「そんなものあったっけ?」なチュートリアル作り 〜無視する人から学ぶ〜
ゲーム開発でよく思うことがある。そんなに説明しなきゃダメ?っていう憤り。コレ、ゲームの説明書が消えた時からのジレンマなのかもしれない。
説明書からチュートリアルへ
今はチュートリアルって言葉が一般的になった。
当たり前だがゲーム初回プレイ時にチュートリアル表示はつきもの。でも実は、このチュートリアルってUIデザインとしては、あまり面白い作業ではないクセに意外と大変な作業なのだ。
ゲーマー視点で見てしまうとコレ、過保護じゃない?と思えるようなバカ丁寧な表現も多い。でも必要だから作っているのです。
なぜなら世の便利さに抗うようにインフォメーションを無視する人が多いから。
最近は国民の大半がスマホ持っているし、公共施設のインフォデザインも昭和(僕は昭和世代)と違って非常に親切。中には洗練され過ぎて分かりにくいものもあるが総じて親切だと思う。
だけど世の中には、スマホやインフォに目もくれず我が道を行く人々がいる。
今日は、いたるところで見かけるそういう人から学ぶことがあるかもと考えてみる。
無視する人々
普段、身の周りで見かけるインフォを無視する方々。
以下はその一部。
みなさんも上のような方々を目撃したことがあるかもしれない。
極端な例なので、そもそもモラルの問題ってものもあるが今日はその話しはスルーします。
こういう方々は自分で情報を探さない。
だから目の前に書いてあっても読まない。
考えることを放棄しちゃってる。
だからきっと説明書があっても開きもしないだろう。
でも、こういう方々もお客さんの一人
だけど自分達の開発するコンテンツが届く先にもこういう方々がいるのかもしれない。
そんな人達にこそチュートリアルという形は有効なのかもしれない。
まとめて書いてあったら余計読まれない説明書よりも都度、小分けに必要事項だけを説明してくれるチュートリアルは見てしまうだろう。
でも、結局は読まずにスキップボタン連打だろうな…
やはりポップアップに文章って形はダメだろう。
でも最近のゲームは巧妙になって来ている。まだ一部だけど。
「そんなものあったっけ?」が理想となるチュートリアルを,どのようにデザインすべきか
これは凄くいい記事。
とりあえず登壇者の目力には触れないでおこう。
ポップアップをどんなに工夫してもスキップがある以上、連打されたらそれまで。
頑張って作ったのに見られずにスキップされちゃたまらない。
だからインフォグラフィックではなく、
「ゲーム体験を通じて徐々に学ぶ」
が最善なのだ。
これは言い換えると
「チュートリアルが存在しないゲーム」
ってことになる。
ゲーム体験に紛れ込んだ形なら文字通り身体で覚える形で説明ができる。
ゲームによってはコレが難しいのだが、それこそ腕の見せ所なはず。
これからのゲームはこう在りたいって思わせてくれる記事でした。
細かく説明はしないので、記事を読んでみて下さい。
チュートリアルって言葉すら無い方がいい
チュートリアルって意識し出すとどうしても説明がましくなる。
本当は、チュートリアルって言葉すら無くなってしまうのが望ましいのかもしれない。
世の中のインフォの考え方も見直す時なのかもしれないよ。
というお話しでした。