、大きな失恋2回したようなもんだもんな。

その後、みどりちゃんは子供を出産して彼氏と結婚した。
本当によかった。
これでよかったんだ。


僕があんな仕打ちをしたのに、浩美ちゃんは変わらず僕と仲良くしてくれた。
正月に一緒に初詣に行った時に、クリスマスの真相を話した。
僕の話を聞いた浩美ちゃんは、僕にこう言った。
「大変だったね。
 世界で二番目に悲しいクリスマスだね。」  
なんだよ二番目って。
じゃあ一番悲しいクリスマスって何さ。
「それは私のクリスマスだよ。
 私のクリスマスが世界で一番悲しいクリスマスだったよ。」

なんで?
なんで浩美ちゃんのクリスマスが世界で一番悲しいクリスマスなの?

「あんなこと言われたらさ、世界で一番悲しくもなるよ」


つづく(かな?気が向いたら書きます)

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